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幸せとお金の関係

 前回は幸せとは心の健康であると仮定し、心が健康というのはどういう状態か、逆に心が不健康とはどういう状態か、を考えてみました。
 今回は前回から引き続き、心の健康、即ち幸せとお金の関係について私なりの見解を述べていきます。
 ただし、心と一口に言っても頭脳活動とは切っても切れない関係にあり、さらに環境(外界)も大きく関わるのですが、今回は心の問題以外は論外としています。

幸せとお金はどういう関係にあるのか

 お金とは心身ともに健康に生活するために必要なものであって、十分なものではないというのが私の結論です。
 十分なものではないとは、お金がこれだけあれば心身ともに健康に生活していけるというものではない、という意味です。
 そういうものなので、必要な金額までは必要なのですが、それ以上は余剰分でしかないのでいくら集めても心の健康にはつながりません。

幸せはお金では手に入らない

 これが解らないとどうなるかというと、幸せ=心の健康を求めて無限的にお金を追い続ける人生になりかねません。
 当然にいくらお金を手に入れても一向に幸せにはなれず、むしろその過程でより心が不健康になっていき、いつまでも蟻地獄から抜け出せなくなってしまうかもしれません。
 見方によっては逆の場合もあります。つまり心の不健康が先にあって、心が不健康なのでお金を欲しがるという見方です。
 こちらの場合は心が不健康だからお金を求め、お金を求める事で更に心が病んでいくという無限ループに陥るおそれがあります。
 こんな風に必要以上にお金を追い求める人生は幸せだと言えるでしょうか?
 私にはまるで砂漠に蜃気楼のように誤った幸せを追い求めている様にしか見えません。それは正に不幸にというものではないでしょうか?
 そもそも幸せとは心の健康であるという通り、物質ではないのですから、物質をいくら追い求めても蜃気楼を追い求めるかの如く幸せが手に入るわけがないのです。
 実際に私は年収も貯金も平均以下ですが、幸せを維持できています。
 これは心が健康であるからに他なりません。心が健康であれば幸せなんてお金が無くても手に入るのです
 逆に心が不健康であればいくらお金があっても足りません。
 もちろん心が健康であるためには身体も健康である必要がありますが、今回は身体の健康については論外としておきます。

お金に関する社会からの悪影響とは何か

 ではどうすればそんな心の健康を維持できるのかというと、これも無限的に多過ぎて一概には言えません。
 逆に心が不健康にならないことを気をつけるべきです。
 そうなると心が不健康にならないためにはどうすれば良いのかが問題になりますが、答えは前回に書いておきました。
 即ち社会からの悪影響を受けない事、これに尽きるかと思います。
 お金に限って言えば、現代は資本主義社会でお金で何でも手に入ると錯覚させられそうな時代ですが、お金で手に入るのは物質だけであり、それ以外はお金では手に入りません。
 例えば身体の健康(状態)はいくらお金を積んでも手に入らないのであり、身体の健康もそうなら心の健康(状態)も当然同じです。(手に入らない物質もあります。例えば自分の身体の一部)
 他にはギター(物質)は買えてもの演奏技術はいくらお金を積んでも本人の努力なしには永久に手に入らないのであり、それはギターに限らずどのスポーツでも同じです。
 幸せという意味ではここにお金以上の価値があるのですが、これはまた別の機会に説くことにします。  
 結論を言えば、お金に関しての社会からの悪影響とは
お金で何でも手に入ると錯覚させられる事と、お金を追い求めるあまり、お金以上に価値のあることに気づかなくなってしまう事だと言えるのではないでしょうか?

資本主義社会からの悪影響を受けないためにはどうすれば良いか

 では社会からの悪影響を受けないようにするためにはどうすれば良いのか、となりますが、社会からの影響を全く受けないと言うことは100%不可能です。
 何故なら人間は社会の中でしか生きられないからです。
 今回のテーマに限って言えば、お金は生きていく上で必要なものであり、そのお金は社会から手に入れるものなので、嫌でも社会からの影響は避けられません。
 ではどうすれば良いのか?これは食事に関しても同じ事が言えますが、対策も同じことです。
 即ち害を跳ね返せるだけの強く健康な身体を創る事と同じで、悪影響を跳ね返せるだけの強靭で健康な心を創るしかありません。

人生に目的を持つ事が強い心を創り上げる

 やはり人間にとって一番に大事なのは心です。特に心は自分の意志一つでどうにでもなるものなので、大事なのは自分を強く持つ事、下らないものに流されない強い心を持つこと、これに尽きると思います。
 ではどうすれば強い心を創る事ができるのかと言えば、人生に何か目的を持つ事が一番ではないかと思います。
 私の場合はギターの演奏を極める事、そして一流の指導者となる事という目的の下で意図的に必要なものと不必要なものを取捨選択してきました。
 結果として偶然性も手伝ってこれが良い方向に働き、今に至るも心の健康を維持できています。
 人生上の目的を持つという事は、生き方を決めるという事なのかもしれません。
 そしてその通りに生きていれば、人は幸せ=心が健康でいられるのかもしれません。

幸せとは自分で手に入れて自分で維持するものである

 今回は以上となります。幸せとは心の健康でしかないので、お金とはそれを維持するのに必要な分あれば十分であり、それ以上は余剰分でしかないのです。
 むしろお金では手に入らないものの方が大事であり、それに気づく事が心の健康を維持するためには必要だと言えるでしょう。
 そのためには資本主義の問題に気づき、資本主義の社会の中でも資本主義に染まり切らない様に生活しないといけません。
 そうなると今度は資本主義に流されない強い心が必要になります。
 その強い心は人生に目的を持つ事でしか鍛えられません。
 幸せとは心の健康である以上、どこまで行っても物質ではなく、心が問題となるものなのです。
 そして心が健康であれば幸せなんてお金が無くても簡単に手に入るのです。
 その心とは個人のものであり、他人は関係ありません。
 自分で手に入れて、自分で維持する以外に幸せ=心が健康でいられる術など無いのです。
 次回は予定を変更して、幸せとは個人の心の問題であるという観点から、幸せと結婚について私なりの見解を述べたいと思います。

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