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「ぼく」と「俺」どちらと話したいのか、どちらで話したいのか

人が喜んでる姿がすきで、人の役に立ちたくて。だから話してるときは相手のことをめちゃくちゃ考えて話す。相手がポジティブな感情だったらもっと感じられるように、ネガティブな感情だったら少し緩和できるように、相手にとって重要な価値観がでてきたら「それはすごいね!だって○○なんでしょ!」ってその価値観がより強く思えるように話をする。これがクセになってる。だんだん、”そうしなきゃ”ってなってる。

そんなときに、ふと、おもう。

『この人は誰と話したいんだろう。
 俺は誰として話したいんだろう。』

”僕”は人を肯定することばっかりだから、肯定されたい人もいるんだとおもう。そういうときはそれでいい。
でも、たまに、”俺”と話したい人がいる。実体をみようとしてくれる人がいる。そういうとき、相手に気遣った話ばかりするのは、失礼極まりないのだろう。うわべの良いことばかりで、実体が伴わない。自分にも相手にもなにも届かない。ぶつかりながら、右往左往しながら、等身大で話すそれとは全く違う。

”俺”は対等な関係性でいたいと心からおもう。
なのに、相手と同じ立場にいたいという目的を持ちながら、相手と同じ立場に立とうとしないのだ。なにを怯えているのか。そんな自分が腹立たしい。

毎回、それを感覚的に教えてくれている友人がいる。教えてもらって何回目かの今日、それがやっと言語化して腑におちた。「遅すぎる」「だからお前は信頼されないんだ」と自分を責める気持ちもほんのすこし。
でも、今日気づけてよかった。気づければ、仮面は取れはじめる。”俺”はここから、新しい道を選びはじめる。


2020年5月19日
しっぱいノート140日目
えだちゃん。

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