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とても難しい、他者への優しさと思いやりの線引き。優しすぎるアナタへ

席を譲る。順番を譲る。お礼を言う…

優しさや思いやりは、その一挙手一投足を挙げていてはキリがないくらいに社会の至る所に介在しており、そこには必ず与える者と与えられる者が存在している。

無償の愛か、慈善か、情けか、自己肯定感か、はたまた世界平和のためか。

僕はこれまでの人生で、思いやりを他者にかけてあげられる人間が世の中には結構多いということと、そうした人々のお陰で人類はここまでやってこれたのだという気付きを得てきた。

その優しさや博愛や献身のようなものをまるで持ち合わせていない僕は、誰かからそれをかけてもらう度に、それに見合うだけの感謝とお礼を返そうと努力すると同時に、僕の持っていない能力を持つその誰かと自身の、人間としての出来の差に対して痛くみじめな気持ちにもなる。

彼ら彼女らは、穢れなき聖人である。僕は、持たざる者である。

さて、同時に持たざる者として、そんな人々をとても心配に思う事がある。

それは、思いやりをかけるばかりに

彼ら彼女ら(あるいはアナタ)は自己犠牲に走ってしまっていないか?

かけられた思いやりが返ってこないことがあることを忘れていないか?

思いやりの感度が高すぎるばかりに、それが自分自身のストレスになってしまっていないか?

…といったことだ。

情けは人の為ならず――かけた情けは自分の元へ返ってくると諺にはあるが、現実問題返ってくるかどうかは分からないし、回り回ってアナタに返ってこなかったら可哀想だし、たといアナタが見返りを求めずに他者を思いやっていたとしても、あなた自身がそれに苦しんでしまう必要もない。

世界の思いやりの総和が減ってしまうようなことがあってはいけない。

ということで今回は、思いやりとは真反対の捻くれた人間が自らのありったけを捻りだして、誰かを思いやれるアナタのような人間に、たまにはそれをサボってもいいということとか、他者へかける思いやりの基準はどうすべきかとかの持論を述べていこうと思う。


■他者への思いやりが自分の負担になってしまうのならば、思いやりレベルを下げたっていい

唐突が過ぎるのだが、アンパンマンで例えてみよう。

また、このアンパンマンは、バタコさんとジャムおじさんからの新しい顔の提供がなされない一度きりの顔であり、顔が無くなったら死んでしまうと仮定する。

お腹のすいている人へ思いやりとして自分の顔をちぎって助けてしまいたいが、そうした状況にある人を限りなく救おうとしてしまうと、今度は思いやりの主であるアンパンマン自身が死んでしまうし、その状況下におけるアンパンマンの心のありようは恐らく良いものではないだろう。

僕らの目に映るアンパンマンは敢然たる博愛主義の実践者であるかもしれないけれど、彼の意思がどうであるかについては一旦置いておいて、

この場合僕は身を削ってアンパンを食べさせるのはアンパンマン自身が困らない範囲に限定して欲しいと願ってしまう。

例えば、一人当たりに渡すアンパンの量を減らすとか、ちょっとお腹がすいているくらいの人は我慢してもらって、助けるのは今にも倒れそうな人だけにしようとか。

「ここまではこうして、ここから先はこうしよう」みたいな感じで(漠然)、自分の中の思いやりの基準を再定義したっていいと思う。

もちろん、TPOに応じて都度思いやりや優しさレベルを調節したっていい。

思うに優しさや思いやりは慈善事業である。行って誰かが得をすることはあれど、行わなかったことであなたが辛く思ってしまう必要はない。自らを下げる必要もない。

思いやりをかける側が、その心労によって自らを犠牲に走らせることはあって欲しくはない。健全な思いやりは、それをかける者が健全な心と身体を保障されている、充足している状態で初めて成り立つと思っている。

与え続けるのもよいが、人を思いやり続けるアナタ自身も、誰かから同じように思いやりの施しを受ける機会があってもいいと思う。では誰が。

まずは、誰でもないアナタ自身に自らを労わっていて欲しいと僕は思うのだ。

■見返りは求めない方がいいし、返ってこないと思うくらいが良い

小さな思いやりの積み重ねが上手い事地球を回しているといっても過言ではないのだが、その一方で悲しい事に人からの優しさや思いやりを何食わぬ顔で受け取り、つけ込み、何とも思わないまま食べてしまう人間も確かに存在する。

そうした人間の存在が、人を助けようとする人間の信念を悲しくも捻じ曲げ、必要のない犠牲者を増やしてしまっていることも事実である。

そうした人間がいるが故に、また、僕もどちらかというときっとそちら側の人間かもしれないが為に、そうした澄んだ心の持ち主であるあなたに、優しくしないという優しさのありようもあるという事をお伝えしたい。

