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神は過ちを犯さないのか(Conway the Machine「God Don't Make Mistakes」全曲解説)

はじめに

まず、当アルバムのタイトル「God Don't Make Mistakes」について、少々脱線しながら話していきたい。
そのためには、2020年、自身のレベールDrumwork、Griseldaの両レベールからリリースされたソロデビューアルバム「From King To A GOD」に触れなければならない。
「From King To A GOD」(以下FKTAG)は、「God Don't Make Mistakes」(以下GDMM)のリリースを前提にして制作された。つまり、これらのアルバムは同じ文脈にあり、二部作といっても過言ではない。
両アルバムのタイトルは直訳で「王から神へ」、「神は過ちを犯さない」である。
それ故に、GDMMというタイトルの真意は、「王から神になったConwayは、もう下手を打たない」という強さの誇示であると共に、自身のレーベルで活動することへの決意表明にとれる。(当アルバムは、メジャーデビュー作かつ、Griseldaを抜け、Eminem主催のレーベルShady Recordsからリリースされる最後のアルバムである。)
また、FKTAGのイントロダクション「From King」で、Conwayは、自身が神になるとはどういうことであるか、Alan Wattsというイギリスの哲学者のスピーチを切り取って説明している。
"自分が神であることを知ること。それは自身と宇宙が完全に一体化していると感じることだ。"から始まるこのスピーチは、宗教的な神よりも、東洋哲学的な思想に基づく、自我を超越した悟りに近い神について語っている。
実際、Alan Wattsは無神論者である。また、Conwayにとって"今までで最もリアルな詩"である「The Cow」という楽曲で示されたように、Conway自身も無宗教であることを公にしている。
それでもConwayがクリスチャンラッパーのレッテルを貼られることが多々あるのは、神を信じ、神という単語を頻繁に使用するからだろう。
そもそも、Tyler, the Creator、Earl Sweatshirt、Childish Gambinoなど、単に無神論者のラッパーも少なくないが、「I believe in god, but not religion」という考え方は、アメリカではもはや珍しくない。JAY-Zも同様の発言をしている。

そのため、GDMMは、アルバムを聴くにつれて、その言葉の本来的な意味、神への信仰も包含していることも分かってくる。
「神は過ちを犯さない」…果たしてそうだろうか?
戦争、差別、不条理、苦痛、憂鬱が溢れるこの世界で、そのシステムを創り上げた神が、過ちを犯していないとなぜ言えるのだろうか?
祈りながら死んでいった人間が幾人いただろうか?
私たちが想像する偉大なる神は、ある一種の、七十億ある生命体のたった一つの個人的な事情に介入するほど矮小なのであろうか?
そもそも、全能であるはずの神が作り上げた過ちのない完璧な世界に、変更を要求すること自体が撞着しているのではないか?
全知全能善なる神はいない。このことは、この世界の有り様からして、もっといえば"不幸な私"の存在からして、ありえない。
これらから、神がいるとしても、信仰に値する神はいない。神を、とりわけ創造神をなぜ信仰するのか、なぜ呪わないのかが私には少しも理解出来ない。
しかしこのアルバムは、特に私たち日本人が理解しがたい、信仰の理解を手助けをしてくれる要素もある。

とにかく今作は、間違いなく彼にとって最もパーソナルな作品であり、今聴く価値のある作品でもある。
では、アルバムタイトルの意味を考えながら、信仰への疑問を抱えたまま、アルバムの内容の解説に入る。今回は主に、アルバムの流れ、Conwayの周辺、思想について、楽曲に触れながら紹介していこうと思う。
しかし、Conwayのリリックの良さはその語彙や表現にもあるため、今回は割愛したが、ぜひリリック全てに目を通しながら聴いて欲しい。

1、Lock Load

アルバムのイントロダクションは、重苦しいビートに乗せ、Lock Load、Lock and load、つまり弾丸を装填することをタイトルにしたこの楽曲である。
まずConwayは、"どこに行くにも銃を携帯し、クソどもを見逃さない。許さない。なんなら試してみるか?"と強い口調でラップする。
そして、"死ぬまでGriseldaだ。仲間のため、人生のために決して転向しない。それを誓う。"とGriseldaを抜けてもそのマインドを一生持ち続けるというようなGriseldaファンには嬉しい宣言をする。
続けて、"ここで俺たちはどう遊ぶのか、分かるだろ?"とラップする。この楽曲では、自身の強さを誇示すると共に、バッファロー出身のConwayが、未だにストリートから抜け出せず、物理的、かつ精神的にも銃を装填したまま生きていかなければならないことを示唆しているのである。

さらに、"奴らに撃たれてから、俺はもうどうでも良くなってしまった。理性を失って、ARをぶっぱなした。"とラップする。
彼は2012年、首に近い後頭部と肩を撃たれ、顔面麻痺を負った。Conwayはこのことについて、とりわけ顔面麻痺について、このアルバム中で何度か触れる。
この楽曲中でも、"俺の顔について話せても、リリックについてケチはつけられない。"とそこに触れながら、ラップへの自信をのぞかせる。

続いてJAY-Zとのビーフ(2015年に解消済み)で知られ、Conwayと同じくイーストサイド、北ペンシルベニア出身の大御所ラッパー、Beanie Sigelのバースに入る。
彼もConwayと同じように、2014年、子供を学校に送った帰り、何者かの襲撃に巻き込まれ、腹部を撃たれた。それにより肺を切除したため、声が変わってしまった。
自身とこのような接続にあるSigelを、Conwayは、アルバムの重要なイントロダクションに起用した。
Sigelは"211s, no turnin', no 187s"と、強盗も殺人も懲り懲りだ。(211は強盗を表し、187は殺人を表すアメリカ警察のコード。)といったインタールードからバースを始める。
しかし、バースに入ると、"殺して壁を赤く染める。"など物騒な内容で、"時々自分を偽善者のように感じる。奴らを殺す。ツアーで金を稼ぐと、邪悪な思想に戻ってしまう。"とした上で、"魔物と調和して""悪魔と踊る。死の宣告だ。"とラップする。
このバースでは、ストリートで育った彼が、犯罪を厭いながら、かつそういった攻撃性から逃れえないことをスピットする。

