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象徴としてのPlayboi Carti

Playboi Cartiは現代Hiphopシーンの象徴としてある。
それのみで成立するほどの存在感のあるビート。それに徹底的に寄り添うビートアプローチ。浮遊感のあるサウンド、ベイビーボイス。アドリブが多く、比喩やかけ言葉、意味やライムすらほとんど持たない、享楽的かつ双極的なリリック。同じ言葉を繰り返すだけのフック。クラブミュージックとして、耳当たりの良い音楽として、(主にファッションなど)多様に敷衍されうる商業としての側面が全面的に押し出されつつある現代Hiphopは、ほとんど彼そのものだろう。

現代トラップシーンにいるアトランタのラッパーの多くは、Hiphopをビジネスとして捉えている。
21Savageは「最も偉大なラッパーではなく、最も金持ちになりたい。」と発言した。
Futureは様々なラッパーの客演、コラボミックステープ、プロデュースなどのハードワークをこなし、「俺はトラップミュージックをポップミュージックに押し上げた。」と発言した。
その意図として、ポップミュージックと同じくらいの金をトラップミュージックで稼げるようにすることが目的だとしている。
同じように、Young ThugもHiphopを取り入れつつ、ポップ調の楽曲をリリースすることで、トラップミュージックをより広い層へ届けた。また、レーベルを運営しながら、様々なアーティストの客演に精力的に参加し、「これまでで1500曲レコーディングした。」と発言している。
そんなハードワークをこなしているのも、彼の楽曲のリリックから現れているように、とにかく大金を稼ぐためだろう。
また、Gunnaは今年の1月リリースのアルバム「DS4EVER」で新たなスラング、🅿️をインターネット上で流行らせ、そのトレンドに乗る形でアルバムのプロモーションを成功させた。そして同アルバムでは、同郷の先輩ラッパーであるFuture、Young Thug、前述の21Savageなどを客演に呼び、アトランタのトラップシーン全体の底上げに大きく貢献している。
このように、Hiphop本来的な土壌であるアトランタという貧しく荒れた環境は、自身のブランディング、ハードワーク、プロモーションなど様々な手段を用い、とにかく金を稼ぐという思想を増大させた。

では、Playboi Cartiはどうだろうか。確かにアトランタのトラップミュージックを用いるラッパーらしく、サウンドやファッションにおいて独特で新しい。マンブルラップでベイビーボイスを用いる。ブランディングに気を遣う。などの共通点は見られる。
しかし、彼はFuture、Young Thugに比べ、決してハードワークをこなしてはいるとは思えない。誰かと協力してアトランタのシーンを盛り上げようとすることもない。"現在は"金を稼ぐことにそこまで執着しているようにも見えない。
彼はそのサウンドのように軽く、自由に。かつクリエイティブであり続けている。

そして、彼の(ポジティブでナルシストで行動力があり、かつクリエイティブな人となりを離れた)軽く自由なアーティスト性は、未来に大した希望も目的も見い出せず、信じるものもなく、インスタントな享楽を追い求める刹那的な生き方を好み、気分変調症気味で、死そのものを恐れることのない強い諦観と、吹けば飛んでしまうような軽さを併せ持つ現代の若者の象徴でもある。

Kid Cudiから始まり、XXXTENTACIONやLil PEEPなど、いわゆるSoundCloud Eraのラッパーたちは、絶望を全面に押し出し、そういった若者たちの心を鷲掴みにした。徹頭徹尾陰鬱で、暗いまま完結するリリックは、これまでのHiphopではあまり見られなかったのではないか。
そこから絶望的で暗いリリックは、ある種のトレンドになっていった。

しかし同時期に、その中で絶望を超えた諦観を持つ若者は、崩壊に気づき始めた。意味を埋葬し始めた。
Hiphopは、それぞれのフッドから大衆に広がった。文化から商業に変わった。憧れから共感に変わった。権力に屈しない物質的な強さの誇示から内的な弱さの吐露に変わった。そしてついに、意味を失った。そこに、Playboi Cartiのアーティスト性、音楽性は完璧にハマった。

そういった"大衆が求める"Hiphopの枠組みでは、マンブルラッパーという言葉はそれほど悪いイメージを持たれないのかもしれない。
実際に、例えばJ. ColeはPreachy(説教臭い)だ。といった言論も多く見られる。
Nonameとの一件、(Nonameに対し、ちょっと偉そうじゃないか?といったニュアンスの楽曲を発表した。)アルバム「KOD」は私自身も正直少し説教臭く感じた。(もちろん偉ぶっているわけではなく、黒人への想い、若者に対しての愛から制作されたものではあることは理解しているが。)

また前述のように、そういった若者にとって、死はさほど問題ではない。Hiphopのリリックの中によく登場する「Demon」も多くの場合、生きてるうちにある苦痛や憂鬱、悪い考え、誘惑であり、死ではない。
例えば「死ぬこと以外かすり傷」のような言葉は、上記のような若者にはあまり当てはまらない。現代の若者にとって、死ぬことそれ自体は、かすり傷だ。
そしてPlayboi Cartiは、Kanye West「DONDA」収録の楽曲、「Off The Grid」において、さんざんフレックスをした後に、「俺たちは自由だ。そして、死にたい。」と双極的な感情を吐露する。これはトレンドを意識したのか、本心なのかは定かではない。
しかしこの一節は、前述のようなファンたちの心をさらに惹き付けただろう。
また、アルバム「Whole Lotta Red」収録の楽曲「Sky」のMV、Trippie Reddに客演した楽曲「Miss the Rage」のMVともに、Playboi Cartiは、そこら中のものを手当たり次第にとにかく破壊し、めちゃくちゃにする。このMVからも、Playboi Cartiがやり場のない怒りと憂鬱を溜め込んだ、刹那的で享楽的な若者のカリスマになった理由が伺える。

後先考えずただ今を楽しみ、死んだら死んだでまぁいいか、という生き方がもはや正しいのかもしれない。少なくとも私は、それを易々と間違っているとは断言できない。
それほどまでに、人生はつまらない。生に執着するだけの意味は見いだせない。暗闇の時代にある。それほどまでに、社会は詰んでいる。

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