「思いやり」についてのアナタの行動原理が、「それが必ず何らかの形で返ってくるという」期待に基づいて形成されている場合、それは誤りであり、報われない可能性が非常に高い。返ってこなくても構わないくらいの他の理由や信念(例えば、自己肯定感だとか)に基づいて成されるべきだと考える。

もう一度言うが、先述のようにあなたの親切を無碍にしてしまう人間が一定数存在している以上、見返りを求める行動はそれが返ってきそうな相手にのみ留めても良いと僕は思う。

少し汚い話だが、そうでないとアナタが壊れてしまいそうで心配なのだ。


■もし優しさやお礼の頻度に自分の心が追い付かなくなってきたら、回数を減らしたっていい

若干実体験を交えた話をすると、

何かの折に毎回、懇切丁寧が過ぎるほどにお礼を言ってくれる人がいる(褒めてる)。素晴らしい才能だと思う。

僕はただ、必要とされたことに必要なぶん応えただけなのだが、それに対する報酬という位置づけとしては余りある礼節を見せつけられることがあって、その優しさが眩しくて刺さってしまうくらいだ。

さて、そんな場面に差し掛かると僕はありがたみよりも、

相手(=ここでは僕)から同じような態度で同じようにお礼が返ってくる訳じゃないのに、どうしてそこまで?

お礼を言い過ぎるあまりに、もしそれが実態を伴わない通り一遍な口癖のようになってしまったら、外見はいいかもしれないがそれは良い事なのか?

というような感情を覚えてしまう。

そうした温かさとは対極に居る、冷淡で厳格な態度を取ることを厭わないような父性の塊のような僕からすると、そうした人々に対して

心情を知りたいという好奇心と、それと同じだけの疑問と、そして僕が頑張って得ようとしても絶対に得られない天賦の才とも言える社交性への嫉妬心のようなものが感じられてしまうのだ。

その素直さ、純朴さを、いつか悪い人間に良いように使われてしまうのではないかとか、その結果世間の汚れを知って擦れたアナタが次は悪い人間の側になってしまうのではないかとか、きっと不必要な妄想に僕を駆りたててしまう程である。

したがって、ありがとうという感情が自分に湧いていて、そこから自然と言葉としても「ありがとう」と出てくる――心と言葉がリンクしているのならば問題はないが、

義務感に苛まれるあまり、ありがとうと思っていないのに言葉だけの「ありがとう」が出てきてしまう――うわべだけになっているのであれば、それはアナタの為にも、巡り巡って他人の為にもならないと思う。

優しさ、思いやり、お礼、どれも自分のキャパシティーを越えてしまわない程度に留めたっていいのだ。たまには休んでくれ。


■あとがき

僕はどちらかと言えば人を思いやれない冷たい人間であるために、心優しい人間の精神構造がなかなか理解し難い。

本記事の中で主張している「思いやり過ぎも良くないから休め」というのも、不特定多数への無償の愛などは存在しないはずである、という前提に基づいているものだから、もしかすると根本から違っているのかもしれない。誰かを助けるのに理由は要らないのかもしれない。

しかし仮にそうであっても、本来人間と言うのは自分本位的に生きようとする動物であるはずなのだ。
つまり人を思いやれる人間と言うのは、良い意味で本来のあり方を超越した存在なのだ。絶滅危惧種なのだ。
何かハム太郎みたいになってきたのだ。

そういう訳で僕はアナタのような人間が羨ましくて仕方がない。だからたまには鈍感になってもいい、サボってもいい。というかサボって欲しい。何なら僕と同レベルの所まで転がり落ちてきて欲しいくらいだ。

でないと僕が酷いダメ人間の様に思えて、えらくどうしようもない。

ーーーーー

これは思い…重い槍。おしまい。

メシア(救世主)症候群」。本記事について調べものをする中で、異常な親切心はもしかすると病症の一つではないかというものを拝見した。普通の思いやりと異なるのは、人助けの目的がほとんどと言っていいほど「自身のコンプレックスの補完」に終始するという点である。本来、「人助け」という原因がまずあって、そこから「幸せになる」という結果が導かれるが、この患者は、自身の自尊心の低さや不幸を補う為に、その因果関係が逆転してしまい、自分が幸せになるための手段として、人助けをさせられることを人に強いてしまうようなのである。
――つまり僕が問いかけたいのは、総合してアナタの優しさは自分の為なのか、自分のコンプレックスの為なのか、はたまた誰かの為なのか、その根拠や信念をしっかりと振り返って、客観的に見た時にもその正当性が確認できた上で実践するべきだ、ということだ。とはいえ、メシア症候群はかなり極端な例だ。脅してしまって申し訳ない。これからも是非続けていってほしい。僕もそーする。





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