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英語に自信がなかったわたしが、自分にできることを見つけ、ビジネスの道へ進んでいった話

「やめてー」
ものすごい声が保育園の教室にひびきました。
ひとり男の子が両手を交互に大きく振り、友だちの背中をボコボコ叩いていたのです。
慌てて止めに入った瞬間、叩いていた子が「自分は正しい」と戸惑うこともなく、速射砲のような勢いで訴えてきました。
あまりの勢いに圧倒され、5歳の男の子を相手に、わたしはオロオロ。わたしの英語力では対応できなかったのです。
できたのは、泣いている子を抱き上げることだけでした。

オーストラリアの保育園での仕事

ご縁をいただき、わたしはオーストラリアの保育園で働いていました。日本でも幼児教育に関わっており、その流れで働くようになったのです。

このご縁は本当にありがたいものでした。なぜなら、英語に全く自信がなかったからです。こんなわたしに働く場所がある。しかしながら、やはり簡単にはいきませんでした。

他の先生の会話はほとんどわからない、子どもの言っていることはもっとわからない。
お昼休みは身体をリラックスする時間のはずなのに、緊張の時間。話しかけられるのが怖くて、スタッフルームでは「話しかけないで」とのオーラ―をだすため、日本語の本を目の前に置き、下を向きながらの休憩でした。
「本読むの好きなの?」との問いに、顔をニコニコするだけ。

わたしだけ、話せない

おどろいた。周りをみると、いろいろなバックグランドの先生たちがいるではないか。
インド、スリランカ、マレーシア、中国、ベトナム、イタリア、クロアチア、ギリシャそしてイスライルとさまざま。

わたしのように大人になってからここに来た人、同じように英語が母国語でない人、なのに問題なく英語を話している。

「わたしだけが話せない」

この仕事は好き。だから余計に役立たずの自分が情けない思いでした。

音楽と日本語の先生という肩書

オーストラリアで働かせていただいている。こんなチャンスに、このままくじけているわけにはいきません。
先生たちが使っている言葉をそのまま真似して使い、ここでの資格を取るため、勉強もしました。毎日の繰り返しで徐々に環境にも慣れてきたある日、

「音楽と日本語のセッションをしてくれないか」と話がありました。

保育園のオーナーさんは、わたしがピアノを弾けることを知っていたのです。もちろん、日本語を話せることも。

「わたしにできることがある」
その夜、日ごろありつけないお寿司を買い、ゆっくり堪能。目の前に寂しくすわっているピアノが目に入り、ほこりを落したあと、久々に何時間も、弾きつづけました。

これわたし!と思わず写真におさめました

はじめてのセッション

5歳児さんのクラス、部屋の壁に、子どもたちのいろとりどりの作品が展示してありました。その中央に、茶色のアップライトピアノ。そして20人ほどの子どもたちが静かにすわっていました。

入口で唾をのみ込み、1歩、部屋の中へ。
子どもたちの顔がいっせいに振り返り、わたしを見つめました。
「と、とりあえず、笑わないと」
笑顔をつくってみましたが、カチコチの体と同様、顔の方もかなりひきつっていたかもしれません。

わたしがようやくピアノにすわった時、たくさんの小さい目とわたしの目が合わさりました。
"Hello, I am Music and Japanese teacher. It is nice to meet you"

ポロン~ポロン~ 
子どもたちの視線を感じる。このピアノを弾いたのはわたしがはじめてだったかもしれません。強い視線でした。

「おっ、惹きつけてる」
子どもたちがリズムに乗って楽しんでいるように見えました。

勘弁してよ

子どもたちが集中しているのも束の間、数人が動き出します。
そわそわムードがただよい、子どもたちの集中は一気にくずれてしまいました。
もちろん、周りの先生もまとまるようにお手伝いをしてくれましたが、メインであるわたしの英語がうまく子どもたちを惹きつけられないのです。

まとまらない初日のセッションがおわりました。
片付けをしてオフィスの前を歩いていると聞こえたのです、ある先生の声。

"Give me a break(勘弁してよ)"

誰にも顔を合わせないよう、下を向き、スタスタとセンターからでていきました。
「そうよね、別にここで日本語を教えなくたっていいし、子どもたち、楽しんでいなかったし、他の先生にも迷惑をかけたし、、、」
自分でも失敗を感じていましたが、この言葉でさらに打ちのめされました。欠落感。

