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年度末こそ笑い飛ばしたい

あああああ 今年も年度末の報告という妖怪に苦しめられています。全く創造的ではない仕事の連続です。この仕事から逃げ回れば回るほど、仕事が私の体に覆い被さってきます。一体何をやっているのか自分という、自己嫌悪に悩まされます。 本当に、真面目でない、期待に応えられない自分にがっかりしてしまいます。 私に期待しているのは誰か?? 誰なんでしょう。 実は自分が自分に期待しているのだと思います。 自分は、自分の期待に応えられないよ。助けてくれ〜〜〜〜。 もうダメなんだ。 助成金

    • 自分軸を持とう!!他人の軸で判断しない

      「あなたはどうしたいのですか?」 「どんな価値の基準が自分にあるのですか?」 「え〜」となってしまう人もいます。聞かれたことがない。考えたこともないからです。学校で問われる基本的な思考は、人に合わせなさいとということではありません。「自分の軸で判断しなさい」ということです。 あなたの基準で判断するとどんな結果が出ますか? 何をしたいですか? それは本当に、あなたしかできないことなのですか? 最近ビジネスの研究をしている人とと話をしていると、こんな言葉が頭に渦巻いてきます。

      • 人生は、つづく。不登校はつづかないようで、人生の中にいい影響を及ぼす。

        あ〜もう終わった! 失敗しても、うまくいっても。人間はいつも達成感に包まれていたいと思う うまくいかなくても、いっても日々の出来事は続いていく。要するに人生はそんなに簡単に終わりもしないし、進みもしない。人生最良の日もあるが特段に最良であることを強調する必要もない。  私は、16歳で学校に行かなくなってのち、大学に入るまでの間、人生はここで終わりなのではないか?という恐怖にいつも包まれていた。人生は全く変わらないと、気がついたの20歳の頃である。私たちは、恐怖のようなもの?不

        • 全てが過程であるという気楽さを大事にしたい

          なぜ人は嫌な思いをするのだろう 緊張してストレスを溜めるのだろう 成功しなければいけないという深い罠にはまるのだろう 私は、今年60歳になる。昔でいう還暦である。 そんな私は、そろそろ人生を締め括らねばならないという、常識的なことを考えはじめた。 それは100%つまらないことなのだと知りながらも、しめくくることが大人の対応のように感じたのである。死は、平等にやってくる。体調不調というような予感を思わせながらくる場合もあれば、事故のように全く不意打ちでやってくる場合もある。

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          2本

        記事

          ボランティアと自分育ち

          私たちには夢がある〜〜〜 子ども(自分)が自由であればあるほど、人生は楽しくなると。今年はコロナ明けでボランティアをどんどん組織の中に入れることができるようになりました。たくさんの違う価値観が、「やってはいけない」「恥ずかしい」「難しいこと」を壊していきます。  私たちは、学校に行けない子どもを支えるケアしている場所だと思い込まれています。私たちは「ねばならない」を抱え込まされて、自分を追い込んでしまった子どもに可能性を広げる学び場です。同時にボランティアも育つ場であってほし

          ボランティアと自分育ち

          当事者であるから、学べる

          努力と忍耐と根性 学校時代によく言われた言葉。でも、これって本当なのですか?という疑問を持ちながら、学校でも一生懸命にやれば道が開けるのではないか? 私たちは、目的のための議論を一切行わず、一生懸命に何かをしようとする。 問題は、一生懸命という行為を大事にするだけで、目的は問わないところにある。日本社会は、目的を大事にしない社会だとつくづく感じる。子どもも大人も成長するのは当事者だからである。  自分にとって逃げられない、問題だからそれを引き受けざるを得ない。だから成長する

          当事者であるから、学べる

          じゃがりこ  と  炭酸

          今年から、高校での居場所づくり事業をおこなっています。参加している高校生は、授業が終わってから電車に乗るまでの「ヒマ」な時間に来ているとのこと。その時間を埋めてくれるのは、友達とのたわいもない話と「じゃがりこ」と「炭酸」です。 次の居場所担当の時に炭酸は買えなかったですが、じゃがりこは買えたので、持って行きました。 そしたら「せんせー、勉強教えて〜」と駆け寄ってくれる「じゃがりこ」好きの生徒さんが2名。私が教頭先生と話をしているところに駆け寄るというまさに、GOODタイミン

          じゃがりこ  と  炭酸

          インプットは自分なりにどう受け取るかを決めないと、変化につながらない

          保護者が、教育現場で「こうさせたい」「あ〜させたい」というご希望を話し「自分の子どもはそうならないのよね〜」と話をしている。学校の先生にも子どもを変化させるのに「どうすればいいですか〜」という問いを当たり前のように投げかけ、学校の先生だけではなく、フリースクールのスタッフにまでどうすればいいですかと、真顔で聞いてきます。 子どもの人生なので、親の希望を受け取っても、受け取らなくても子ども次第なのです。多くの場合、親子でも違う人格なので、親の希望は受け取ってもらえないことが、

          インプットは自分なりにどう受け取るかを決めないと、変化につながらない

          ジブンの頭で考えて行動するのは悪いことか?

