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朽ちた木や植物が栄養になるように

奄美大島に行ったのが1ヶ月前の2024年5月下旬でした。私たちは、文隆さんの案内で金作原の原生林を歩きました。すごい原始の姿の森林を見てその雄大さに圧倒され、森の香りにほっとしました。
 中でも古い倒木の上に木が生育している姿に感動。人間も同じなんだよなあと思いました。老化して朽ちていくということは、若いひとにエネルギーを供給することで残りの人生を過ごすのだと。提供できる栄養や、根があればいかようにでも活用してもらった方がいい。活用される価値があるうちに活用して貰えばいい。
 やがて十分に栄養を提供して、その生涯を終えていく。真っ当なことだと思います。朽ちてなお、その木の活用を委ねる度量が、年寄りには必要だと。相手が思うように栄養を吸い取っていいのです。
 年を経てなお、無駄な説教をする人がいますが、全くの無駄だと思います。どの栄養を吸収するのか?次世代の人に選ばせないようでは、かえって面倒くさいだけで、その人から学ぶ必要があるかどうか疑問です。年寄りがとことん面倒くさいのは、いい栄養にさえならない、いわゆる「糞の役にも立たなく」なることなのだと思います。
 少なくとも私は、糞の役にはなりたいものだと思うのです。

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