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文月悠光「臆病な詩人、街へ出る」

「パパ、静かにして!」と、図書館で息子に怒られた。
中庭へと向かう途中、息子に勢いよく手を引っ張られながらのことだ。「もう少しゆっくり」と小声で言ったら、上記のように怒られたのだ。
「パパは静かにしてるんだけどな」とぼやいたら、近くにいた女子高生に笑われた。

中庭で少し過ごした後、息子は早く帰りたがっていた。自分は借りたい絵本も借りたし中庭で遊んだからもう満足なのだ。私は急かされながらエッセイの棚を見る。
「まだ読んでない穂村弘の本を……」と思っていたら、「ほ」の段の少し前に「文月悠光」の名前を発見。かつての女子高生詩人のエッセイ集だ。先程の息子とのやり取りを女子高生に笑われた縁で、「臆病な詩人、街へ出る」の単行本を手に取る。
この時はまだ、出たばかりの文庫版を購入することになるとは思っていない。

私はかつて、詩を書いていた。楢山孝介名義の頃だ。
当時出ていた詩誌を購入し、自分好みの詩が多く載っていた「詩と思想」という詩誌に、投稿もしていた。2006~2009年のことだ。その期間は、文月悠光が「詩学最優秀新人賞」「現代詩手帖賞」を受賞していた時期と被る。幸いというべきか、私とは活動場所や作風も異なっていたため、適度な距離感を持って、当時の彼女の作品と接していた(詩界において若い彼女は目立ち、「適度な距離」を保てない人も多くいた)。

「詩と思想」への当時の投稿記録を発見。

『詩と思想(土曜美術社出版販売)』読者投稿欄掲載履歴

2006年9月号『死滅回遊魚』入選
2006年12月号『老人と兵士』入選
2007年1・2月合併号『金色の秋』、
『同じ道を歩いている』入選
2007年3月号『鴨、戻る』佳作
2007年4月号『銃声響くのどかな公園』入選
2007年5月号『少年ガリレオ』入選
2007年6月号『眉月』佳作
2007年7月号『春先の放埒』入選
2007年9月号『埋雪』入選
2007年10月号『蛍光灯を取り替えるまで』入選『作品番号00457』佳作
2007年12月号『風雷』佳作
2008年1・2月合併号『言葉は海から』佳作
2008年3月号 『鵺』入選
『貘』『鴨の隙間』佳作
2008年4月号 『大寒の雀』入選
2008年5月号 『人音』佳作
2008年6月号 『ヴラマンクの描いた黒の奥で』入選
2008年7月号 『蟻の夜』入選
2008年8月号 『人の住む墓』入選『混ざる』佳作
2008年9月号 『水族』入選 『床鼠』佳作
2008年10月号 『媼』入選
2008年11月号 『真夜中の蝉』入選 『黒』佳作
2008年12月号 『鳥男一号から四号まで』入選
2009年1・2月合併号 『古髪』『目黒駅の秘密と幻想の岡山』佳作
2009年3月号 『凍言期』入選


一日一編詩を書き、千編を達成したあたりで、情熱が薄れた。
詩を原案にして小説化して、そちらで結果を出してもいた。
2009~2010年あたりは、それまでの繋がりを全て断ち切った暗黒期でもあった。

詩界からフェイドアウトしていった私と違い、華々しい活躍をしていたのが、文月悠光であり、最果タヒであった。当時詩誌でよく見かけた名前が、時を隔てた現在で、近所のコンビニのポスター(昨年の「最果タヒ展」)でも見かけることになるとは思わなかった。

そんなこんなで読み始めた「臆病な詩人、街へ出る」。始めは「懐かしい名前やなあ。実はおっちゃんも昔詩書いてたんよ」と、親戚のおじさんのような視線で読み始めた。初詣をしたことがない、八百屋で買い物をしたことのない世間知らずの詩人のあたふたする様子を書き綴ったエッセイ。

