コーチングにしかないもの。
こんにちは。
今日は、私がコーチングをやっていきたい理由について、他のことでなく、なぜコーチングでないといけないのかについて書きます。
個人がコーチングを活用する目的や、それによって得られる効果、コーチングを受けるひとが増えることにはどんな意味があるのか、についても触れていきます。
(「そもそもコーチングとは?」という方は、そうおもったときに読んでほしい記事をまとめたのでよかったらご覧ください☺︎)
考える、決める、手足をうごかす。
コーチングを受けるにあたり、依頼者には自身の望む結果(目的や目標)が先にありますが、これに対しコーチングがもたらす効果は、おおきく2つあります。
それは、その達成に関わる
1 ) スピード
2 ) 確実性
がそれぞれ増すこと。
依頼者によって、望まれる結果はさまざまですが
未来に視線を向けて、現在の視野も広げて、今、何ができるか?
という部分に焦点を当て続けることは、どんな場合でも共通です。
そこに到達するまでのあいだ、望む結果に対して本人がどう動いていくか?
コーチはこのプロセス全体に伴走し、達成までのあいだに起こるさまざまなことを依頼者自身が舵をとって解決したり乗り越えたり、作戦を変えたり戻したりしながら、望む結果から的をぶらさずに進む助けをしていきます。
主体は依頼者、コーチは伴走者、といわれるのは本人が力を発揮できる環境を整えることにコーチが機能する、という感じだからかもしれませんね。
完全無農薬、不耕起栽培で農業をしている友人がいるのですが、彼らは作物という成果物を、自分たちが ”作っている” という意識はないそうです。
曰く、作物は土がつくっているものであり、自分たちは土をいい状態に保ち、土壌がポテンシャルを発揮する助けをしている。
私が考えるコーチのスタンスもそれに似ているな、とおもいます。
コーチとのセッションを活用することで、依頼者は望む結果のための適切な行動を続けることができます。
コーチングでは行動に重きを置いています。
というのは、何かおもうこと、描くこと、成したいこと、起こしたい変化、などがあるとき、最終的には、具体的に、着実に行動をすることしか実現の道がないからです。
【実際に手足をうごかす】ことだけが、変化を起こすことができる、という考えかた。このコーチングの世界観が私はとても好きです。
これまで、いろんな国や地域で仕事をしたり生活をしたりしてきましたが、難しかったり、しんどい状況を変えるきっかけをつくるのはいつも、嘆く以外の現実的な選択肢をとれる人たちでした。
逆にいえば、それを淡々とやることで何かしらのヒントを得ることができます。
実際の行動が望む結果に届かない場合も、そことどのくらい距離があるのかがわかるので、プランや戦略を練り直すことも視野にいれて再びトライができます。
良くも悪くも結果が出ることで、予測では見えなかった《自分のデータ》=より自分に必要な情報がシャープにとれるようになります。
《とる行動》を適切に、そして能動的に選ぶこと、
自分で決めた行動をしてみて、観察、検証していくことでブラッシュアップをしていく。
自分で決めているという納得感はモチベーションとなり、依頼者本人とコーチというふたりの視座、視点があることでより客観的な見方も可能になります。ベストな行動プランを選びやすくなり、続けることができる。
ふたりで戦略を共有し、チェックしながら進むことで《行動の質》が上がり、その結果がその都度、本人にとって有用な情報をもたらすので、望む結果を得るまでの速さ、確実さが増すというロジックなんです。
誰かに、それについて話す時間をつくる
自分が望むもの、目指す結果があるとき、そのことについて話す時間が生活の中にどのくらいありますか?
