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理解・共感されることの危険性。結局は進むか堕ちるか。

私は紛れもないマイノリティで、社会から外れた者です。
理解者は現実世界で会うことはあまりないでしょう。
そもそも本気で自殺願望を抱えている、っていう時点で9割くらいの人からは理解されないでしょうね。

ですが、私は人から理解・共感されることを望んでるかと言われればそれはちょっと微妙なところですね。

いいね・スキが多いと嬉しいとか少ないと悲しいとか、全くないと言えば嘘ですが、あんまりないです(世の中の人達の好みを知るという点においては役に立ちますが)

理由は主に二つあります。

理解・共感されたところで、別に生きやすくならない

「分かるよその気持ち」って言われて慰められても、その一瞬気持ち良いだけです。ちんけな承認欲求に振り回されてる自分が惨めでしかないんですよね。ドラッグの一時的な快楽を追い求めているのと何も変わらないなー、と、冷静になっちゃうんですよね。

理解・肯定による依存

二つ目の理由です。人は理解・共感されると安心すると思います。理解・共感は必要ない的なこと書いてカッコつけましたが、当然私だってそうです。私の全てを理解し、受け入れてくれる人が目の前にいたら、その人にすがりたくなるんじゃないでしょうか。

でもそこには大きな危険性を孕んでいるということも理解しています。結論から言いたいことを述べると

結局人生をかけて何を成し遂げたいのかを明確にし、その道中で社会の荒波に揉まれて、傷ついて、起き上がってを繰り返さない限り人生は良い方向に行かないということです。

理解・共感されるとその場から離れたくなくなってしまいます。それはすなわち蟻地獄に引きずりこまれるようなもの。理解してくれる人は決してアナタを否定しないでしょう。

例え逃げても「仕方ないよ」と慰めてくれるでしょうし、人生がうまく行かなくても「あなたは悪くないよ」と肯定してくれるでしょう。

理解・肯定はドラッグになります。

メンヘラがよく恋愛依存症になってる現象を見ますが、この蟻地獄にハマってるからなんじゃないでしょうか。

別の表現をするならば、癌になった患者を無理やり延命させてるような、そんな感覚ですね。

向き合わなければならない現実に目隠しをしてしまうんですよね。

人生を良くするために必要なのは肯定ではなく導きだと思います。

私は理想主義者ではありますが、無駄に現実主義でもあります。

「現実を見ろ」

大嫌いな言葉です。でも悔しいことにまぎれもない正論なんですよね。

目的を見つけ進み、傷つき、倒れ、起き上がることから逃げてもその先にあるのは底なしの落とし穴です。

人生は結局進むか・堕ちるかのどちらかしかありません。

私のように精神が脆く、立ち向かえば限界が来て自殺するか、死なないために逃げるしか無いような人間は最初から詰んでますけどね。

堕ちていくしかない人生だと思います。

産まれながらにしてゲームオーバーの人生というものは本当に虚しいものですよね(笑)

せめて精神が弱くてもコミュニケーションが上手だったら
せめてコミュニケーションは下手でも精神が強かったら

それだけで私の人生は随分と救われたと思います。

なぜ、せめて片方でも持って産まれてこなかったんでしょうか。

コミュニケーション能力に関しては幼少期の環境で大きく上下すると思います。
メンタルも幼少期に過ごす環境が大きく影響します。学校と家に居場所がなく、否定され続けた子供が強いメンタルを持つなんて、ほとんどあり得ない話でしょう。

残念ながら毒親持ちの環境ではそれは叶いませんでした。

年を取って、子供の時に過ごす環境がいかに大事だったか、気づいたときにはもう遅いです。

私は理想と現実のはざまでいつも苦しんでいます。

逃げるのは楽です。理解・肯定してくれる場に逃げれば逃げるほど、落とし穴がどんどん深くなっていく感覚が分かるんです。

だから逃げても、理解・肯定されても心はずっと曇ったままなんです。

でも前へ進もうにも、土台がない。進み方が分からない。

私が本当に欲しいのは理解者ではなく、魚の釣り方を教えてくれるような、正しい道へ導いてくれる指導者だったんですね。

……残念ながら私の傍には指導者どころか理解者すらもいませんでした。

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