ところが
『私は詩人でなかったら「娼婦」になっていたのか?』
『私って必要ですか?--「ニッポンのジレンマ」出演のジレンマ』
あたりから、姿勢を正して読むようになる。これは、「戦いの記録だ」と思うようになる。


人は誰しも、他者に自分の願望を投影する。それ自体はごく自然なことで、なんら相手を傷つけるものではない。ただし、自分の幻想を一切疑わず、「正しいもの」として誰かに押しつければ、相手の意思を踏みにじることになる。
 私は乱暴な質問をぶつけられるたび、「私の意見を聞きたいのではなく、自分の求める幻想の<答え合わせ>をしに来たのだな」と虚しい気持ちにかられてきた。
 番組が終わった後も、テレビの電源を消した後も、私たちの日常は続く。電車は街に人を配達するし、夜ごと遅くまで仕事はあるし、誰かの発言が炎上しては忘れられていく。他人の声ばかり反響して、心の声が搔き消されてしまう騒がしい日常だ。
 そんな日々に疲れたとき、私たちは「対話」のカードを切ることができる。さあ、これまでに見てきたことを話そうか。怒りや悲しみにただ任せるのではなく、あなたが、あなたの人生の「位置」から本当に見てきたことを。
 私は驚く。あなたと私の見ているものはこんなにも違う。だけど、二人の見てきた景色を重ね合わせたら、世界は確かに奥行きを持ちはじめたのだ。
 その深く、温かな場所を訪ねるために、私はあなたの言葉へ耳を傾ける。


若くしてデビューするということは、メリットだけではない。
著者は詩の賞の授賞式で、遥かに年上の人ばかりなのに恐れを抱き、若い女性だからというだけで攻撃的になる人との対決も迫られる。その道何十年のベテランも、高校生も、同じ土俵に立つことになる。
度重なる試練に、詩人は言葉で立ち向かう。
私が「戦いの記録」と感じたのは、そういうところだ。

詩誌への投稿もやめ、詩作から、また創作そのものから、私はしばらく遠ざかった。
実を言うとこれまでも、何度か詩作を試みたことがある。
だが、うまく書けなかった。
千日書き続けたので、いろんな型を身に着けていたはずなのに、どれも出てこない。
詩想は違う形になっていった。
行変えではなく、散文の連なりになっていった。
書くことも変化した。
生まれた子どものことを書き、生まれなかった子どものことも書いた。
暗く重いものも軽く明るいものも書くようになった。
かつての入選作のタイトルを見ても、中身を思い出せないものがある。
詩そのものもあまり読まなくなった。

しかしあの頃に触れた詩人たちは今でも書き続け、言葉を紡ぎ続けていた。戦っていた。
私が眠り続けている間も、最前線で。
だから私もまた、詩を書こう、とは思わない。
今の私の武器で、私なりの戦い方を、私にとっての最前線で、書き続けようと思う。

読了に近い頃に、作者のTwitterを見に行くと、本書の文庫版が発売されたばかりだと知った。そちらには谷川俊太郎との対談も収録されているとあって、早速近所の書店で探してみた。小さな町だ。詩人の本だ。ないだろうな、と思ったら、下段の棚に一冊置いてあった。

図書館で息子に手を引っ張られていなければ、本書を手に取ることもなかったし、自分の中の時が十五年遡ることもなかった。偶然に過ぎないが、いろいろな出会い方、振り返り方があるのだなと思う。

前述、図書館の中庭に引っ張られていった後の話。
静かにすごろくごっこをした。
近頃石コレクターになっている息子が、四角い石を拾ってきて、サイコロ代わりにする。
転がして数歩歩く、を繰り返す。
道の分岐点で、私にだけは壁に向かって進めと息子が指示を出す。
壁に激突しても歩き続ける私を見て、息子が声を出さないように気をつけながら笑っていた。
自分一人だけはゴールへと向かって。



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