『いま我は(擬人化された)死(大鎌や草刈鎌を手に持ち黒い傷んだローブを身にまとった人間の白骨の姿で描かれる西洋の死神)、即ち、世界の破壊者となれり。』等に関する引用で前置きが長くなりました。お急ぎの方は本文へ進んでください。
NBC White Paper (1965)
The Decision To Drop The Bomb (Reported by Chet Huntley)
昨年、米国、他で公開されて以来ずっと話題になっていたオッペンハイマー
が明日から国内でも上映されます。オスカー像を7つ(作品賞・監督賞・主演男優賞・助演男優賞・撮影賞・編集賞・作曲賞)も獲ったので、かなりの観客動員数が期待されますが、これまでのハリウッド映画と同様に、被爆地と被爆者に尺が割かれていないことについて批判する意見は少なくないようです。この点については、二重被爆に関する書籍の映画化権を十数年前に取得しているジェームズ・キャメロン監督に期待したいと思います。
明日公開される映画で(教科書には載っていない)オッペンハイマーを知った若い皆さんも多いと思いますが、(元から右寄りのフジテレビ系列局と日本テレビ系列局を含め)放送業界全体が今世紀に入ってから(特に、逆らうと電波を止めると言われてから)右旋回するまでは、毎年夏になると原爆投下や水爆実験がもたらした惨禍や核兵器の禁止・拡散について取材した多数のドキュメンタリー番組が放送されていました。画面が4:3の古い番組はあまり見当たりませんが、動画サイトに野良アップロードされている番組も散見されますので、ご興味があれば、検索してみてください。
また、戦後、オッペンハイマーはアメリカ全土で吹き荒れた赤狩りの犠牲となり、晩年は決して幸福ではなかったようです。
尚、史上初めて広島に投下された広島型原子爆弾(リトルボーイ)は140ポンド(63.5kg)もの高濃縮ウラン(ウラン235)を装填する必要があったことも理由の一つとして、実際に爆発させる実験を一度も行うことなく、B-29(エノラ・ゲイ号)に搭載されました。
(視界が不十分であった小倉を迂回して)長崎に投下された長崎型原子爆弾(ファットマン)は、明日公開される映画の中でも描かれている通り、1945年7月16日にホワイトサンズ射爆場(ニューメキシコ州アラモゴード砂漠)で行われたトリニティ試験・トリニティ実験(史上初めての核爆発実験)でそのプロトタイプが実際に爆発させられました。
さて、アメリカをはじめ諸外国においても(アメリカ、イギリス、カナダが原子爆弾の開発・製造のために科学者や技術者を総動員した)マンハッタン計画を描いた映画やテレビドラマは昔から折にふれて制作されてきました。それらの中から、二つ、紹介したいと思います。
一つは1989年3月5日にCBS系列局で放送された(テレビドラマ)デイワン 最終兵器の覚醒(めざめ)です。サブウェイ・パニック(1974年)で知られるジョセフ・サージェントが監督し、エミー賞を受賞しています。
日本で劇場公開・テレビ放映されたことはなく、原作小説の翻訳版も出版されていませんが、劇中にアインシュタイン、他、大勢の科学者・技術者・軍人・政治家が登場し、マンハッタン計画の経緯が時系列に沿ってわかり易くまとめられています。開発に携わった大勢の科学者や技術者が広島と長崎の惨禍をスライド映写で観る場面も終盤に盛り込まれています。
国内ではDVD化されておらず、海外からDVDを輸入しても日本語字幕は付いていないので、例えば、Google Chrome で英語字幕を自動生成しながらご覧ください。
【 本編 】
【 予告編 】
もう一つは1989年の秋に公開されたシャドー・メーカーズ(原題は『長崎型原爆と広島型原爆』)です。キリング・フィールドやミッションで知られるローランド・ジョフィが監督し、ヴィルモス・スィグモンドが撮影し、エンニオ・モリコーネが音楽を担当しましたが、キリング・フィールドの脚本も手がけたブルース・ロビンソンが本作では史実を曲げ過ぎた(ノベライゼーションの日本語訳が文庫で発売されていました)ためか、公開時に大こけして今では忘れられた作品です。
マンハッタン計画全体を指揮した陸軍のレズリー・グローヴス少将に扮したポール・ニューマンの演技も評価は低かったようですが、(実際には原子爆弾が投下された後に発生した臨界事故をモデルにした事故を含む)開発中の事故も描かれており、嫌いな作品ではありません。
【 本編 】
【 予告編 】
【 サウンドトラック 】
オッペンハイマーを鑑賞された後にデイワンとシャドー・メーカーズをご覧になれば、アメリカ国内でこの30年余りの間に核兵器に対する考え方が変わった・変わらなかったことを確認する一助となるかもしれません。お時間があれば...