そして二人は、一つ一つ銃弾を込めるように、Lock、Loadと重くコーラス。
最後には"boom boom boom Doot doot doot Brrrrr"とConwayによるけたたましい銃声が鳴り響くのである。
この楽曲は、強さの誇示であるとともに、ストリートから抜け出せないことへの憂鬱、銃弾を込めるように周囲を警戒し続けなければならないことへの疲労感なども感じられる。また、このイントロダクションから、アルバム全体の雰囲気が提示されており、アルバムはそれに沿って、ある程度陰鬱に進行していく。

2、Tear Gas

またしても物騒なタイトルである。この楽曲では、フロリダを代表するラッパーRick Rossと、誰もが知るレジェンドラッパーLil Wayneを客演に、Cozmoによるビートに乗せてラップする。
これらのビートは、Bennyが「みんな俺とConwayはブーンバックビートでしかラップ出来ないと思っている。」と嘆くほど、Conwayに、当然Lil Wayneに、そしてRick Rossにもマッチするビートだ。
内容はLock Loadの流れを汲みながら、Conwayの内面的な葛藤を吐露する。
"俺は水面に頭を出し続けようともがき、確かな地面に足をつけようとしているだけだ。"
"PTSDから、タバコを大量に吸っている。"
と始めから暗い内容である。
そして、"多分、花の匂いを嗅げるうちは花を手にすることは出来ない。俺がレジェンドだってみんなが気づくには、早すぎる死が必要だ。
みんなが俺の葬式で、まるで俺の本当の仲間だったみたいなキャプションをつけて、写真を載せることが今なら目に見えて分かる。"
"俺の人生が美しかったことを奴らに知らせるために、俺を宝石と一緒に埋葬してくれ。"
Conwayは、撃たれた経験、死にまつわる様々な体験(後述)によるPTSDから、死の予感を拭いきれない。
またこの一節は、2020年、Instagramに投稿された。彼がいうように、そういった歪んだ自己顕示が起こりうるSNSではあるだろう。

続けて、PTSDの一要因であり、Conwayにとって最大の不幸に触れる。
"自分の子供に二度と会えなくなる感覚をお前は知らない。"ここで、自らの子供を亡くしたことをカミングアウト。
しかしConwayは、"俺は生きてるから話すんだ。(死の)イメージなんて関係ない。俺はまだ始まったばかりで、俺の物語はまだまだ終わらない。"と続ける。
また、"服役から帰ってきた弟が輝くのを見たい。"と明るい希望を持ってバースを終わらせる。

コーラスでは、"俺が撃たれた時、そこに誰もいなかった。俺がお前を一番必要とした時、お前はそこに、俺のためにいてくれなかった。奴らが俺を恐れている気がする。"と不安げに語る。
ちょうどKendrickが「u」で悔い、自己嫌悪に陥った原因と真逆の目線で、仲間への信頼が揺らいでいることをラップする。
そして、"Bagを手にしてまた別のBagを手にする。俺はゾーンに入ってる。奴らはおそらく俺のことを恐れている。"
と大金を稼ぐこと、ドラッグディールにおいてハッスルすることを表すスラングBagを用いて、その両方の意味合いを含ませながらラップする。

ここでLil Wayneのバースに入る。リリックにおいては「いつもの」といった主にセックスを表現したリリックではある。
しかし、コーラスの流れに沿って、スムーズにバースに入り、Conwayを引き立てながらも、巧みな表現と素晴らしいフロウで魅せる。
このレベルの完成度を持ったバースを、信じられないペースで量産し続ける、多作という才能が最も似合う彼は、"玉座を車椅子のように感じる。"こともある。
その上、"俺は半分死んでいるようなものだ。旗は赤いままだ。"と今でもなお精力的に活動することを誇る。
いつまでたっても最前線にあり続ける彼を、同業者たちは"恐れている。"

少しの間をおいて、Rick Rossの短くも存在感抜群のバースが続く。
自らが大金を持っていることについてラップすると共に、彼が未だに危険のただ中にあることを"狙撃手が現れたら殺し屋に連絡する。"という表現に落とし込み、"銃とドラッグをパラノイアのために持っている。"という緊迫した心情も吐露する。

つまり、楽曲のタイトルTear Gas(催涙ガス)とは、子供の死、仲間への不安感、危険と隣り合わせの生活、PTSDやパラノイア、大金を稼ぐことへの強迫観念など、涙や苦痛を誘いながらも、実体を持たないガスのような体験を表しているのである。

3、Piano Love

Shady Recordsからリリースされた最初のシングルであるこの楽曲は、結果的にGDMMの先行シングルとなった。
ConwayやGriseldaとも数多くコラボしているThe Alchemistがプロデュースした、タイトルやリリックにある通り、暗く不気味なピアノの旋律が美しいビートに乗せ、無骨にフッドについてラップする。
"Griseldaは勝ち続ける。それを止める方法を知らない。"とラップし、狂ったフッドを、"少年がリーンと酒をやめ、禁断症状に喘いでいる。"という一節に凝縮させる。
その上で、"棒や石では俺の骨は断てないし、弾丸すら俺を傷つけられない。"とそのフッドを生き抜いてきた自信を誇示する。
実際に、撃たれた傷はほとんど致命傷に近い状態だったそうだ。それを顔面麻痺のみに抑え、仲間の助けを借りながらもキャリアを再スタートさせたConwayは、心身ともに相当タフである。

続いてConwayは、そんなフッドへ愛憎をぶつける。
"学校を中退して、プッシャーになることを決めた少年は、包丁を持ってお前のガレージに潜む。"
"女たちは俺のために盗みを働くほど俺を愛している。"
"みんなは白昼堂々(警察から)罰を受ける。残念な事だ。"
とフッドで日々起きていることを淡々とラップし、
"お前が苦痛を経験しない限り、俺のフッドでは尊厳を持ちえない。"としながらも、"俺は俺の街で眠りながら、このクソなゲームについて考えている。"とフッドを愛していながら、そのシステム自体を批判的に捉えている。
フッドへの愛憎、と言うよりも、フッドへの愛が、このシステムへの憎しみを増幅させていると言った方が適切かもしれない。
これはストリートに、Hiphop本来的な土壌に、黒人に生まれた多くのラッパーに当てはまるだろう。

