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救えなかった食品たちの思い出

玉ねぎは群れたがる

梅雨の季節は食品がすぐダメになる。先日も腕によりをかけて使ったカレーが、1日おいただけでカビるんるん状態になっていて震え上がった。湿度の高さと暑さが組み合わさると、食品なんてイチコロなのである。

冷蔵庫においておけばいいだろうというのは安易な考えで、人間は視界に入らないと存在そのものを忘却してしまう生き物である。毎日料理をする人間ならば、冷蔵庫を頻繁に覗いて、余っている食材に目が向くが、たまにしか料理をしない場合には食品ではなくて格納されている飲み物ばかりに目が行ってしまう。

水分が飛びまくって最終的にミイラのようになり、非業な死を遂げた野菜の数々。私があの世に召される時はきっと野菜が大挙して一斉に苦情を言いにくることだろう。

特に玉ねぎ。ヤツらは1袋に4個も入っている。気が向いて料理をする時に使えるのはせいぜい1個程度である。一度にたくさんのおかずを作ればいいじゃないかと思われる方には、我が家のキッチン事情をお伝えしよう。なんと、うちのガスコンロは1口しかないのである。

この状態で複数品目を同時並行で作ろうと思ったら何が起きるか。サーカスの曲芸師のように、一つのコンロ上で鍋やフライパンを物凄い勢いでクルクルと入れ替えながら調理を進めなくてはいけないのである。

これには頭も体もクタクタになる。こうして力尽きた私は、冷蔵庫に残されてミイラになってしまった玉ねぎを涙ながらに処分するのである。

忘れられた保存食たち

私がまだ親元に暮らしていた頃、腐らせた中で最も長い賞味期限を持つものはハイチュウだった。確か定められた賞味期限を1年ぐらい過ぎていたと思うが、ハイチュウの中の部分が黒色になっていた。製造元はくれぐれも「黒ごま味」などは出さないほうがよい。なぜなら、腐ったハイチュウと区別がつかなくなる危険性があるからだ。

しかし、ハイチュウにもプライドはあったようで、中の部分は変色していたが周りの部分は驚きの白さを保っていた。ハイチュウは腐って捨てられるその日まで、ハイチュウとしての原型を保っていたのだ。

その姿は、主人である義経を守るために全身に矢を受け、矢が刺さり立ったまま絶命した弁慶の立往生を彷彿とさせ、私の心の中に深く刻みこまれたのだった。

そういえば中学生の頃、クラスメイトが夏休みの自由研究で、食パンを放置して腐る過程を日記に書くというのをやっていた。自分が体を動かすのではなく、食品に代わりに働いてもらう。バチ当たりではあるが、プログラマーや投資家としての才能を感じる発想である。

さて、つい先日、私は腐らせた食品の賞味期限の長さで記録を更新してしまった。

何を腐らせたと思います?



カップヌードルですよ。

ハイチュウの時は部屋の奥深くにしまわれていて、存在が目に入らなかったが、今回のカップヌードルは違う。電子レンジの上に置かれていて、なにかをチンするたびに私の視界に入っていたはずなのだ。

いつごろ買ったのかを完全に失念していて、日持ちが良いという漠然としたイメージで後回しにした結果、ふと気が向いて食べようとしたところ「お前はもう死んでいる」状態だったのだ。

己の死期が訪れるのを待つカップヌードルの心境はいかばかりか。私がいそいそと他の食品を加熱してウマそうに消費するのを眺めながら、「お前にはもっと優先すべきものがあるだろ」と思っていたに違いない。

自分のアホさ加減に呆れる他ない。

名もなき天才と組み合わせの妙

このような苦い思い出があるため、私は極力冷蔵庫に食品を貯めこまないようにしている。大災害が起きて食糧が不足した時、私は今まで死なせてしまった食品たちの報復だと感じることだろう。

昨今は捨て犬、捨て猫が社会問題になっているが、自分で面倒が見切れないものを抱えちゃいけないのは食品も同じである。

そういえば、こないだスーパーで玉ねぎ1個、にんじん1本、じゃがいも1個をひとまとめにした「カレーセット」が売られていた。これを最初に思いついた人間はアインシュタインに匹敵する天才といえよう。玉ねぎ1個をバラ売りすると儲けが出ないならば、組み合わせを変えればいいのだ。

私の作るカレーは玉ねぎと肉しか使わないので残念ながらニーズにはマッチしないのだが、玉ねぎ1個、レタス1/4、キャベツ1/4のセット商品があったら、秒でレジに持っていっただろう。

独身者の食材ニーズは世帯持ちよりも遥かに凸凹していて、売り手からしたら満たしづらいことこの上ない。

しかし、独身の食生活を支えつつ食品を救うヒントは、意外とこんな細かなところにあるのではないだろうか。

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