もっと言うと、それについて具体的に考えている時間がどのくらいあるでしょうか。
依頼者さんの中には、セッションで強制的にその時間を確保しているとおっしゃる方がいます。
【自分が目指していることの優先順位を上位に保っておく】
という効果を得ているんですね。
自分を過信せずに仕掛けで解決する、というやりかたです。
ここには2点の考察があります。
ひとつは、逆に言えば、そういう仕掛けが必要だと感じるくらい、依頼者がそれを成し遂げたいとおもっているということ。
もうひとつは、取り組んでいることが、意志の影響を受けにくい部分である、ということです。
2点めを詳しく説明します。
そもそも望む結果は、現状にはないものなので、イメージすること自体が難しいです。
これはどういうことか?
考えたことがないことなので、考えるのがしんどい、そして、実際にすぐにそれをしなくても困らないものなので、つい後回しにしてしまう。
これが、コーチングの最も機能する領域が《緊急ではないけれども重要なこと》だと言われる所以だとおもいます。
考え続けるぞ、行動し続けるぞ、という ”意志” でこれを実行するのは難易度が高く(不可能ではないかもしれませんが)
誰かと一緒に取り組むことで、結果が出るスピードと確実性を変える、これがコーチングの考えかたです。
依頼者は《自分の望む結果に近づくための行動を決めるプロセス》と同時に、《それに到達するまでの短縮された分の時間》も買っているとも言えるかもしれません。
有料、というよりすこし痛いな、と感じる価格である理由もこれに関係していて、(すこし無理をしてでも)この金額を払ったのだから、がんばって回収しよう、となる。
コーチングを受けたことのない人からすると、高いと感じられる価格かもしれませんが、
《買った時間》を適当に扱ってしまう行為にブレーキをかけるための金額設定であり、着実に行動するための仕掛けのひとつなんです。
コーチングセッションによって、
《望む結果にまつわるあれこれ》を話す時間をつくることで、その都度、そのための行動オプションを洗いだし、次のセッションまでの間に試みます。
この「話す時間」と「行動する時間」の全体を《コーチング》と捉えてもらうと良いのかなと考えています。
日々変化していく状況と、《望む結果》との関係性、距離感を確認し、行動をしてみてわかったことや感じたこと、それを受けて何を選ぶのか。
依頼者本人の価値観や人間性を中心において、
より能動的に取り組める、現状から1歩動くためのアイディアを広げたり、絞ったりして、自分で選択していきます。
この姿勢は、「コーチングにしかないもの」です。
問題解決の手段を提供するコンサルティングでもなく、過去にフォーカスするカウンセリングでもない、
今と、今よりあとの望む形や結果に向けて、
「今のあなたが、どうするのか」
を自分で決めていく。
コーチはともに状況を整理したり、シンプルな問いで関わります。
基本的に何かを教える要素はコーチングにはありませんが、コーチが自身の経験や価値観を開示をすることで、依頼者が現状から進むことができると判断したときは、メンタリングを行うこともあります。
こんな方に オススメできます。
答えを渡されるのでなく自分で見つけたい、自分なりのベストの選択肢をつくったり、可能性を探りたい、という人、自らそれを導き出すその過程で自身に積み上がるものに価値を感じられるような人。
そんな人にはとてもオススメです。
そうでないとしても、セッションを続けるうちに自ずとそういった回路が依頼者のなかにもできていきます。
起きていることに、自分が関与できる(あるいはしたい)ことか、そうでないかがまずあって、そうでない場合には他者の課題として分離することでより自分の課題に集中できるようになる。
どの瞬間でも、依頼者本人が主語であり、選択をし、行動をし、その結果を喜び、責任もとる。
これだけ聞くと当然のように聞こえますが、自分の選択に他者が入り込むことに辛さを抱えている方を何人も見てきました。
どこまでも合理性を追求し科学的な根拠を崇拝し、個を殺して他者に貢献する。
そういった価値基準と一線を画すのは、個を活かす仕組みになっているからなんですね。
他者や問題自体でなく、常に依頼者本人に焦点が当たり続ける。
合理性や効率という概念が悪いというのではありません。これはバランスの問題で、
ここまで "機能性" をマシンではない人間という動物に求めつづけた結果、今、どうなったのか?