4、Drumwork

4曲目は、自身のレーベルDrumworkをタイトル据えた楽曲である。そのため、同レーベルのメンバーである7xvethegenius、Jae Skeeseを客演に起用している。
まず、Griselda所属で、この楽曲のプロデューサーでもあるDaringerに敬意を表し、Conwayが彼の名前をつぶやくところから楽曲は始まる。
"俺は最も見落とされていた。だが今は最も注目されている。"とバースを始め、"俺のバースはまるで俺の人生、俺を撃った奴、俺が作ったドラッグについて語る小説のようだ。"とラップする。Conwayは頻繁に自身のリリックを本になぞらえる。それは彼のストーリー性を持ったリリックにはピッタリの表現だろう。
また、"パンデミックは黒人を痛めつけ、ショーも予約出来なかった。"とも語る。
パンデミックは、多くの黒人の命を奪い、人種格差を浮き彫りにした。
そして、"OGは「感情は胸に秘め、成功でそれらを殺せ。」と言った。"とConwayは語る。
今まででのConwayは、OGのいう通りに、徹底的に強さを誇示し続け、成功のためにハードワークをこなし続けていた。
しかし、今回のアルバムはかなり感傷的であり、OGの言ったことと反する。
Conwayは、"OGはコカインの作り方を教えてくれなかった。車も宝石も全部自分で買った。俺が破産した時、誰も救いの手を差しのべてくれなかった。全部自分でやったんだ。"と結局自分一人で人生を歩んできたことを語り、自らに閉じこもるのである。
またここで、救いの手を差しのべてくれなかったのは、神も同じである。
この楽曲で、さらにアルバムタイトルに対する、神を信仰することに対する私たちの疑念が色濃くなる。

続いて、Drumworkより、注目のフィメールラッパー7xvethegeniusが、不安定で面白い発音と、言葉尻で分かりやすくライミングする、行間を詰めた"クレイジーフロウ"を携え、バースに入る。
彼女は、"クレイジーな人生と長い間戦ってきて、手が痛い。"とラップする。
これは、彼女が人生の艱難を常にリリックにしてきたことが示唆されてると共に、彼女にとって、人生に打ち勝つ方法は作詞すること、ひいてはラップミュージックだった、ということもこの一節だけで読み取れる。
以前書いたように、Hiphopの表現が促進させた、説明しない、語りすぎない芸術性、その詩性を"リリカル"という。その意味で、彼女はリリカルラッパーだと言えるだろう。
そして彼女は、"傷つき、傷つけられ、鬱になり、それを克服出来なかった。"と語り、"今は精一杯頑張って病院に通っている。"とも語った。
そしてそれを、"障害物の可能性"と表現し、それら全てを含め、彼女はラップし続けるのである。
このことは、Conwayにも共通しており、「これまでの経験は全部俺の楽曲のベースになってるし、経験してきた全てのことが俺をもっと成長させる糧になってるんだ。」と以前インタビューで語っている。
最後に、彼女の読みづらい名前に触れながら、"私の名前をどう呼ぶかより、もっと大事なことを心配しなければならない。"と語る。

最後は同じくレーベルメイトであるJae Skeeseのバース。彼は自らを尊大に表現すると共に、"生で見る俺たちの伝説、今こそ俺たちにヒナギクを贈る時だ。"と、 Drumworkへの敬意で楽曲を締めくくるのである。

5、Wild Chapter

Hit-Boyプロデュース。アトランタトラップシーンの最重要人物T.I、グラミー賞受賞、6度のノミネート、マルチプラチナムライター、プロデューサーである(彼のTwitterより)ロサンゼルス出身のNovelを客演に起用したこの楽曲は、何も無いところからどう成り上がったかを語る物語だ。

まずConwayのバース。
"どん底から這い上がった俺の人生がどう変わったか見てみろ。俺がしたことは痛みを書き記すことだった。でも俺はまだストリートで生きている。ママはいつか俺が変わるかもしれないと願っている。"
Drumworkの解説で述べたように、Conwayのリアルな経験は、全て書き起こされ、楽曲のベースになっている。
"俺は完璧じゃない。嘘もついたし、浮気もした。とんでもないこともしでかした。今度は本気で謝ろう。"と反省も口にする。
続けて"俺には息子がいた。その息子が亡くなった時、笑顔を見せるのは難しい。そんな中で、俺は子供を持ったんだ。"とし、Conwayとその彼女が失意の中で子供を産んだことを語る。
そして、"俺はどうやって誇り高いラッパーになるんだ?俺の人生の物語。そのワイルドな章だ。"とバースを結ぶ。
Conwayの人生は、常にWild Chapterにある。

ここでNovelの柔らかく響きながら、悲しいコーラスに入る。
"俺は毎日とても疲れている。いつも一生懸命やってきて、腐敗したもの、穢れた時代も見た。この荒れ果てた人生で、ハイになることさえ出来ない。なぜなら、俺たちの生きる世界はこんなにも冷たいのだから。"

次にT.Iのバースでは、ストリートでどう生きるかを説く。
"始めからドラッグディールをして、罪を犯している。利益を2倍にするためならなんでもする。"というストリートに生まれた人間の宿命的な生活を語る。
"俺たちはここから抜け出して、塹壕から立ち上がろうとしているんだ。"とT.Iは続ける。
そのために、"理解力を高め、ビジョンを固めろ。お前が目立つために生まれてきたのなら、周りに馴染もうとするな。"とコンシャスなバースを吐く。
続けて、"トラップミュージックがどうやって始まったか教えてやろう。"とラップする。これは、Gucci Maneが「俺がトラップミュージックの発案者だ。」と発言したことに反応したのだろう。
アトランタでは、アトランタ発祥のトラップミュージックというものに皆誇りを持っている。
最後に、始めから罪を、ハスリングを強いられるこのワイルドな冷たいシステムについて、"これを完璧にやるか、刑務所に入るかだ。"と冷静に語る。

