淡い記憶とともに
過去に縋ることは好まない。
だが、今と違い娯楽が少なかった昭和の時代、心の拠り所といえば映画館であったのは間違いないだろう。
このように淡い記憶というのは不鮮明ながらも、明確な記録が脳裏を駆け巡る。
で、また映画館のスクリーンに映し出されるヒーローやヒロインに憧れを抱き、時に憧れつつ、時に恋をし、今と比べるとかつての頃の方が創造性が豊かだった気がする。
個人的に憧れた異性と言えば、私自身の場合スクリーンに映し出されるジャンヌ・モローと梶芽衣子には心を何度奪われた事か…
そういった淡い気持ちを思い起こしてくれる映画作品といえば、やはり邦題「カイロ紫のバラ」だろう♪
この作品は名作としてファンから支持されている。
特にウッディ・アレン監督作品の中では、個人的に一番好きな映画だ☆
これは単純に発想の勝利だ。
それ以上に一方的な愛こそ、恋愛以上に恋焦がれると立証した作品でもある。
単純なあらすじを説明すると、田舎町に暮らす二人の夫婦は、夫が失業中なので妻であるセシリアはウエイトレスとして働き、家計を支えていた。
セシリアは家に帰るたび、失業中の夫と顔を合わせるだけでも嫌悪感を覚える。
セシリアにとって唯一、現実逃避できる場所が映画館であった。
いつものように、セシリアは映画館へ足を運んだ。
その時に上映された作品が「カイロ紫のバラ」というタイトルの映画だった。
モノクロームの画面で活躍する俳優に気がつくとセシリアは恋い焦がれてた。
するとあろうことか、スクリーンから俳優が出てきてセシリアに近づくのであった。
そこから二人の非現実なのか、それとも現実なのか、到底簡単には区別のつかない物語へと発展する。
こういった発想はなかなか出てこないものだ。
ましてやこの作品を形にできたウッディ・アレンの才能はもとより、賜物といっても過言ではないだろう。
あまり触れてはならないのだが、この作品の主演を務めたミア・ファローはウッディ・アレンの元奥様だ。
そして離婚の原因はウッディ・アレンが養女に手を出した事が発端となり、離婚までの足取りが泥沼化した事はニュースにもなったくらい悍ましい一幕でもあった。
その後、ウッディ・アレンはその養女と結婚した。
一方のミア・ファローは変態野郎!と罵るのであった。
私生活はさておき、やはりウッディ・アレンは優れた監督だと思う。
少なからず過去の作品は(一応過去形)…
で、この場合、スクーン上の俳優に妻を奪われた失業中の夫はどういう気持ちになったのだろうか?
まぁ、そんな事よりも、胸をときめかせていた初心(うぶ)なひとときを空から破り、夢みるのも、ときには幸せなのかも知れないな〜♪
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