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理解と体験の interactive

新年あけましておめでとうございます。

今日は、理解のタイミングのズレ。

《体験から知ること》《知ってから体験すること》の双方向性について書きます。

トップ写真は、スペインバスク・サンセバスチャンに滞在したときのものですが、この写真を撮って画面で見て初めて「ああ、東向きの部屋に泊まっているんだ」とわかりました。

朝になって東から光が差し込んでいて、初めての土地でも、いまやグーグル頼りで方角なんて気にしないけど、体験が先にあって(朝陽が差し込むのを見て)理解があと(建物の東側に部屋があると気づく)のパターンですね。

どちらかだけでなく、その両方を行き来して【わかりたい】

そのあたりのことを、今日は書きます。

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理解は言葉、体験は感覚


やりながら学ぶこと。
学科と実地の同時進行が好きです。
知識として得たことを体験して腑に落ちたり、体験したことを理論で裏付けたり。

水に触れた冷たさは言葉では伝えられないと言うけど、なんでも、
まったくそれを知らないひとに伝えるのはとても困難で、これは《自分が既にできること》の原理を説明しないといけないときにとても強く感じていました。


前提が通じない相手に話すのは、異星人に話すのに似ていて(会ったことないけど)これは同じ体験を持っているわけではないから、なのですが、特に感覚的なことを伝えるのがむずかしいですよね。

たとえば(わかりにくい例えで申し訳ないのですが)

ラテアートを教えるときに、蒸気で温めた牛乳のどの部分をどう使って描くのかというのは、ミルクの比重などの説明はできますが(理論)

手の感覚を伝えるのがむずかしい。(体験)

葉っぱを表現したアートで、《ウイングロゼッタ》というものがあります。

これです。いつのだろう。なつかしい 笑

ミルクピッチャーを左右に振って波のようにアートを描いていくのですが、(ここを”ウイング”と呼びます)

この《振り》の感覚を伝えるのに本当に苦労しました。

最初はこの振りの部分を、水でずっと練習するのですが、ピッチャーの中で揺れる水の重さを左右に感じるのと、《実際の手の動き》のみぎ、ひだりがピッタリ合ってこないときれいに描けないんですね。


自分が感じたように表現するしかないのですが、自分(私)の感覚を言語化した一語一語が相手に入って相手の言語に変換されるときに意図がずれるのだとおもいます。

どうしても言葉では説明しきれないので、やってみせたり、手を添えたりして教えるのですが、本人の中で、《ピッチャー内の水の動き》と《手の動き》が合わさったときの《体験》が持てないと、たぶん《理解》できないんです。(私もそうでした)


こちらから教えられるのは、こういうこともあるし、こういうこともある、という事例のみで、特に自分の場合は、求められるまで助言をしないので(助言がほしかったら言ってほしい、とは伝えますが)

本人のなかにその体験が起きるまでは理解してもらうことが難しいんです。

もちろんお店ではできる限りがあるのですが、まだそれをできない本人が、

《やってみて、考える、それをもとに、またやってみる》

この過程で味わういろんなことが、すごく価値が高い気がして、そういう時間を【奪いたくない】なあ、とおもっています。


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視点を変えられるひと

少し話が変わりますが、やりたいことがいくつかあってどれも本気な場合は、それらを同時進行でやることになりますよね。

自分の場合、エスプレッソと、料理、両方のスキルを集中して得たかった時期があって、どちらも、より専門性の高い場でやりたかったんですね。


以前の記事より引用します。

朝はコーヒーショップで思い切りエスプレッソマシンを使い、忙しい時間にワンオペレーションで作る杯数を独占する。

午後は移動して、ほとんどの食材を自家製するレストランで自分に必要な食材の扱いを学ぶ。

傍からみて理解されにくいことだとしても、限られた時間で技術の向上を求めると必然の選択でした。

ひとつの店でどっちもできる、という状況ではなく、それぞれの専門性の高い場所を求めることを譲らなかったのは、《ラテアートができる調理師》も、《調理師免許をもったバリスタ》も多くはなかったから。

希少性を価値と捉える考えかたです。


とはいえ、どちらの職場からも「いずれはウチ一本に」という声はありました。

それでもやっぱり【「どっちもこのレベルで」やりたくて】
考えた結果、どちらにも正直に話すということをしました。

自分には、どういう理由で何が必要で、どうしたいと考えているのか。

というのは、

自分には得たいものがあるという都合があるけれど、
相手からすれば【私でないといけない理由】などないわけで、全部フルフラットにして、その仕事をする人員を志望者全員からの適材を選ぶわけです。

その全員のなかから、ここはこの人に来てもらいたいと感じてもらわなければいけない。

その職場1本で週6フルタイムできているひともいれば、ダブルワークパートタイムで週4のひともいる。

長い時間その場所にいること」だけをアドバンテージとして捉えるなら、従事する時間の短い、掛け持ち週4パートタイマーには勝ち目がないことになる。

でも、本当にそうだろうか?