最後はNovelの詩的な素晴らしいバース。
"この一節に全てを賭ける。これが時代の動向だ。心の平穏を保とうとするが、俺はそのデザインから問題を抱えている。"と、穢れた時代に、ハイになることも出来ない冷たい世界で、そのシステムによって形作られた彼は、もはや平静を保つことなど出来やしないのだ。
"妹が生きていることを神に祈る。ヘネシーを飲んで、思い出が目から落ちないようにする。"
ここでは神に祈りながら、涙を思い出と表現する。
しかし、酒を飲んで涙を堪えようとすればするほど、思い出を留めておこうとすればするほど、アルコールは、涙を誘い、思い出を忘れさせてしまう。これが、ハイになることさえ出来ない冷たい世界のシステムなのである。
"世界は急いでいる。忍耐を教え込むのは難しい。"と語り、最後は"俺がいる場所に立てば、君にも分かるはずだ。エルサレムの丘で、シオンの街で。"とユダヤ教の信仰を口にする。

6、Guilty

この楽曲では、2012年、Conwayが"頸動脈スレスレ"を撃たれた経験について、顔面麻痺について語っている。
タイトルのGuilty、罪悪感に触れながら、"そんな感覚になった。"とまずつぶやく。
前述の「The Cow」でも、客演として起用された「Keep My Spirit Alive」でも語っているように、Conwayは、全てを神の計画だと信じている。もちろんこの経験も神の計画であると信じている。
そのため、今までのバチが当たった、といった感覚になり、罪悪感に苛まれることになったのだ。Wild Chapterでの反省も、ここで引き継がれている。

"集中治療室で仰向けにさせられていたのを思い出す。俺は出血多量で死んでいただろうし、誰もそれを止めることは出来なかった。もしくは、止めようとしなかった。
医者は弾丸が声帯に近すぎて、触ることも出来ないし、どうしようもないだろう。と言った。"とバースを始め、その凄惨さと、Conwayが他人を信じていない様子を物語る。
"神経の損傷による顔面麻痺、足に感覚がない。"とその影響も語る。
その上で、"ただ歌詞に集中しろ。俺の外見に集中するな。"とリスナーに語る。
そして、"ピッチを変えずに、自分自身に忠実であり続け、どんなものも手に入れる。たくさんの奴らがラップしているが、俺のようにスピット出来る奴はいない。
お前のトップ5を挙げろ、俺の方が上かもしれない。このアルバムのリリース後、批評家は俺を軽んじることが出来るはずがない。"と自信を見せつける。
実際に、Conwayより優れたラッパーをあげろと言われれば出てこないかもしれない。
また、Pictchforkで7.5と、2022年にリリースされたラップアルバムの中で五本の指に入る高評価を受けている。

これまで続いた鬱屈としたリリックから一変して、自らを尊大に表現し始めたConwayはここで、Griseldaの仲間たちと邂逅を果たすのである。

7、John Woo Flick

この楽曲でConwayは、Benny、Gunnと共に、Daringerのビートに乗せて、いつもの調子でラップする。ここまで仲間への不信感をラップしてきたConwayであったが、やはりこの楽曲では、家族への信頼感からか、本来の、私たちが知るConwayに立ち返っている。
"俺はイーストサイドから来た、あそこのニガーはワイルドだ。"とフッドを賞賛し、様々な表現を用いて金、酒、強さを誇示しながらラップする。
フックでは、"80発のスプレーで赤ん坊が目覚めた。全ての弾を命中させ、弾倉を空にしろ。"と物騒にラップする。スプレーは銃を乱射することを意味するスラングである。
またこれは憶測の域を出ないが、アルバムの先行配信として、Shady Recordsから2作目のシングルとなるこの楽曲にちなみ、"Sprayed eighty"とSlim Shadyでなんとなく音を合わせ、「EminemとConwayが組んだら赤ん坊も震え上がるぜ。」というような意味合いが含まれていると私は考える。

"RZAに並ぶDaringer、俺は奴らの顔面をハサミで突き刺すような男だ。風穴を開け、そいつはどこかの集中治療室で横たわっている。"というConwayのブリッジに続いて、Benny the Butcherのバースに入る。
Bennyも同じく、"日々祈り続ける貧困層の黒人のために"金とハスリングについてラップする。
巧みな表現で攻撃的にラップしながらも、"寝室のドアは金庫のように分厚い。"とその危険と隣合わせの生活を語る。

最後は、Westside Gunnが高らかにバースを蹴る。Gunnは良い意味でいつも通常運行である。Off-White、Dior Homme、Kim Jonesとブランド名を用いてラップする。
Off-Whiteに関して、Gunnは、故Virgil Ablohと共同契約を結んでいた。
またDior Hommeに関しては、Kim JonesがプロデュースのTravis Scottとのコラボシーズンで、Travisの客演として参加した楽曲がショーで流れている。(どれほど延期されるのだろうか…)
そして、"それを持って捕まれば、家に帰れるのは3年後だ。それを持たずに捕まれば、殺されてしまう。俺の仲間はまだ出れないかもしれない。"と危険は刑務所内外に潜んでいると警告する。

この楽曲では、アルバムの進行上重要である部分、つまり今回の趣旨に合うリリックはあまりなかったため、訳出、解説は少なくなってしまった。
しかし、ためになること、良いことを言うこと、物語ることのみがHiphopではない。
このあらゆる意味でノンモラルな楽曲はむしろ、フロウやライミングといった縛りの中、どれほど上手い言い回しで、自らとそのフッドの誇りを、どれほど尊大にスピット出来るのか、というHiphopというスポーツ本来的な楽曲なのである。
例えば前述のLil WayneやRick Rossのバースは、まさしくノンモラルであり、面白い表現を模索しながら制作されたであろう素晴らしいバースなのだ。
そのため、ぜひこの楽曲のリリックにも着目して聞いて欲しい。
アルバムの進行、という観点においては、Conwayが仲間のビートで、家族と共にラップすることによって、本来の自分を取り戻しつつある。ということとさえ分かっていれば良い。