疑問を感じている人は多いはずです。
本当に問われたかったこと。
自分自身に焦点をあてた質問をされることに多くの日本人の大人は慣れていません。
「こうしなさい」とは言われてきているけれど、「どうしたい?」と尋ねられる回数が、成長の過程で極端に少ないんです。
少ないというのは欧米と比べて、ということですが、
私自身、通算2年ほどの海外での就労や滞在経験からも、これは顕著な違いだとおもいます。
出会う外国人のほとんどが、初めは日本の良さについて話してくれますが、少し仲良くなれば、彼らから見てどうかと思う点も教えてくれます。
家族や自分の生活より仕事が優先(お金を稼ぎたい)なのが日本人なのかとか、自分のことを自分で決められないのは大人ではないとか言われたことも。
当時は自分も「そういう教育だしね」と流していました。
「丸く収めたかったり、自分の気持ちや感情をすごく自然に後回しにしているだけなんだけど、外から見たら確かにそう見えるよね」と。
ただ、今は自分にもできることが少なからずあるとおもっています。
そのひとつがコーチングです。
コーチングでは、受ける人の選択肢を増やすことができるからです。
それを選ぶかどうかは置いておいて、実際に手にとれる選択肢がどのくらいあるか、が大事で、
だって、あったとしてもそれを選ぼうと感じられないのなら、ないのと同じではないでしょうか。
やりたいことがわからない、どうしたいか決められない人がこれだけ多いのは、コーチングを始めて知ることになりましたが、
続ける中で、「こうしたい」は言えないだけで、ないわけじゃないんだなと感じています。
コーチングセッションで話されることの中には、「直面したことのない大問題」や、「ひどい第三者」がたびたび登場しますが、それら自体に焦点を当てることはありません。
問うているのは「それに対し依頼者がどうありたいのか、どんな関わりをしたいのか」ということだからです。そこに時間をかけます。
本人が「自分の考え」「自分の価値観」と認識していることにも「他の人の意図」が入っていることも多く、
そういう場合は「 "自分が" 望む行動」よりも「他者から見てとるべき行動はなにか」に注意が向いていて、正しい、正しくないの軸で言葉を使う方が多い印象です。
しかし
一旦セッションを始めてしまえば、《自分に焦点が当たること》を拒む人はいない。
ここが、私自身がコーチングという手法を信頼している理由でもあるのですが、それはたぶん、根源的な嬉しさなのだとおもいます。
自分としてみられる、扱われる、ということがです。
「あなたはどうしたいのか」
これが、ほんとうは問われたかったことなんじゃないか。
自分以外の誰か、何かとしての役割や機能を求められる、というのは、じつは誰も望んでいないのではないでしょうか。
「自分のまま取り組んでいい」「自分の価値観を否定せず進んでいい」ということを拒む人がいないという事実に必然性を感じるんですね。
コーチングを活用するかどうかを検討する段階で、活用の目的や期待することについて伺いますが、スタート後は毎回のセッションで、
実際に望む結果について起こしているアクション、付随して起きていることなど、自分に直接関わることを詳しく話すため、セッションとセッションの間の期間も【それを忘れていない】状態 ( 優先順位が下がっていない状態 ) になります。
人は思い出したことでできているというのはこちら↓の記事でも書きましたが、覚えている、というのは日々に効果を発揮してくれます。
人と違うことをしたいわけではない。
目指すものが、みんなが知っていること、周りが納得するようなことなら、応援されるかもしれませんが、
周りにやっている人がいなかったり、意味がなさそうだったり、遠回りに見えることの場合は(たいていは悪気のない)ネガティブな声をかけられることもあるとおもいます。
ただ、私はここに
「やってみたい、自分にとって必要だと感じることの選択を、他者との比較で決めていいのか?」
「合理的ではない、最短距離でないという理由で、やってみること自体を諦めるべきなのか?」
という問いがあります。
みなさんは どうおもいますか?