必ずしもそうではない、んじゃないか?とおもいました。

それまでいろんな場所に行ってきて、価値観やルールが変わる体験をたくさん持っていたのがよかったのか、

特に自分に都合がわるいときに 笑

「それしかないのかな」って考える傾向がつよいんです。

よく言えば多角的な見方ができる、ということで、悪く言えば諦めが悪い。笑

相手にうまく価値を提示できれば、自分の希望も通る(可能性がある)んじゃないか。

というのが自分の結論で、わざわざ自分から諦めることはない。
自分がその場に適材かどうかは、相手が決めることだからです。

こちらからできるのは、自分ができることと、できないことを伝えるだけ。
ご判断いただく材料を提供するだけです。ここは技能的なことだけでなく、モチベーションの部分も。

スタッフみんなが同じ形の同じ機能を持ったパーツである必要はなくて、バラバラの特性をもったそれぞれをどう起用してなにを得るかというさながらウィニングイレブンのような考えかたを、ボスがしてくれれば。

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他の職場、現場と行き来しているひとのいちばんの強みは、

その場に染まっていないこと、だと考えていました。

言い換えると、違う視点を持っていること。

技術的なこと以上に、自分の場合はこれが価値になったのではないかとおもいます。

というより、別の視点があることが、スキルアップのスピードを速めたのかもしれません。

ひとは自分が今取り組んでいることに寄っているから、

ひとつの職場で取り組んでいるひとは、その場所で起こることについてはよく知っているけれど、視点が固定化しやすいんですね。

対して、他との行き来をする人間がいると、そのひとは他にも取り組んでいることがあるから、ひとつの現場に寄っていない状態。

ひとつの現場に対する情報量は少ないけれども、視点が柔らかく固定されていないから、客観的に状況を見ることができます。

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お互いにメリットがあるところで手を打つ

希望の叶えかたにはいろんなやりかたがあって、というかあって良くて

その道一本が悪いというわけではないし、まだまだそれが主流なのだともおもいます。

でも、すべてのひとがそこを目指さなくてもいい。

もっと言うと、「自分の場合はどうだろう?」という視点をもっていない(あるいはすっ飛ばす)ことが問題なんです。

自分がしたいとおもうことをするとき、それが仕事として成立するとき。

もっとお互い(雇う側、雇われる側)知ったほうがいいと思うのは、それを、どこで合意したいか の部分。

◎なにが求められていて(困っていて、解決したいことは何で)

◎それに対してどのくらい何ができる(していく)のか

ということ。

仕事のしかただけではなくて、

自分の実現したいことや、暮らしのバランスをとるというのは、それぞれの要素にその視点を取り入れることだとおもうんです。

もっというと、そのラインを決めること。
仕事や生活のいろんな要素に対して、どう付き合いたいのかを持っておくこと。

これは、考えたり、試してみないと急に【わかる】ようにはなりにくいので、

《やってみてわかること》を増やして、体験と、理解と、両方で輪郭を探って、つくっていくしかないとおもいます。

やりながら考える、考えながらやる、という作業。

そのうえで、自分にとっての現状のベストをつかんで、相手にとってのそれと照らし合わせ、お互いにちゃんとメリットのあるところで着地する。

みんな訊かれないから言わないだけで、
叶うと思っていないから口にしないだけで、

これがベストの形でも、やりかたでもない、という人は少なくないのでは?とおもっています。


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理解と体験は行動指針の両輪

あれもやりたい、これもやってみたい、欲をいえばこんなことも興味がある、といったとき

複業とか趣味とか、急に分ける必要は必ずしもなくて、仕事として成立するか、将来的にやっていけるのか、とか、そういうこともいったん横に置いて
少しやってみる。わかったことをもとに、もう少しやってみる。