8、Stressed

仲間と離れたConwayは、またしても自分自身の殻に閉じこもってしまう。この楽曲は同アルバムを語る上で、最も重要な楽曲だろう。
まずConwayは、"人生は試練と苦難の連続だ。障害に打ち勝つんだ。でも今直面している障害にはうんざりだ。なぜなら俺の問題だけでなく、みんなの状況があるからだ。"と語る。
家族、フッドやレーベルの仲間達を食わせていかなければならないConwayには、重圧が重くのしかかっている。
"それは良くしていかなければならないし、大金が必要になる。みんな俺に助けて欲しいんだろうな。"と、Conwayに頼りっきりの仲間たちに愚痴をこぼす。
そして、金銭援助を目的とするような周囲の人間たちに、"俺が奴らに与えた他全てのものを、かけた時間を、奴らは忘れていると思う。"とラップする。
これをパラノイアで片付けることも出来るが、実際にこういった事例は多くあるだろう。
続けて、"お前らは俺もストレスを抱えているって思ったことは一度もないのか?
自ら借りを作るような奴らにはストレスが溜まる。俺の彼女は「無理しないでね。」とは言ったが、俺も落ち込んでいるなんて知らないんだろうな。"と語る。

そして吠えるようなフックに入り、"誰一人俺がストレスを抱えていることを気にかけないのか?
仲間のほとんどが死に、残りは刑務所にいる。
俺が遠くにいたから(物理的にも精神的にも)、見えなかったんだろうな。気にならなかったんだろうな。みんなが俺の支援を求めてくる。俺がなにを経験したのか知らないんだろうな。"とラップする。

2ndバースでは、その経験の内容を、とりわけ自分の周囲について語る。
"誰しもが経験する、人生の馬鹿げたこと。でもそれらは全て教訓であり、それを通して成長しなければならない。"と、私たちに語りかけるように、かつ自分に言い聞かせるように語る。
また自身の体験を元に、"俺は酷く落ち込んで貧乏だったが、それを書き起こした。ラップをすることで、問題を吹き飛ばせると感じた。"とも語る。
そして、"黒人たちは鬱病の存在を真実だと分かっていない。俺のいとこが自ら首を吊ってからほどなくして、誰にも言っていないが、俺は息子を亡くしたんだ。病院で死んだ赤ん坊を抱いているのを想像してみろ。"と続ける。
Conwayは、教育不足や、医療機会の不公平が蔓延る貧困層の黒人コミュニティにおいて、鬱病は偏見を生みやすく、それが実際に病気として存在していることを知らないと伝える。
実際に、アメリカでは鬱病に苦しむ約8割の人々が助けを求めないそうだ。

また、"彼はお前に似ていて、お前は気が狂うのを必死で抑えている。"と多様に解釈しうる一節を吐く。
病院で赤ん坊を抱くConway自身を彼として、私たちとConwayの共通項を示唆しているのか、
それとも死んだ息子を彼として、気が狂うのを必死で抑えるような私たちの生き方を、死んでいるようなものだとして批判的に見ているのか、
はたまたConwayのいとこを彼として、憂鬱に悩む私たちと重ねているのか。
ここではどう捉えるのも自由だろう。
最後に"だから毎日ボトルを空けるんだ。最近keep bottled(溜め込んでいた)全てのもののために"とダブルミーニングかつ名詞と動詞を上手く使い分けて表現する。

3rdバースでは、自身の経験についてラップする。
"生後10ヶ月で虐待された。腹を蹴られ、風船のように膨らんだ。肝臓が損傷し、腹にジッパーをつけなければならなかった。"と幼少期の壮絶な経験を語る。
続けて"酒を口にしない日はない。痛みを和らげているつもりだが、どんどん痛んでくる。病んでくる。アルコール依存症は病気だ。どのくらいの人間が依存症を認めているんだ?(1人もいない)"と鬱やPTSDに由来するアルコール依存症について言及する。
アルコール依存症も、それを病気だと自覚し、通院している人は、例えば日本において、依存症患者全体の2%ほどである。前述のように、鬱病の実在さえ信じられないような貧困層の黒人コミュニティでは、さらに少なくなるだろう。
Conwayは、自分を全く顧慮せず、ただ助けを求めてくる黒人たちにうんざりしながらも、優しく、間接的に手を差し伸べるのである。
さらに、"ストレスを感じて酒を飲む。憂鬱を感じてストレスを感じる。そんな繰り返しにうんざりして憂鬱になる。"と、自身も陥った治療しなければどうしようもないサイクルについて語る。
そして、それに対して無神経な人々、神に愛された人々は、"なぜストレスを感じているんだ?君は恵まれてるね。"などと言ってくる。
それに対してConwayは、"奴らは俺の休むことさえできない夜を知らない。"と反論する。
アメリカだけでなく、日本においても、鬱病に無理解な、想像力の足りない幸福に生まれた人々は、鬱を甘えだと言ったり、努力次第で治るなどと平気な顔で言う。
Conwayが示したサイクルのように、鬱は、それが良くなろうとする全ての要因を阻みながら、腫瘍のように大きくなっていく。
だから私は、例えば(通院や薬物治療以外で)鬱病を良くするためにはなにが良いとか、ポジティブな思考を植え付けようとすることの危険性を知っている。それら全てを拒み続けるのが鬱状態であり、それを達成出来なければ、さらなる深みに嵌ることになるからだ。
Conwayは、自身の鬱やストレスについて語りながらも、決して他者の半径に足を踏み入れることを是としない。
ひいてはHiphopは、自らについて語ることで、客観性、つまり私たちの目線を排している。ただ自分について語るラッパーに、勝手に共感したり、憧れたりするのだ。Hiphopは、無理にこちらに寄り添わない。私の半径に無断で足を踏み入れない。これは、私がHiphopを愛するゆえんでもある。(そのため私は、例えば風刺画に、人口に膾炙した流行歌に、芸術性を見ない。)
続けて"自分の顔を見るたびに、鏡に向かって涙を流す。(俺はこれが大嫌いだ。)"と顔面麻痺に対する本当の感情を吐露する。
前作では、"顔面麻痺でも女たちは俺をセクシーだと言う。"というリリックもあり、楽曲中で何度も触れはするが、それほど気にしていないのかと思うこともあった。しかし、そんなはずはないだろう。
最後に、"お前は俺の金庫の入っているモノだけを気にしている。"とバースを締めくくる。

