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ラブ・アンド・クリティシズム

夏が来た。海の音はいっさいの否定を打ち消す。私は愛や、誠実という言葉の意味をかんがえながら、それでいてよこしまな考えにもふけってしまう。ニヤリ、と笑ってみる、トンビの声が高く聴こえる。


遠くでは世音香が波の近くで跳ねてあそんでいる。飛沫のように散っていく波、笑う世音香、彼女は気が付いているだろうか、すでに彼女は人ではない、鹿のように跳ねまわり、天使のように笑う彼女は。


すべてがみな静止した映画のように見えて、その美しさにくらっと来てしまう。人間はかくもうつくしくくるえるのか……、世音香は鳥のように歌う。


夏は、あからさまな愛を打ち消す。私は批評という言葉を信用していない。信用しているのは人間の本心だけだ。批評はそれをいかに損なわずに掘り出すかということだけだ。


「笹原っ」


「なに、世音香」


「あなたもこっち来てあそびなさいよ! 波がきもちいいよ」


「ああ、うん。いや、だけどさ」


「なによ、また頭で悩んでるの? 馬鹿ね」


「お前みたいに現生の巫女だったら、たしかに悩まずに済んだかもな、けどな、俺はさ、眩しいのよ、まぶしい、鹿みたいに跳んで、鳥みたいに歌うお前が、なんだかこの世のものじゃないみたいに見えるんだよ」


「よく気づいたわね、私、海に気に入られてるみたいだから」


「……さらわれるなよ」


夏が、俺たちをあからさまな生命に還す。けれど、世音香はすぐに人間の境を超えてしまう。俺は、呆然と立ち尽くしている、俺はだれに恋をしているのか、それすらもわからないでいる。きらきら町には、霊性のゆたかな人間が多い、そんなにんげんは自然とひとを引き寄せる。美香、世音香、都美子、三笠、芹川……彼女ら彼らは生きながらにして、ひとつの謎となった。謎はひとを引き付けてやまない。この町には批評家が足らない。


ひそやかな祈りせめて歌になるまで。俺たちの旅路はまだ長い、そして俺たちの旅路は、祝福されたものであるだろうか。世音香がむこうで何か言っている。俺を海に誘おうとしている、あいつは輝波さんのように誘い込みがうまいのだろう、いや、あいつはもはや輝波さんの依り代なのか。


「……おーっい!」


「んだよ、ちょっとまってな」


夏は、あからさまな愛を打ち消す。俺は批評家としてすべてを愛さねばなるめえ、波は、高く打ち続けている。世音香は、奇跡のように笑っている。その笑みに吸い込まれそうになっって、すんでのところで立ち止まる。夏はまだ始まったばかりだ。全身で生きることが俺の批評だ。世音香、お前を批評したら何冊の単行本になるだろうね? 俺はシャツを脱いで走り出す、流れ出る汗が俺の批評を確かなものにする。この町には批評家が足らない。その割には面白い奴らばっかりなんだ。ラブアンドクリティシズム、遊びまくろうぜ。


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