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40.ローマ2:25-27 「伝統」になった宗教の問題

25,もしあなたが律法を行うなら、割礼には価値があります。しかし、もしあなたが律法の違反者であるなら、あなたの割礼は無割礼になったのです。
26,ですから、もし割礼を受けていない人が律法の規定を守るなら、その人の無割礼は割礼と見なされるのではないでしょうか。
27,からだは無割礼でも律法を守る人が、律法の文字と割礼がありながらも律法に違反するあなたを、さばくことになります。

ローマ人への手紙2章25₋27節、新改訳聖書2017

 割礼を受けている人とそうでない人の違いは何なのでしょうか。パウロの時代、ユダヤ人にとって、2000年に渡るアブラハムの子孫であることの証明として、割礼こそが何よりも重要でした。「異邦人」とは、その割礼を受けていない人々のことだったのです。

 人はしばしば自分の宗教の伝統を自慢し、自分の宗教の方が正しいと思いがちです。けれども、神が実際にさばかれるのは、人がどの宗教に属しているかによらず、一人ひとりの行いによるのです。

 神のために良い行いをしたと自慢できる人がいるでしょうか。至高の神の目には、実は人の間に全く差はないのです。

 罪人を救うのは、民族それぞれに伝統としてある宗教ではなく、すべての根源である神です。お互いをさばくのではなく、神の前に謙虚になるのが、本来の宗教の目的だったはずです。

 愛を与えてくださるいと高き方を思い出して、他人と比較することをやめてみましょう。

考えてみましょう:あなたは宗教的な伝統に従うというより、生ける神の言葉に耳を傾けようと思って、聖書を読もうとしていますか?


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