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タコス、もしくは喜びについて 心斎橋のメキシコ料理屋、「エル・パンチョ」にともだちと行ってきた。タコスってうめ〜〜〜 席が90分制で意外と短いね〜とか言ってたけど最初の1時間で大量のうまそうな料理を頼んで嵐のように食い散らしてたら1時間経ってた。めちゃくちゃ薄暗かったのもあって店出てから「なんか夢…?見てた感じせん…?」みたいな話をした。ほんとうに夢だったらいいぐらい満腹で苦しくなった。助けてくれ。 そもそも今回ともだちを連れてメキシコ料理を食いに来た理由というのが
暑い上に蒸すときた。全く夏は話にならない。 なんの用事もなく昼過ぎに起き上がった窓の外が快晴だ。隣家の屋上の床のコンクリートがまだらに濡れて、さっき夢枕に聞こえた雨が本当だったとわかる。起き抜けのだるさが睡眠の名残であると同じく、雨上がりは雨の続きである。天上から雨が降らないかわりに足元から雨が降る。水たまりのことではない。 用のない休日の無聊を慰めるのはめしと煙草だ。気に入って履いているdickiesの短いズボンを履いて出かけると剥き出した脛に湿気が絡んで閉口する。雨が
Ⅰ. 酒の味が元来ハレの側に属するからして、下戸の自分が永世ケの岸に取り残されることは必定であった。 ハレの彼岸に渡る六文銭がないということは、寝ても覚めても自らの理性的たる部分と顔を合わせて生きていかねばならないということであり、つまりは酔うことがないということである。酔えば愉快だ。少なくとも愉快に見える。愉快でありたいと前向きにあろうとしている気持のあらわれである。これが見れば見るほどにうらやましくなるから、酒の席では酔漢の倍ほどに大声をあげて騒ぐことにしているが、
【序説】英語で言う"egg plant"に2種類の呼び名があり、「なす」と「なすび」である。 標準語としての名称は「なす」であり、「なすび」は方言、特に西日本で主に使われる呼称とされている。 西日本出身・在住の筆者もその呼称に触れる機会はあるが、ほぼ標準語としての「なす」を使う。 →では、われわれはいつegg plantを「なすび」と呼ぶのか? 参考URL https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/inde
1.おれたちのMetGalaやろうや「なあ、MetGalaみたいな遊びしようや」 と、言われたときに詳細も聞かずに「よっしゃ、やろうや」と応えるやつらしかいなかったので、おれたちはまた普段では着られもしないような派手な服を買い集めることになった。 MetGalaとはNYのメトロポリタン美術館で毎年開かれているイベントで、言ってしまえばセレブがめちゃくちゃに着飾って集まるパーティーである。メトロポリタン美術館の服飾研究所が主催なこともあって、招待されたセレブたちの装いはそ
さいきん俳句をよく詠むんですが、文字数がすくないので何言ってんだコイツみたいに思われそう〜〜と恐怖しています #俳句 のハッシュタグをつけたうわごとでない証左として、自分が詠んだ俳句を自分で解説するという割と恥ずかしめなことをやろうと思います。御一笑ください。 マンバンの束の芯まで汗乾く 暑いときに汗かいたまま髪結ぶと髪の束の中心のほうが濡れたままなかなか乾かないんですよね。それが乾くときはよほど冷房の効いた屋内に居たのかどうだったか(おぼえてない) スケボーや転べば
どうも。指です。 "深淵"そのものみたいなツラで失礼します。 突然ですがみなさんコーラって好きですよね?好きですよね?好きだよな?よし。 ぼくもコーラが好きなので病気になるぐらい飲んでるんですが(去年尿路結石になって地獄のような痛みを味わった)、好きが高じて最近はコーラを自作するようになりました。 市販されているコーラはスパイスやハーブの精油を使用しているため再現するのは難しいのですが、最近クラフトコーラというものが流行っていて、数種類のスパイスと柑橘、そして砂糖を煮
