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44.絶対的な神の義 3:5-8

5,では、もし私たちの不義が神の義を明らかにするのなら、私たちはどのように言うべきでしょうか。私は人間的な言い方をしますが、御怒りを下す神は不義なのでしょうか。
6,決してそんなことはありません。もしそうなら、神はどのようにして世界をさばかれるのですか。
7,では、もし私の偽りによって神の真理がますます明らかにされて、神の栄光となるのなら、どうして私はなおも罪人としてさばかれるのですか。
8,「善をもたらすために悪を行おう」ということになりませんか。私たちがそう言っていると、ある者たちから中傷されています。そのように中傷する者たちが、さばきを受けるのは当然です。

ローマ人への手紙3章5₋8節、新改訳聖書2017

 人間は「絶対的な義」を考える習慣がないので、人間の習慣に従って、「神の義」も「人間の過ちによってかえって神の義がより明らかになる」と考えてしまうのでしょう。

 では、人間が過ちを犯し続けることで、人間の不義と比較して神の義がより明らかになる方が良いのでしょうか? 神もまた、自分が罪人の中で崇められることを望むのでしょうか?では、人間の不義によって神の義がより明らかになることは良いことなので、不義に対して神が怒りを示すのは不当なことなのでしょうか。

 パウロは、決してそのようなことはないと声を強めて言います。

 神を弱い人間の上にふんぞり返って立ちたいと思っているボスだと考えてはいけません。神は絶対的に正しい方なのです。神はこの世をさばき、断罪する完全な資格をお持ちです。

 パウロの目的は、すべての人は、絶対的に正しい神を恐れなければならないことを、よく知る必要があると自覚を促すことでした。

考えてみましょう:諸宗教の神々は、団栗の背比べをする人間の作り上げたモノ過ぎないと思っていませんか。宇宙を創造した神が自分に語りかけているとはイメージできないでしょうか。

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