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「浦和レッズのために働いています」と言い切る井口和彦さんの猛烈オタク人生

「ITオタクになればいいじゃん」

音楽大学の声楽科で培った歌声やエンターテイメント力を提げて、IT業界の名物営業マンとして駆け回るドヴァの井口和彦さん。その仕事ぶりなどは前回の記事で紹介した。

そんな井口さんは自他共に認める「オタク」。一つのものをずっと応援したり、やり続けたりする習性がある。ひとたび好きになったら、スッポンのように食いついて離さない。

2007年4月、右も左も分からずに飛び込んだITの世界で戸惑っていた井口さん。彼のオタク気質を知っていたドヴァの土橋社長から「おにいちゃん、ITオタクになればいいじゃん」と言われて、すっと気持ちが楽になったという。

「サッカー選手やF1ドライバーの名前は、昔からすぐに覚えられるんです。だから、仕事でも同じようにすればいいんだと。それからは、モーターショーに行くような感じで、ITの展示会へ訪れては、メーカーを覚えたり、巨大な機器を前にして、スポーツカーを眺めるように『かっこいいな! いつかこんな商品を売りたいなあ!』と思ったりしていましたね」

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技術的な部分の深掘りはエンジニアには敵わないが、営業として、さまざまなITサービスを知ったり、業界動向をしっかりと把握したりすることは大切だと思い、その道のプロになることに努めている。

井口さんによると、オタク度が増すポイントは、歴史を語れるかどうかだという。

「IT業界は企業合併がものすごく多いため、その変遷をつぶさに説明できると、『こいつ、分かってるな』と、上の世代の人たちにも喜ばれます。もちろん、ネットワークの歴史も勉強しましたよ。軍事的にどう活用されていたとか」

では、プライベートで井口さんがとりわけ肩入れするものは何だろうか。この質問に対して、井口さんは間髪入れずに答える。

「今は浦和レッズのために働いていますから」

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井口さんのレッズ愛、そしてオタク遍歴に迫る。

レッズとの劇的な出会い

1993年、井口さんが大学に入学した年にJリーグが開幕した。

井口さんは埼玉・岩槻出身。それまでサッカーをやったことも、見たこともなく、「キャプテン翼」を読んでいた程度だったという。

ある日、井口さんは大学の先輩からJリーグの試合観戦に誘われる。当時のJリーグは人気絶頂で、チケットを取るのは困難を極めていた。サッカーに興味がないとはいえ、またとない機会だと、二つ返事でOKした。

訪れたのはレッズの本拠地・駒場スタジアムで、対戦相手は鹿島アントラーズ。アントラーズはJリーグ初年度のチャンピオンで、ジーコ選手やアルシンド選手などタレントぞろい。かたやレッズは最下位。とても勝てる試合ではなかった。

だが、まさかの延長Vゴール勝ち。この瞬間、井口さんのレッズサポーター人生が始まったといっても過言ではない。「初めて見に行った試合で、劇的な勝利。興奮しましたよ。後々を考えると、私の勝ち運はすべてここで使い果たしたと思いましたね(笑)」

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それ以降、レッズにどっぷりとハマる。ただ、上述したように、チケットはそうそう取れない。特に駒場スタジアムはすぐに売り切れてしまうので、たまに国立競技場で行われる試合に足を運び、応援席に陣取った。

それから28年の月日が流れたが、サポーターとしての現地応援は今でも続けている。行けるときは毎週欠かさずスタジアムに通うほどだ。また、井口さんは長女を幼少期から一緒に応援に連れて行っていたため、すっかり長女も熱狂的なレッズオタク。ゴール裏のコアなサポーターメンバーに混じって観戦している。

「よく2人で遠征していますよ。クルマに乗って仙台や豊田、新潟などへ応援に行きました。2019年はACL(AFCチャンピオンズリーグ)のため上海まで飛びました」

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井口さんが思い出深いのは2006年のシーズン。クラブ創設以来、レッズは初優勝を果たしたのだ。人目をはばからずに大号泣した。

「最初に獲得したナビスコカップ以外、優勝の瞬間はすべてスタンドにいました。優勝するとレッズのお菓子を買って、社内の皆に配るようにしています」と井口さんは笑う。

コロナ禍になって、レッズに対するオタク度はさらに高まっている。ゲームなどが減り、クラブチームの収益が下がっているため、レッズグッズをたくさん買って支えるのだという気概を持つ。「今はレッズのために働いています。会社の業績を上げて、給料を上げて、レッズにどんどん投資します」と井口さんは意気込む。

マンセル選手が心の支えになった

レッズにハマる前、井口さんはF1オタクだった。

1987年に鈴鹿サーキットでF1の「日本グランプリ」が開催。日本にF1ブームが到来する。翌88年にフジテレビで再放送されていた「モナコグランプリ」を見たのをきっかけに、井口さんはF1にのめり込んだ。

「それまでは野球とかにも興味なく、趣味っぽいものがなかったんですが、F1にはハマりました。まだインターネットのない時代なので、本や雑誌を買い漁りました」

当時はアイルトン・セナ選手が大人気だったが、井口さんはナイジェル・マンセル選手を応援した。井口さんが音大受験に向けて浪人中だった92年、マンセル選手は初めてタイトルを獲得する。この活躍が井口さんにとって心の支えになった。

「マンセルとレッズは似ているんです。大一番でポカしたり、なかなか優勝できなかったり。F1は大好きだったけど、マンセルが引退したので、その熱量が全部レッズに行ったというわけです」

オタク活動が案件にも結び付く

社交的な井口さんは、しばしばオタク仲間を集めて、Jリーグのサポーター会や、モータースポーツを語り合う飲み会などを開いている。

また、立ち食いそばオタクでもある井口さんは、愛好者が集まるSNSグループに入っている。オフ会などを繰り返す中で、知り合った人の会社と取引が始まった。趣味が仕事の案件に結び付いたのだ。

「土橋社長に『どこで知り合ったの?』と聞かれたので、『立ち食いそばです』と答えたら、さすがに驚いていましたね(笑)」

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仕事柄、出張が多い井口さんは、そこでもオタク気質を発揮する。行き先の名産品や人気の飲食店などを徹底的に調べ上げるのだ。事前に習得した知識を地元の人たちに披露すると、「井口さん、いいね!」と盛り上がってくれる。

とにかく徹底的にやらないと気が済まないのです。知的好奇心が強いんでしょうね」

最近はサウナにも開眼して、出張先での楽しみがまた一つ増えた。人生をとことん楽しむという井口さんの欲求は、まだまだ止まりそうにもない。

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井口和彦(いぐち・かずひこ)
1973年、埼玉県生まれ。小、中学生時代は埼玉県鷲宮町(現久喜市)で剣道を、高校は埼玉栄高校コーラス部に所属し、部長として初の県大会金賞。国立音楽大学に進学し、声楽を蓮沼善文、小川雄二、クルト・ヴィドマーの各氏に師事。大学卒業後、飲食店アルバイトを経て2007年4月にドヴァに入社。現在Sales Unitのリーダーに。趣味は浦和レッズ、F1鑑賞等、多数の趣味がある。また、所沢バッハ・アカデミー横浜モーツァルト・アカデミーの演奏アシスタントを務めている。

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