アウトロでは、ラッパーを紹介するAppleポットキャスト、YouTubeチャンネルを運営するWallo267により、意味深な詩が大仰に朗読される。
"孤独がどんな気分か分かるか?世間から見放されることか?そしたらお前も自分自身を見放してしまうのか?"と問いかける。
"みんなが見てる。お前のそばをみんなが歩いていく。彼らは誰もお前を助けようとしない。"
"お前は言った。「私は戻ってくる。」
そしてお前が戻ってきたその瞬間、世界は、「あなたのそばにはいたくない。あなたのことなんて知らないし、あなたは人気者でもなければ、勝者でもない。あなたが再び勝利するのを待ってる暇はない。」
お前は生き返った。それがお前の背中を押して、原動力となった。誰もがお前の名前を知っている。でも、お前は苦しくもないし、気狂いでもない。お前は戻ってきた…"
これらが詩の概要だが、おそらくこれは、Conwayの"鏡に向かって涙を流す。"というリリックから、自問自答の様子を表す詩だろう。
とりわけ、自分の憂鬱との対話であり、その憂鬱を振り切った様子が描かれている。
この詩の朗読者、つまり憂鬱は、彼にとって世界である"私"に、捨てられてしまったのだ。
ここから、Conwayは再び自信を取り戻す。

9、So Much More

この楽曲ではまず、"目は人の心を映す窓と言われる。俺はお前を見て弱いと分かった。俺の目標と計画を誰にも邪魔させない。"と力強くスピットする。
前曲とのリリックの落差は、Wallo267が朗読した詩によって緩和されているように感じる。
また、"Drumwork、それがブランドだ。"と自らのレーベルにも誇りを持ちながら、
"俺は今までヤバいリリックを書いて、カルチャーをシフトさせた。しかし、おそらく俺が賞賛されることはないだろう。俺はどこかで、そうなることを願っている。
なぜなら、もし俺が既に史上最高と呼ばれているのならば、あとは何をすればいいんだ?俺がスタジオ入りした時、なぜこんなにも全部が衝撃的なんだ?"と私たちに、今度は自信満々に疑問をぶつける。
そして、"みんな俺のツイートを誤解して、俺がGriseldaを抜けたと思っている。"と語る。
実際契約は終了しているが、その絆は終わることがない、と言いたいのだろう。

そしてフックでは、"もっとだ!もっとだ!"と何度も復唱しながら、"俺を他のラッパーと一緒にしないでくれ。俺はそれ以上だ。"と強い自信をスピットする。
さらに、"物語はひとつの側面を語るだけではいけない。もっと重要な側面がある。言ってしまえば、それは俺から見た物語だ。"と続ける。

2ndバースでは、Hitler 2から続く成功体験を語り、自身の慈善活動について、"コロナ禍で、200万ドルかけて(地元に)還元した。最前線で家族を養い、俺たちはそれを宣伝したりはしない。"と語り、フッドであるバッファローに様々な形で恩返しをすることで、ニューヨーク、エリー郡の議会から表彰されたこともあるそうだ。
またその内容として、"子供には冬服、ホームレスには暖かい食事"を与えたそうだ。ちなみにこのアルバムも、バッファローの厳しい冬に制作されたものらしい。
そのことについて、"俺が逮捕された時にはそれをニュースにするが、俺のこの側面を、奴らは決して報道しない。"とプレビュー数に固執したメディアに対して不満を口にする。
その上で、"奴らは俺たちのドラッグディールや銃撃戦についての歌を聴いている。俺たちは環境の産物だ。お前もこのことを知っているだろう。"と自らの慈善活動について楽曲の内容からしてメディア取り上げづらいことを認めた上で、それらは環境の産物である。つまり、システムの中にあることもお前らは知っているだろう、と語る。
この制度化された、腐った環境について、OGから、例えばKendrick、そして新世代まで、ラッパーたちは常にラップしてきた。Conwayもそれに続くのである。
さらに、(慈善活動だけでなく)他のラッパーに楽曲の宣伝を頼んだことも決してない、と誇り高く宣言しながら、
"俺は集中し続けることに囚われ続けていた。それは注目されるためのインチキだったと思う。(緊張を解いて)人々が様々な音楽に組織的に関わる時、思いがけない発見がある。でもそれは人それぞれで、俺は自分自身に集中する。"と語った上で、
"他人に必要とされたり、借りがあるなんて思わせるな。お前自身のために進め。"と私たちに語りかける。
これは、東洋思想、とりわけ宗教に堕落する前の仏教に近い。施しを与える方こそが、深々と頭を垂れるべきである。という思想に基づいているように思える。そう言いながらも、"自分のために進め"と、私たちの背中を押すのである。
これは、他者を考えすぎる、主体的でなさすぎる日本人にとって、より強力なエールになるのではないか。
最後に、"JAYはD'USSÉを手に持ち、なぜ俺の仲間はヘネシーを買っているんだ?"と、Conwayの慈善活動では到底埋まらない格差、残酷なシステムが未だに存在することを示唆しながら、仲間をJAY-Zクラスまで持ち上げようという決意にもとれる。
この楽曲の中で、Conwayは、完全にストレスや鬱をはねのけて、フッドのために、家族や仲間のために、そしてなにより自分自身のために進み続ける決心をする。

10、Chanel Pearls

10曲目は再びCozmoのビートに乗せ、ジャズ、ソウル、R&B界、つまりネオソウルを代表するアーティスト、Jill Scottを客演にラップする。
この楽曲でConwayは、フッドと自身の関係性についてラップする。
"モラルのない街、掟破りの奴ら、この名声のせいで、プレッシャーの中で一服する。"と、危険なフッドと、そこで有名になることの危険性を語る。
"エネルギーが枯れ果て、寒気がする。俺の人生はドラマの連続だ。俺が死んだら、ファラオのように純金で覆われて出棺するんだ。80歳まで走り続ける。"と双極的なラップを見せる。アルバム中で何度も登場するように、PTSDによって頭から離れない死のイメージが、Conwayの意識を棺へ導くのだ。
また、"俺が(この街で)主導権を握っていると思っている奴ら"が、"俺の成功を奴らの失敗のように思っていることに気づいた。"と語る。
そんなConwayをよく思わない人々が多くいる街で、"ボスになりたければ、増大するプレッシャーを跳ね返せるような人間になれ"とラップする。
ここで、Chanel Pearls、シャネルの真珠というタイトルについてだが、決して裕福でない家庭に生まれたココ・シャネルにとって、貴族が身につける真珠とは、富の象徴であるとともに、自由の象徴であった。
ここに関連して、Conwayは、フッドで富と自由を手にしたことについてラップしているのであるが、少しも嬉しそうではない。
"(コロナ禍で)ショーがないのはありがたいが、ストリートの休息が必要だ。"と語るように、Conwayは決して気が休まらない生活を送っている。
これも、ストリートで育った人間に生涯付きまとう呪いのようなシステムだ。"環境の産物"だ。