0. 序章 これについて詳しく書く試みです。 Twitterとかをやってると、たびたびエセ科学をメチャメチャ馬鹿にする文章がまわってきたりします。これを書いてる現在(2021/12/20)付近で言うと「テスラ缶」とかありましたよね。 こういう明らかに科学的でないものを信用して、なおかつ「効果があった!」って言ってる人を見て「科学教育の敗北」なんて言い方をしたりします。ちゃんと学校で科学を学んでりゃこんなもん一発でインチキだとわかるだろ、ってな話ですね。 でもこれってむし
食事は欲を満たす。 満たしたい欲はいわゆる食欲に限らない。腹が減るから食う、栄養のために食うをやるには人間は文化を作りすぎた。今や心と舌を喜ばせるために食うものが大半である。食わねば力が出ない、食わねばじきに衰弱の影が来る、というわけでもないのにわれわれは食わでものものを食っている。遊園地で車のついた箱に乗り、登らでもの坂を登り下らでもの坂を下る遊びを思いついてわあきゃあ言っている種が我々である。何の不思議もない。 全く動物的の本能から離れて「うまい」のためにものを食うとき
ルース・ベネディクトの「菊と刀」に曰く、快楽に消極的な日本人がおおっぴらに楽しむものが風呂なのだという。銭湯を知るまではこれを甚だ疑問であると思って頭の片隅に置いておいたが、銭湯の広い湯船で湯に撫でられるとこれは然りと思わずには居られない。平日の昼間に風呂屋に行くのは全くの快楽である。 とはいえ、湯に浸かるのもサウナもさして得意ではない。身体が熱をもってぼうっとするのが苦手だ。肺が腫れぼったくなった気がして息苦しい。それを推して湯に入る。サウナに入る。湯船で体を伸ばしている
寝屋川という街に住んでいる。大阪のはしっこのベッドタウンで、人が住む以外用のない土地である。無職をやっていると無闇に時間があって退屈なので散歩をやるが、歩いていても誰かの生活が迫ってくるような道が通っている。二十余年住んでいて遊ぶ用もなかったのでこうして散歩をやる以前は見たこともない景色ばかりで楽しい。 足が向いた先に店があれば冷やかしに這入ることもするが大抵は来る人に合わせた趣味に染まっていて、つまりは老人の用を足す店である。このうち食い物を出す店はおれにも客になる栄誉が
めっきり食が細くなった。細くなったといえどもよく食べるほうではあるが、一時期と比べれば細くなった。まず大盛りが怖い。食べ切ったあとの、上がった血糖値がもたらすだるさが恐ろしい。金を払って倦怠感を買うようなものではないか。同じ理由で「大盛り無料」にも心が躍らなくなった。今日も定食屋でご飯を小盛りにしたが随分大人になったなと思う。 つぎに揚げ物が心のうちの、上座の部分から退いた。じゅわっと揚がった茶色い唐揚げやコロッケや、尻尾を赤く照り光らせた立派なエビフライやらが目の前にワッ
醤油味のカップヌードルが食べたくなってコンビニに来た。イートインの左には絵に描いたようなぴえん女子が2人並んで無言だ。右では勧誘のババアが半分ホームレスみたいなジジイを騙してポイントカードを作らせている。朝震えるほど寒かったのにここに来るまでに汗をかいた。ガラス窓から見える全員が花粉症みたいな顔をしてマスクをしている。変な世界に来てしまった。カップヌードルは数年ぶりに食べたが昼前に思い出したとおりの味で逆に不気味だ。本当の世界はどこの角を曲がれば戻れるのか知らん。
おれ(Twitter:@digital_usagi)は短歌をやってるんですけど何個かピックアップしたやつの解説をセルフでやろうかなっておもったので野暮を承知で書いてます ボケの説明を自分でするみたいなやつです 死のうかな アニサキスでいいからそばにいてほしい 安すぎる寿司を泣きながら食う 安くて侘しいメシ食うときよりも安い中でもちょっと贅沢しました、みたいなやつ食うときのほうが悲しさを感じませんか?特に一人で食うとき 給湯器、仕組みを知らないまま使う どこがぬくいの 何
Ⅰ. 仕事で出張になると、商品を持っていかないといけない事情から北海道でも九州でも車で行ってしまう。乗用車の後部に大物小物を満載して、隣に上司を乗せておれがハンドルを握る。 九州のある自動車道を走ると隣に座っている上司が決まって、「なぁ〇〇ちゃん、桜塚やっくんって知ってるか?」とやる。おれが「あぁそんなんいましたねぇ」とかなんとか返すと、上司は間の抜けた声色で「このへんで交通事故で死んだんや」などと言うので、おれは「このへんやったんですねぇ」とか「事故多いんですねぇ」とかそう