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天野純希「南海の翼 長宗我部元親伝」

続けて天野純希の本を読む。
私の時代小説好きは、ほとんど小中学校時代にやっていた「信長の野望」由来のもので、戦国時代以外に手を伸ばしてもあまり読み進められない。

長宗我部元親は四国の大名で、あまり自分でプレイした覚えがない。四国から始めると、すぐに九州・中国・近畿の強敵と多方面でぶつかることになるので、難易度が高いと思ったからだ。

実際長宗我部元親も、四国統一を成し遂げたと思った瞬間に、秀吉軍に攻められ、四国を切り取られてしまっている。
土佐一国から始まった四国統一の夢も、多くの犠牲と年月をかけた結果、元の領地に閉じ込められることとなった。

何かに似ている。
先日、「体育館の端から端までビンタされた先輩の話」という記事を書いた。それに連なって思い出したことがある。


高校一年の最初の頃、二日間ほど、高校のバスケ部で練習をした。
他の中学のバスケ部の知り合いに誘われたり、放課後の時間を持て余したせいでもある。
しかし続かなかった。
中学時代のぬるい部活と違い、本格的な練習についていけなかったのもあるし、やはりバスケへの情熱は持てなかった。
何より、また一番年少の学年、下働きから始めないといけない、というのが理不尽に思えた。

四国=中学
全国=高校
無茶な喩えだけれども。
中学で頂点に達したと思ったら、高校で一から出直し。

ついだらだらとやる気のないバスケを続けなくて良かったと思う。
そもそも「試合に勝ちたい」「上手くなりたい」という気持ちがないのだから。

土佐を平定しても領民はまだ貧しさに苦しんでいる。国を豊かにする為、部下に褒美を与えていくためには、領地を増やしていかなければならない。すなわち戦争を続けなければならない。元親はその過程で次第に心を蝕まれていく。弟を誅殺することになったり。周辺諸国との争いはいつまでも終わらなかったり。跡継ぎにと期待をかけていた最愛の息子を失ったり。

天下統一を果たした秀吉は朝鮮へ侵攻し、戦いは泥沼化する。九州での島津討伐の際に息子信親を失った元親も参戦しているが、前線へは出ない。四国統一の夢を果たしてすぐに破られ、外様大名の一人として、故郷から遠く離れた国で暮らす元親。どこかのタイミングが少しでも違っていれば、土佐統一で満足していられたかもしれず。または四国の長として君臨し続けていたかもしれず。
元親にいろいろな人の姿を投影して見てしまう。
たくさんの戦国武将の物語を追っていると、当然ほとんどの人が志半ばで倒れたり、隆盛を極めても束の間のことだったり、跡継ぎがあっさりと国を滅ぼしたりしている。
誰も彼も虚しさにたどり着く。
誰もがそういうルールの中にいる。

天下を平定しても終わりではない。
平定し続けなければならない。戦乱の火種を消し続けなければならない。
元親が最初に平定した土佐の国が、もっと肥沃な土地で、他国からの脅威もなければ。
残念ながら、そんな理想的な土地も環境も、戦国の世にはなかった。
戦国に限らず、今も、どこでも、ずっと。
元親の長い物語を読みながら、ミクロでもありマクロでもある世界に思いを馳せる。
馳せているところに息子がレッサーパンダのぬいぐるみをキーボードの上に乱入させてきた。太いしっぽでキーは打てそうにない。

レッサーパンダの乱入後、息子とぬいぐるみで遊びながら考えた。
戦国の世でなくても、殺し合いとまではいかなくても、学校や社会、交友関係の間ですらも、常に戦いは起こっている。負け=死ではないが、勝ち進んだ先に明確なゴールがあるわけでもない。けれども今でもどこでも戦いは続く。
我が家の息子はぬいぐるみを並べ立てて、私の居場所を潰し始めた。
毎日負け戦。





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