続いて、Jill Scottのバース。
"私たちはバッファローの夜空を、心とマリファナで埋め尽くす。"といきなりからそこそこぶっ込んでくる。
また、"私はあなたの女性であり、あなたの親友であり、あなたの恋人の太ももであり、あなたの唯一の信仰者だ。私はあなたを知っている。だから私は決してハイになったりしない。"と理解しがたい詩をまくし立てる。
これは、彼女が信仰するエホバの証人の隣人愛のような宗教教義を表現しているのだろうと思われる。
余談だが、ユダヤ教徒のNovel、キリスト教徒のRick Ross、イスラム教徒のWestside Gunn、エホバの証人のJill Scott、そして無宗教のConway the Machine。神が題されたこのアルバムにおいて、相当役者が揃っているのは偶然だろうか。
その後もあまり理解できない、おそらく宗教絡みのリリックが続くのであるが、エホバの証人についての知識がないため、一旦中絶する。機会があれば、また他の人の解説があれば追記しようと思う。

アウトロでは、"タリバンにいたとしても、詩人の私たちの手にはペンが。あなたは決してこの計画の全容を知ることは出来ない。"とJill Scottがコーラスする。
危険や憂鬱のただ中にあったとしても、ペンを握り続ける決意を表明し、神の計画は、今後の世界は、人生は、誰も知ることが出来ないと歌いながら楽曲を締めくくる。
私たちの全てが神の計画のうちにあるという考えは、前述の通り、Conwayにも共通している。

11、Babas

GriseldaよりKeisha Plumを客演に迎え、重苦しく、不気味なビートに乗せてラップを始める。
Conwayにはある意図があり(後述)、Keisha Plumのバースから楽曲は始まる。
Keisha Plumは、いかにもGriseldaといったリリックを、間延びしたフロウで吐き出すフィメールラッパーである。
彼女はまず、Conwayが銃撃事件から華麗に復活したことに敬意を込めて、"喉の奥で、血がゴボゴボ音を立てている。火薬のにおいが鼻を貫く。生にしがみつく叫び声のエコー。しかし、彼は決して死なない。まるで予言のように戻ってきた。"と当時の状況を鮮明に表現しながらラップする。
そして、Griseldaらしくブランド名を羅列し、殺しとセックスについて言及する。
最後は"弾丸は彼の皮膚に芸術作品を、美しい傷跡を残した。"と徹頭徹尾Conwayを賞賛するようなリリックをもってバースを終わらせる。

ここでアルバムの終わりを予感させるように、機械音が"God Don’t Make Mistakes"と繰り返すインタールードを挟みながら、Conwayがたっぷりと間を空けて、満を持して登場するのである。
これがKeishaのバースから楽曲を始めた一つ目の意図だろう。
Conwayは、"腹にはイカれた縫い目だらけ。若い母親はクラック中毒者。若い黒人の父親は存在しない。父親は行方不明だ。
若い王(黒人)は刑務所に入り、家に帰り、そしてまた刑務所に入る。
悪い決断、悪い立場、裁判官の過剰判決。それがこのシステムだ、システムを砕け。
汚れた警官、警察署、昔の事件、保護観察処分、仮釈放委員会には汚い弁護士。公立学校は低賃金で、教師は誤った教育をする。
人種差別、就職活動なんてクソくらえ。"と、数え切れない世界の不条理の一部を滔々とスピットする。
そして、"キリストではなく、45歳の俺が救世主だ。顔面麻痺、銃弾の傷跡、外車。神聖な生き物は恒星と一直線上に並ぶ。"と、とんでもなくカッコいいが、それ以上に心配になるような、あまり正気とは思えない様子でとめどなくラップする。
最後に、"俺が成ったものを見ろ。俺は王から神になったんだ。"と、「From King To A GOD」のタイトルを引用しながら宣言する。
そしてこの一説が、アルバム最後の曲、「God Don’t Make Mistakes」に直接接続される。
つまり、冒頭で述べたように、王から神になったConwayは、もう下手を打たないという意味に繋がっていくのである。
そして、最後の楽曲で、この正気とは思えない程流れるようなフロウと過剰な自信を携えたConwayは、さらなる自信を見せつけるのだろう、と思っていた…

12、God Don’t Make Mistakes

アルバムの最後を飾ると共に、アルバムタイトルをそのまま持ってきたこの楽曲は、ここまで錯綜してきたアルバムを、一気に、そして美しく纏めあげる。
プロデューサーはThe Alchemist。客演にConwayの実の母親であるAnnette Price。前曲「Babas」とはうって変わって、優しいピアノの旋律が響く落ち着いたビートである。