きっと必要なのはそういう時間で、根拠のない《ひとつにしなさい》の呪いにとらわれて

「やってみたいとおもっている自分」を認めてあげないというのは、とってももったいないことだとおもうんです。

そして、そういったことを抱えているひとがとても多いように見えるときがあります。

「(自分がそれを)本当にやりたいのかどうか、わからないから行動できない」

という声をきくことがあります。

ほんとうにやりたいかどうかなんて、本人にしかわからないし、なんなら本人にもわかっていないことも多いし、考えてもわからないことも多い。

コーチングの領域では本当によく、こういうことがあります。
セッションにおいて、行動に移せるようにサポートしたり、促す背景にはそういう理由があるんですね。

「うまくいくかどうか」より「どの地点にいるか」という現状把握の意味もおおきいんです。

正直な自分の想いに自分から蓋をする。

これはしなくていいことです。

自分からそれをしなくても、変化のために行動をはじめると、周りが蓋をしにやってきますから。笑

だからといって行動しなかったほうがよかった、とは誰も言わないです。(一時的には「やめときゃよかった〜w」くらいは言いますが)

だから、自分にダメ出しをするかわりにまずは、あれもこれもやってみたらいいとおもう。だって

うまくいかなくても、自分の結果が得られるのだから、それは価値ではないでしょうか。誰かの答えではない、自分の結果なのだから。

そういうことを、実際にやったことがあるひとが応援してくれるパターンが多いのは、可能性を体験したことがあるからだとおもいます。

どのくらいダメで、どのくらいは通用したか。それでどうおもったのか
その《実感の価値》を知っているから。

その過程ごと、体験として持っていることが条件で、そこからいろんなものを見る目が変わって見えていなかった情報を得て、理解になるとおもう。

そうすると最初から無理とはなかなか思えなくなる。味をしめるというか、自分から諦めることにやはり《もったいなさ》を感じるようになるんです。

《ある程度はできるかもしれない可能性》を持ったことがあるからですね。 何かに直面したときそれを想起できるかどうかは、過去の体験にかかっているから。

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ちいさな体験をして、可能性を裏付けしていく。
理解と体験を【繰り返す】のが重要で、それはセットなんです。
「できない可能性」「失敗の可能性」が本当によく取り沙汰されますが、そういう言いかたをするなら、同時に【できる可能性も存在している】ことになる。

”できない”  が100パー確実であるなら、”可能性” という表現にはならないでしょう。


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態度と言葉はコミュニケーションの両輪


自分がどうしたい、どう扱われたいということを伝えるのはそれだけでわがままなのでしょうか。

伝える先と自分の間に敬意があることは必要ですが、
まずは伝えることが大事で(伝えかたも)

伝えたときの反応を想像することに時間を使いすぎるのはあまりいい考えではないとおもいます。

自分が我慢することに美徳を感じるひとも多いから言いにくいですが、

「我慢すること」 と、「相手を尊重すること」は 同じではありません。

理解されないことも多いかもしれないけれど、
自分がこうしたい、という主張はやっぱり自分しかできるひとがいなくて

それには、「自分が何を主張したいのかをわかっていることのほうが本質的には先で、口に出しても出さなくても、それが大事なことだとおもう。

なにより、主張せずにわかってほしい、と相手に投げるのは何が困るって
相手の理解に頼る、という意味で不確実極まりない。

ひとは好意や理由がなければ他人をわざわざ理解しようとしないので、これは、本当にわかってほしいときには手段として頼りなさすぎるんです。



相手の理解度に合わせて言葉をつかっていくこと。

それができれば、相手も尊重しながら、自分の希望も叶えられる確率が上がります。

おおげさに主張をする、ということでなく、自分で決める、やってみる、という小さな選択と行動が《態度》として表に出るのだとおもうし、そこには理解と体験のインタラクティブがあります。

どの体験をどう理解して、その行動を選ぶか、それが自分でわかっていると、

「自分はこういう理由で(あるいは理由なく)これを選びます。」

素直に伝えることができるとおもうんです。

体験と、論理と双方向性のやりとりで【わかった】ことは、言葉にできると同時に、態度や行動にあらわれるからです。


状況が変わりやすく、先が読みにくい今のような時代はまさに個人として、そこが求められているとおもいます。

自分の向かう先を自分で決めること。

情報に踊らされるのでなく、不安に弄ばれるのでもなく。

本人が意識していない行動にこそ、センスや価値観がにじみ出るし、そういうひとは説得力があります。なにより魅力的だとおもいます。

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今日は、理解と体験のインタラクティヴというテーマで書きました。アクティヴラーニング、とも言えますが、もっともっと、身近な感覚のニュアンスを伝えたかったので別の言葉で書きました。

読んでいただきありがとうございます。

世の中がパニックのような状態になるのは歓迎できないけど
このままじゃだめなのかもしれない、という危機感によって取捨選択がなされ、変容がもたらされていくのは悪いことばかりではないはずです。

試されている、という自覚をもって、今年もやっていきたいです。


フリーのコーチ、バリスタ、COOKをしています。

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