          当団体(寺子屋方丈舎)ではジブンのアタマで考えて行動するという原則を大事にしている。「誰かにいわれて考えないで行動する」とか。「うわさ話で行動する」というジブンの人生に無責任な生き方をすることが、自分を痛めつけると考えているからです。  学校で勉強する学びを模索したけれども、学校が合わなくて、自分で勉強する道を選んだということはよくありえることです。ここは目的ではなく、手段や方法の問題なので、学ぶことで自由を手に入れることをあきらめていなければなんら問題はありません。  問題

          ジブンの頭で考えて行動するのは悪いことか?

          向きを合わせる(向き合う)

          「子どもと向き合ってください」と言われることがあります。 向き合うということの意味は、子どもの向こうとしている方向に、大人が合わせるということです。  子どもが何をしたいのか?先に理解してくださいという意味です。子どもは何かをさせる存在で、指導の対象と考えている大人も多いので。向き合うことは、大人にとっては、言葉以上に難しいことでもあります。  しかし、一旦向きを合わせると、子どもは能動的に動きはじめてゆくのです。わかってくれたという気持ちが子どもの心を楽にして、わかることが

          向きを合わせる(向き合う)

          真実は間違いの中にあるかもしれない

          いま、人知れない南国の小さな島のホテルに滞在しているカバです。 1週間の休みを取ったはずなのに、あっという間に残り数日の休みになりました。時間が過ぎいるのが早すぎます。  私たちは、一生懸命に受験勉強して時間を削って勉強しました。気がつけば、やりがいのない仕事。一体、誰のための、何のための受験勉強化を知ります。大変、これは辛い。お金はそこそこ入ってきますが、やりがいは全くない。誰も元気ではない。 しかし、この間違いの中に真実はあるのかも知れません。 とことんやりがいのない仕

          真実は間違いの中にあるかもしれない

          「わからない」を通常に考えてみると

          私は、子どもたちと関わりながら仕事をしはじめて約30年あまり。 子どもと接していることは、あまり得意ともなんとも思ったことがありません。なんの予見も持たないで話し続けています。  つまり、子どもたちを常識も、社会的な価値や偉い人になることや、いい仕事につくことも求めていません。ある意味、自分で疑問を持ち、解決し続けることで成長できる学びを実現していったらどうだろうと思っています。私たちは、「話せばわかる」という文化にいます。この文化が非常に苦しいのは、わからないと言えないとこ

          「わからない」を通常に考えてみると

          保護者参観は必要なのか?

          フリースクールの校長と幼稚園の園長を務めています。 フリースクールにはなかったのですが、幼稚園は今の時期になると毎月のように保護者参観が行われます。保護者に授業を診てもらうことは、本当に必要なことなのか?という疑問を感じています。 保護者が、子どものことを理解したいという気持ちはわかります。外で、どんな友達と何をしているのかを知りたいという気持ちもわかります。ただ、幼稚園の教員が、保護者を意識しすぎて、そのために成果物の工作の準備に時間を取られている。保護者の視点や管理職の

          保護者参観は必要なのか?

          今を生きる目的があり、自分への信頼と決断の結果としての学力

          フリースクールで、幼稚園で保護者と一緒に学びを考えている。 私の保護者への寄り添い力が、非常に問われる。 私は基本的に、気が短い・・・・・。答えを待てない。 本音を言えば、待ったからいい答えが出るとは限らないにもかかわらず、時間をかけようとする人を基本的に怠け者だと思っている。 よって、保護者と寄り添いながら学ぶのは、自分にとって、かなりの忍耐を必要とすることだが、これが自分と事業の成長に関わる大事なことだと思うと、わがままな自分を放っておけないのである。(ここまでは自己内

          今を生きる目的があり、自分への信頼と決断の結果としての学力

          「教育的な人」は口うるさい

           子どもに小さな、注意をしまくる人がいるおそらくそれこそが教育だと思っているに違いない。子どもが必要としているのは、安心や安全でありホッとできる場所なのだと思う。  教育ってなんだという根本的な問いについては、自分で学びたくなるものを学ぶということが原則だと思っている。しかし、言いたい人は細かなところにこだわりを全て子どもに、言う。  こどもは、「ホッと」したいと思ってここにきているので、たくさんのことを言われるとどう対応していいのかわからなくなってしまう。この口うるささの背

          「教育的な人」は口うるさい

          「学校の成績が競争によって伸びる」というまことしやかな言説をのりこえるために

          3月はフリースクールの生徒も、進学や就職で社会に出てゆきます。 ここ数年、大学進学が増えて昨年は3人、今年も3人です。「フリースクールの子どもたちは競争できないのになぜ進学できるのですか」「メンタルが弱い子どもに学ぶ力なんかあるのですか?」と真顔で聞かれます。 「定期テストで、偏差値を上げてゆくことが、学習する力がある」と考える人が多い。学校の成績は学習の目的設定するよりも、テストを何度も繰り返したほうが成績が伸びると思っているからでしょう。  フリースクールで行っているこ

          「学校の成績が競争によって伸びる」というまことしやかな言説をのりこえるために