Conwayは、"時々思うことがある。俺の心は荒んでいく。いくつか疑問がある。その中のいくつかは、答えを知っている。そしてその中のいくつかは、答えが分からない。"とおおかたの予想を裏切るように、静かに呟く。
そして、"What if"を何度も繰り返す、弱々しいバースに入る。
"もし俺がまだバッファローのドートストリートでクラックを売ってたら?
Doe Boyが殴られた時、Lavarと一緒に車にいたら?
背中を撃たれたのが俺だったら?
FBIがDomの家を捜索して麻薬を見つけた時、それが俺の荷物だったら?
もし俺が刑務所に囚われ、番号で呼ばれていたら?"と、溢れ出るパラノイアに懊悩する様子を表現する。
さらに続けて、"ママの所へ行って、売店で使う100ドルを渡せるか?"とフッドを、ストリートを過剰に恐れるパラノイアにも悩まされる。
"What if"を何度も繰り返し、パラノイアと後悔と自責を口にしたところで、"物事全てには理由がある。でももしそうだとしたら…"と続ける。
"もし頭を撃たれなかったら?病院で涙を流しながら、眠れなかったかもしれない。再びラップすることは叶わないと考えていた。
首から下が麻痺していると言われたが、もし医者が正しかったら?でも俺は2度も病院から出ていった。ママは俺が2回死んだと言った。不可能を2回やってのけたんだ。"と撃たれた経験を回顧する。
そしてまた、顔面麻痺について、"もし顔面麻痺で口が麻痺していなかったら、俺の顔の壁画がビルの側面に描かれたままだっただろうか?"とラップする。
Gunnの「Hitler Wears Hermès 7」の広告が長い間ニューヨークのタイムズスクエアに張り出されていたように、口がもし顔面麻痺で歪んでいなかったら…とConwayは考えるのである。
彼の顔面麻痺、とりわけそれによって歪んだ口に対するコンプレックスは、アルバムのアートワークからも分かる。
顔のほとんどが塗りつぶされていたり、左側の顔面が麻痺しているため、顔の右半分だけの写真をアートワークにしている。このアルバムもそうだ。
続けて、"まだ輝かしいライミングをしているのだろうか?俺の物語は、まだ何百万人を鼓舞するのだろうか?Alchemistは俺たちを見出してくれるのだろうか?DJ Clark Kentは、Paulは、Eminemは、俺たちと契約してくれるだろうか?"とラップする。
ここで、"ドラッグディールの生活から、Hov(JAY-Z)と写真を撮れるようになったんだ。ビジョンは俺の兄弟。バスケ用語でいえば、ピック&ロールだ。俺がパスして、俺が行く。そしてシュートを決める。"と成り上がった様を表現しながら、家族への愛、チームプレイを説く。
最後に、"仲間にアシストしてもらって、俺はボールを運んでいく。得点を決めて、家にトロフィーを持って帰るのさ。"と締めくくる。
仲間への不信感を吐露していたConwayが、仲間を信頼するようになり、かつ明るい未来が予感される終わり方である。

しかし、息子を失った事実は消えないし、ストリート生活でのPTSD、パラノイア、憂鬱も消え去った訳ではない。
そのためConwayは、"時々俺は考える。俺はストリートで上手くやれるのか?それともストリートは俺を連れ去っちまうのか?俺はストリートに潰されちまうのか?"と唸るように歌うのである。
このストリートで生まれ育った人間に生涯付きまとう疑念は、晴れることはない。

この楽曲のアウトロ、つまりこのアルバムの本当の最後を、Conwayの母親、Annette Priceの朗読が飾る。
"神は過ちを犯さないよ。学校であなたが書いたラップとか色々。私が授業に使うと思って買ってあげた紙全部で、あなたはラップを書いてた。神は過ちを犯さない。これはあなたのための言葉。あなたは私の元に戻ってくる。神さま、お願いです。私の息子を返してください。神さま。"
と悲痛に語る背後で、残酷にも、心臓は停止する。

おわりに

このアルバムは、批評家から、サウンドやフロウが一辺倒であると言われている。
しかしこのアルバムは、音楽を離れたドキュメンタリーとして、言語的な創造物として、ひとつの物語として、すでに優れている。
そのため、そこに付随する音は、もはや付加価値でしかない。
私は現時点で、2022年リリースのアルバムの中では、強さと弱さ、神と私という両義性を持ったタイトルを冠したこのアルバムが最も素晴らしかったと思う。
少なくとも一人の人間に、これほどの熱量を持たせるアルバムであることは間違いない。

またここまでで、「God Don't Make Mistakes」というアルバムタイトルについて、その意味について、理解していただけただろうか。
冒頭で書いたように、強さの誇示というHiphop的な意味合いがひとつ。そしてもうひとつは、信仰という、人間の弱さの表れである。
つまり、「神は過ちを犯さない。そうであるはずだ。だから俺はストリートで上手くやれるはずだ。息子は帰ってくるはずだ。世界は良くなるはずだ。」という悲しい希望的観測である。

神は、論理世界には存在しえない。少なくとも理性で語れる位置にいない。だから、私が冒頭で述べたような疑問は、神は過ちを犯さないという矛盾は、永遠に氷解しない。
こうして思考と行動の限界に、つまり論理と現実の臨界点に、神が生まれる。
思想が現実を追い越した時、あるいは思想を現実が叩きのめした時、神が生まれる。

私たちが生きていく限り、世界の不条理に対して、なんとか納得しなければならない。その拠り所が、すり合わせが、神であった。
全てを納得させるのが神であった。存在の価値を、生きることの意味を、この世界の素晴らしさを自らに納得させるのが神であった。
反対に、存在の無価値を、生きることの無意義を、この世界の醜悪さを自らに納得させるのが神であった。

だから祈る。信仰する。あるいは憎む。呪う。
もう、どうしようもないのだから。もう、するべき行為など、なにもないのだから。

天に向かい、両手を胸の前に組んで、血が出るほど握っても、なんの意味もない。仏壇の前でお経を読みあげることも、その後ろで両手を合わせて目を閉じていることも、なんの意味もない。
しかし、祈る。不条理を前に、なにもしないということは、私たちには不可能であるから。
そして同時に、この全く無意味で不能で反理性的な行為は、生きていく上で最も有意義かつ能率的な理性的行為でありうる。

私は、ここまでアルバムを聴いてなお、神を呪う。憎む。
神がいるかいないかは、大した問題ではない。神を憎んでも愛しても、なにも変わらないのだから。神を呪うも信仰するも、その本質に変わりはない。神がいないのならば、私はただ世界の不条理を呪うだけだ。
私たちは、死の不可能性という果てしなく突破が困難な外殻に閉じ込められながら、茫漠とした時間と曠然たる空間の中、芥子粒ほどの幸福を探して彷徨うゾンビである。

Conwayは、私たちは、このどうしようもない世界を、憎たらしい神の創造物を、ただ必死に生きていくしかないのだ。
そしてそれは、皆必死に生きているという事実は、宗教や神よりもずっと尊い事実だ。
私はこれを信仰する。

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