「他人と違うことをしたいわけではなく、やりたいことがたまたまみんなと違ってしまった人」
人と同じじゃないから、周りに認めてもらえないからという理由でいろんなことを諦めようとしている人たちのサポートをしたいと私は考えています。
「それをやって何になるの?」
という言葉で、歩みが止まってしまうのは、誰よりも自分自身がそう感じているから。
こんなことしてて大丈夫なのかな、と感じている自分も知っているからではないでしょうか。
ひとと違うことをわざわざ選びたいというわけではない。
たまたま違っただけで、でもその感情をないことにはできないから、キツイんです。
変化が必要だと感じたり、新たに挑戦をする必要があるとき、
同世代で、この会社で、この家族で、という狭い世界でロールモデルやサンプルが見つけられないとき「そこから出て、他を見にいく」とか、「そもそもロールモデルは必要なのか?」という疑問をみんなが持てるかというと、そうではないですよね。
だとしたら、違うんじゃないかと感じながら現状を維持するしかないのかというと、それも違うとおもいます。
ただ、どちらの場合も、
今起きていること以外のことを望んだり、手に入れたい場合には、自分が手足を動かさないといけないです。
その動きの大小でなく、何か、いまとは違うことを試みること。
この試みは、続けられることが大事で、そのために自分が能動的に選んだものである必要があります。だって、これまでと違うことをやるのだから、すぐには上手くいかないじゃないですか。
それが簡単かというとそうではないから、誰かとやることで成功率(達成の確実性)をあげませんか、というサポートの形がコーチングなんですね。
「それは無理」「意味ない」って他人から言われてやめるのと、
自分でやってみてから「こりゃ無理だ」「意味ないや」って自分で【わかって】判断するのとでは、まったく違う構図なんです。
結果的に何を選ぶのかは関係がないんですよね。
自分として生きていくには。
ドリームキラーという言葉を知ったとき、
どんなに手を尽くしても、他人の言動が自分の行動を失速させることはなくならないだろうとおもいました。
よくないという結論には満場一致なのに、いじめやパワハラがなくならないのと同じで、こちらで何とかすることが並行して必要です。
問題がどちらのものかという視点でなく、自分からその問題に近づいて、よく見ること(理解すること)で戦略を立てる → それが功を奏すから、自分を保つことができる。
この【戦略の立て方】を伸ばすほうが、阻害されることが減って目指すところにいきやすくなるとおもうんです。
他人の行動は制限できず、何が正しくて何が許されないのか、結局のところよくわからない。
その中で日々選択して、先のことを決めていくのはけっこう重労働です。
それでも、自己決定権を手放さないでいること。そのために考えること。
自分として生きていくにはそれがすごく大事で、コーチングはそこに機能し、下から支えることができるものだと考えています。
依頼者にとって、信頼関係があり「わかってくれている」と感じられるコーチがいることは、順調なときより困ったときにこそ効果を発揮する。
すごくリアルで独創的な手段だな、とおもいます。
今日は、コーチングに「しか」ない、それが可能にすることについて書きました。
読んでいただきありがとうございます。
自分がコーチングを選ぶのは、この形が好きというのもありますが、
コーチングを受けた経験を持つ人が増え、この考えかたを他者や自分と接するときのオプションとしてもっている人が増えることが、絶対にみんなを楽にするとおもうからです。
距離をとって相手をよく見つめることは冷たさでなく優しさだし、
その距離だからこそ見えた何かをフィードバックできれば、それは相手へのギフトになる。
ビジネスのイメージも強いコーチングですが、すごい上昇志向の人とか、スピリチュアルな意識がつよい人だけでなく、普通のたくさんの人に気軽に活用してほしいし、それぞれのスタイルや段階に合わせて効果を発揮するものなので、
自分にとって、必要になるとしたらどんなタイミングだろう、という視点も持ってもらえたら、とおもっています。
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