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100万回生きたねこが頭の片隅で泣く理由
こんばんは、金曜日ですね。平日5日間お疲れ様でした。
今日は、ふとしたきっかけで思い出した絵本
『100万回生きたねこ』
こどもの頃に読んだ絵本の中で一番記憶に残っている本です。
読後の、なんとも言えない”モヤモヤ”した感じが、今も残っていています。
絵本といえば『100万回いきたねこ』のねこの姿が浮かんできます。
あらすじと数十年ぶりに読んだ感想をまとめています。
■あらすじ
物語は、100万の人に育てられたねこが100万回死んで、101万回いきた話です。
ねこはそだられた飼い主のことや、飼い主にさせられたことが嫌いでした。しかし、飼い主は、ねこ死んだときに、すごく泣いて悲しみました。
全ページの内、半分がその連続です。
誰かに育てられては死んでいきます。
ねこは少しも悲しむことはありませんが、飼い主は悲しみにくれます。
半分を終えたところで、ねこはのらねこになります。
はじめて、自分のねこになりました。
ねこは自分が、大好きでした。
そんな中、ねこはしろいねこと出会います。そのねこと出会いが主人ねこの人生を少しずつ変えていきます。
しろいねこは主人公ねこには見向きもしませんでした。
100万回も生きたとねこが自慢しても、見向きもしませんでした。
ねこは、少しはらを立てました。
なぜ、はらを立てるのでしょうか。それは、大好きな自分を受け入れてくれなかったからでしょうか。
今までのどんな飼い主もねこを受け入れ、大切にそだててきました。
しかし、しろいねこはどんなに主人公ねこが声をかけても
「そう。」
というだけです。
そいて、主人公ねこは、自慢するのをやめて
「そばに いても いいかい。」
たずねます。
主人公ねことしろいねこは、かわいいこどもをたくさんうみます。
主人公ねこは、
「おれは、100万回も。。」と自慢しなくなりました。
ねこは、白いねこ たくさんの 子猫を、自分よりも好きなくらいでした。
今までどんな飼い主に愛されても死ぬことがいやでなかったねこ。
自分のことが大好きだったねこ。
そんな、ねこが自分より大切な何かに気づきます。
しかし、ある日、白いねこは主人公ねこのとなりでうごかなくなってしいます。
そう、死んでしまったのです。
その時、
ねこは、はじめてなきました。
そして、ある日ねこはなきやみました。
ねこは、もう決していきかえりませんでした。
こうして絵本が終わります。
■”死”を中心に展開する絵本。
本書は大よそ30ページです。
見開きの1ページの半分が文字・半分が絵の構成でできています。
そのうちの半分が、ひたらすらいろんな飼い主に飼われては、好きでもないことをやらされ、死んでいき、飼い主に泣かれる描写が続きます。
白いねこと出会ってからも、こどもたちが生まれて、二人の時間を過ごす描写は計4ページしかありません。
そして、最後の4ページで白いねこが死に、主人公ねこも死んでいく。
もう生き返ることはありません。
最後も、”死”という幸せとはかけ離れた描写でこの絵本は結ばれます。
幸せを描写するシーンが圧倒的に少ないのです。
白いねことの幸せの描写の構成を広げようと思えば、もっと広げられたはずです。
逆に、なぜ半分も飼い主に飼われては死ぬことを繰り返す描写につかったのでしょうか。
なぜ、この絵本は”死”というものを描く描写を多くしたのでしょうか。
しかも、死とは遠い存在であるこどもたちが読むであろう絵本で、それを表現したのでしょうか。
何十年ぶりくらいに、この絵本を読み返して強く思い出したのが、
白いねいこが死んだ際の、ぐしゃぐしゃに泣き崩れたねこの顔です。
これは、何度も見た記憶がある感じました。
前半に100万回も繰り返された死と、
最後の二匹のねこの死には、
大きな違いがあると、こどもながら感じたのかもしれません。
■何度も生き返るという不思議な想定。
今までの人生の中で、ねこは何度も生き返ってきました。
自分が死んだとしても、また生き返るわけですから、死をもって失うことなどなかったわけです。
ねこは、死ぬことなんてこわくなかったのです。
死んでも、失うものなど何もない。なぜなら、もう一度生き返れるから。
多くの絵本、そして本であってもそうですが、何かを獲得することを教え、何かを手に入れることを僕らに推奨してきます。
幸せ手にする、成功を手にする、富を手にする。
しかし、何かを失うことを教えてくれる、本や教科書は多くありません。
この絵本がもし、しろいねことの幸せな描写ばかりを描いていたら、幸せを手いれたねこ物語にしかならなかったかもしれません。
あらゆる本が僕らに何かを手に入れることの大切さを説いてきます。
お金、名声、スキル、人格、フォロワー。
でも、それは僕らの人生が一度で終わるという前提に立っています。
一度しかない人生なんだから、やりたいことを実現しよう。
と、僕らにながかけてきます。
そして、この絵本にも、
ねこは自分が、大好きでした。
と、あります。
ぼくらは、何かを得るために努力する自分自身に似たような感情をもっていないでしょうか。
でも、僕らがまた人生をやりなおせる知っていたらどうでしょう。
仮に、いますぐにお金を手にいれられなくても、死んだあとにまた人間として人生をやりなおせるとしたら??
仮に、いますぐ努力して出世しなくても、死んだあとにまた人間としてやりなおせるとしたら??
仮に、いますぐ努力してスキルを手にれなくても、死んだあとにまた人間としてやりなおせるとしたら??
僕らは、何のために生きていくのでしょうか。
■”失う”ことを知る。
僕らは、あまりにを何かを手に入れることに急かされ、焦燥しているのかもしれません。
朝起きてSNSに目をやると、何かしらの広告が僕らに、”今日から3日間30%オフ”と何かを買うことをオススメしてきます。
電車の中でもおなじような宣伝を目にし、インスタグラムに目をやれば友人が立派なタピオカティーをオススメしてきます。
そして、そのLikeの数を見ながら、あぁ自分もLikeが欲しいなと感じ、いろんな人が、Likeの数を増やす方法をオススメしています。
”●●を手に入れろ!!”
と僕らはいつもせかされています。
では、大切な人やものを失った時の切なさと悲しさを伝えてくれるメディアはあるでしょうか。
では、何か新しいものではなく、今あるものを大切にしてくださいと教えてくれる本はあるでしょうか。
では、僕らはいまある大切なことや人に対する感謝と、失った時の悲しみを日ごろ意識しているでしょうか。
もし、もう一度生き返れるとしたら、今必死に得ようとしている何かを僕らは手にれるのでしょうか。
この絵本が僕らに教えてくれているのは、
大切なものは、すぐそばにあるということ。
そして、いつかそれを失う時がくるということ。
そんなことではないでしょうか。
ただこの絵本、泣き崩れたねこの表情が僕の脳裏に残るのは、
その答えが、完全ではない気がしていて、
今でも、モヤモヤした気持ちがあるからです。
それが、この絵本
『100万回も生きたねこ』
が、ぼくらを惹きつけ続ける理由なのかもしれません。
みなさんも一読してみはいかがでしょうか。
僕は、また10年後に読んでみます。
その時の感想をまたnoteにしたいと思います。
本日もありがとうございます。
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