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森喜朗さん辞任に思う

森喜朗さんが辞任した。
森氏の発言や進退問題に関しては、テレビやマスコミでも様々な意見が報道されている。

女性を軽視する発言は、オリンピック憲章にも明記されている「男女平等の原則の完全実施を目指す」という理念と、あまりにもかけ離れている。五輪開催のリーダーとして、あり得ない発言だという言説や、そもそも時代錯誤の女性蔑視発言を、公の場ですること自体がナンセンスだと憤る人も多い。

The Capital Tribune Japan2020の記事によると、世界経済フォーラムが毎年発表している「グローバル・ジェンダーギャップ・レポート」の最新版(2020)では、日本は男女平等指数が0.652と153カ国中121位。世界経済フォーラムの調査は、政治、経済、教育、健康という4つの分野に分かれていて、政治の場合、閣僚の男女比、議員の男女比などが評価項目になっています。経済では同種業務での給与格差、管理職の女性比率などが評価ポイントです。日本は教育や健康分野での男女差別はほとんどなく、今の時代においては女性が理由であることで満足な医療が受けられない、あるいは大学に進学できないといったケースはほぼ皆無でしょう(一部、医学部などでは男女差別があると指摘されています)。そうなると、順位を引き下げる要素は、必然的に政治と経済ということになります。(The Capital Tribune Japan2020/2月8日)

政治と経済の世界で、つまり日本社会のありとあらゆる組織で、男女平等指数をあげる努力をすることでしか、ジェンダーギャップは埋まらないということだと思います。

今回、五輪関連会議で森氏が女性軽視発言をした際、その場に参加していたメンバーが、森氏の発言を受けてヘラヘラとお追従笑いをしていた様子も、いくつものメディアで報道されていた。
お偉いさんの差別発言や傲慢発言に対し、周りにいる人たちがお追従笑いをする。こんな場面を、僕も容易に想像することができる。
そう、このような場面は日常的に多くの人が経験している場面なんじゃないかと思うわけです。
森氏の発言は、確かに酷いと思うけれど、でも、彼の発言を擁護し、お追従笑いをする周りの人たちの態度は、もっともっと酷いと思う。

組織に属している限り、リーダーの失言に対して一々めくじらを立てて反論してはいられないことは、理解できる。
ただ、リーダーに追従することが常態化してしまい、組織の本来の目的やゴール、構成メンバーに課せられた使命を見失い、自己保身が目的化してしまうことだけは、あってはならないと僕は思います。
自分は、リーダーに媚びへつらってなんかいないよ!と反論する人もいるかもしれないけれど、意見を言わない(言えない)会議や、反対意見を言う人を「面倒臭い人」だと思ってしまう、そんな空気に慣れ切ってしまっている、そんな組織風土を変えなきゃ、問題の本質は解決しないのかもしれないなーと、考えさせられたわけです。

森氏を攻撃することや森氏が辞任することで、日本のジェンダーギャップ問題が解決するとは思えない。もちろん、今回の発言は許されるべきではないと思うし、辞任することも当然だとは思う。でもきっと、このままだと同じような問題がすぐに浮上してくるだろうと思うわけです。マスコミも、ここぞとばかりに女性軽視に関するネタを探しているだろうから。

表面的な解決策で、物事の本質が改善されることはないと思う。今日の朝日新聞「人」に掲載されていた、自然農の実践者川口由一さんの言葉を借りるなら、「問題を解決するのではなく、問題を招かない生き方にこそ答えがある」

もう一度、自分自身を見つめ直し、身の処し方について考えなきゃいけないなと、痛感させられる事件だと思いました。


追伸
僕自身も、歳を重ねていく中で、若い人たちから出てくる「新しい時代の価値観」を受け入れられる柔軟性を持ち続けていかないと、失言しちゃう可能性はないとは言えないなーと思いました。

慢心は禁物!学び続けなきゃなー。

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