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ローマの日々 [Daily Romans]

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ローマ人への手紙を日々少しずつ、ゆっくり味わい、瞑想する旅をします。
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#宗教

51.ローマ3:19-20 律法によって人は罪を意識するだけ

51.ローマ3:19-20 律法によって人は罪を意識するだけ

 「律法」の下に生きる人は、律法に従って罪を認識し、神によって義とされるために律法の教えを守ろうとします。しかし実際には、その努力は空しく終わり、希望は達成されない、とパウロは断言します。 

 宗教の教えを実践しようとする人々の「努力」を奨励するあらゆる宗教は、この「律法」と同じです。

 だから、誰もが「願わくば、神によって義とされ、天国に入りたい」と期待するにとどまるのだろうと思います。

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44.絶対的な神の義 3:5-8

44.絶対的な神の義 3:5-8

 人間は「絶対的な義」を考える習慣がないので、人間の習慣に従って、「神の義」も「人間の過ちによってかえって神の義がより明らかになる」と考えてしまうのでしょう。

 では、人間が過ちを犯し続けることで、人間の不義と比較して神の義がより明らかになる方が良いのでしょうか? 神もまた、自分が罪人の中で崇められることを望むのでしょうか?では、人間の不義によって神の義がより明らかになることは良いことなので、不

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40.ローマ2:25-27 「伝統」になった宗教の問題

40.ローマ2:25-27 「伝統」になった宗教の問題

 割礼を受けている人とそうでない人の違いは何なのでしょうか。パウロの時代、ユダヤ人にとって、2000年に渡るアブラハムの子孫であることの証明として、割礼こそが何よりも重要でした。「異邦人」とは、その割礼を受けていない人々のことだったのです。

 人はしばしば自分の宗教の伝統を自慢し、自分の宗教の方が正しいと思いがちです。けれども、神が実際にさばかれるのは、人がどの宗教に属しているかによらず、一人

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36.ローマ2:17-18 宗教を持っていること、神の義を持っていること

36.ローマ2:17-18 宗教を持っていること、神の義を持っていること

  私たちは宗教の中で、何が善で何が悪かを知るべきだと教えられています。

  どの宗教もそう教えているようです。もちろん、これは真実でしょう。そして実際に感覚的にそれを私たちは知っているはずです。

  ただ問題は、「知っていても実行できない」ことがある、ということです。私たちは宗教的な戒めの知識は持っていますが、知っただけで自動的にそれを実行できるわけではありません。

  もしかしたら、私た

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33.ローマ2:12-13 神との関係回復?

33.ローマ2:12-13 神との関係回復?

  パウロはここで、律法を持たないギリシア人と、律法を持つユダヤ人の両者のことを話しています。

  律法を持っている人は、神の前で義とされるのでしょうか?いいえ。神の前に義とされるのは、律法を聞いた人ではなく、それを実行している人です。

  ユダヤ人は律法を持っているということで、長い間、異邦人に対して誇っていましたが、ユダヤ人であっても律法を実践せず、律法に従って神との関係を改善することはで

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27.ローマ2:1 "互いにさばき合う"という人間の性質

27.ローマ2:1 "互いにさばき合う"という人間の性質

もし二人の泥棒が互いに悪人呼ばわりして喧嘩していたら、滑稽です。でもそれは自分を悪人だと知られないようにするための演技であるかもしれません。

すべての罪人はそのように仮面を被っている、とパウロは言っているようです。けれども、誰一人として、仮面を被っているからと神のさばきを逃れられることはできません。

しばしば、私たちは他の人よりも良い人間であると認められようと努めているものです。

一体何が目

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(3)ローマ2:1-29 神のさばきと下される刑

(3)ローマ2:1-29 神のさばきと下される刑

人間どうしでなされる罪の行為について教える宗教、道徳規範は、ややもすれば互いに批判し合うための道具に早変わりしてしまいます。自分が変わるべきところを、相手のあら捜しをし、相手に変化を求めるような人間関係に陥ってしまうのです。人の基準ではなく、神の基準があることを知ることで、誰がより正しいかを競うのではない、いつくしみ深い神の判断を仰ぐ姿勢へと変えられるのでしょう。

27. "互いにさばき合う"と

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