わたしがやってきたこと

とぼとぼと家に向かって歩いていると、たまたま保育園のオーナーさんに出会いました。
「今日のセッションはどうだった?」と明るく声をかけてくれた途端、わたしのほうは一瞬にして涙が。
セッションの様子を話したあと、オーナーさんはこんな言葉を、くれました。
「がんばらなくてもいいんじゃないかな?もう十分、経験を積んでいる。その経験を使っていけば、それだけですばらしいものになる」

わたしの経験、日本での幼児教育、ピアノ。
そのあと、家に向かう足取りがどんなに軽くなったか、今でもはっきり覚えています。

やはり言葉の壁はあつい

オーナーさんのおかげで、音楽と日本語のセッションは継続。
わたしはピアノが弾ける」こんな自信も合わさり、気持ち新たにはじめることができました。

しかし、それも長くは続きませんでした。やはり、子どもが惹きつけられないのです。英語がうまく使えないのが問題なのです。

今までの、日本の幼児教育経験をふりかえりました。
子どもを惹きつけるには

・声のトーンをかえる
・顔の表情をかえる
・体をうごかす
・視覚をつかう

そして、毎晩の教材づくりが始まりました。部屋の中、一面に紙や布が広がり、夜中まで、あるいは朝方まで。言葉がダメなら、目で惹きつける!
それに付け加え、セッション中はピエロのように、おかしな声をだしたり、ポーズをしたり、とにかく笑いをとるために必死でした。

日本語キンダーのおさそい

ありがたく、努力が実ってきたのか、保護者から「子どもが楽しんでいる」「日本語を教えてくれるのはうれしい」との声がわたしの耳にも入ってきたのです。いい宣伝にもなっているようで、オーナーさんに恩返しができた感覚もありました。

また、オーナーさんからお声が、かかりました。
「土曜日に日本語キンダーをしないか?」と言うのです。今の保育園の場所を使っていいと。
小さいテーブルと椅子が並ぶ教室、子どもたちがすわって日本語の活動をしている姿が目に浮かびました。
うれしい。やりたい、ぜひやりたい。

やっぱり人生あまくない

ある日、教室にオーナーさんがやってきました。
「とりあえず、座って」と言うので、そばにあった子どもの椅子に腰をおろしました。それまで楽しく会話をしていた先生もとなりに座り、お互いに目を見てニヤリ、それと同時に、

「ビザが却下された」とオーナーの言葉。

体も脳も茫然となり、しばらく目だけがパチクリするばかり。
「わたし、今、なにを言われたの?」予想もしなかった言葉が、わたしを停止状態にさせました。
「わたし、もしかして日本にかえる、、、」徐々に事態を把握して脳が作動しはじめました「仕事やめるんだ。オーストラリアにいられない」

自分を信じて


保育園を退職、日本に帰国となりました。

絶望感はあったものの、ひざびさの親元での生活は、異国の地で気を張ることなく、身体もリラックスできたのでしょう。
ゆっくり考える時間があったのか、わたしにできること、わたしのしたいことが明確になっていきました。

「戻りたい、やっぱりやりたい」

再挑戦、目標に向かって進んでまいりました。もちろん、思うようにいかないこともたくさんありました。でも戻ってきたのです、オーストラリアに。

出産を経て、今度は我が子のために日本語の環境を、と考えるようになりました。今まで引きずってきた「日本語のキンダー」を開始する夢へとまた立ち上がり、11年の歳月がかかりました。

「ドレミキンダーミュージック」自分の日本語音楽教室をオープン。
英語ができなくてもわたしはピアノが弾ける、日本語が話せる。できることをフォーカスして行動したのです。


おわりに

子どもたちによく話をします。「他の人よりちょっぴり上手にできること、なにかひとつでも得意なことがあったらそれはとってもすごいことなのよ」と。
自分の得意なこと、それができる人は周りにたくさんいるかもしれません。でも自分の中で、できないことを見つめないで、できることを見つめ、自信をつけた方がいいと思いませんか?
わたしの体験を読んで、「よし!」って思っていただけたら幸いです。わたしにはこれができる!と。



















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