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#俳句 のセルフライナーノーツ

さいきん俳句をよく詠むんですが、文字数がすくないので何言ってんだコイツみたいに思われそう〜〜と恐怖しています

#俳句  のハッシュタグをつけたうわごとでない証左として、自分が詠んだ俳句を自分で解説するという割と恥ずかしめなことをやろうと思います。御一笑ください。




マンバンの束の芯まで汗乾く

暑いときに汗かいたまま髪結ぶと髪の束の中心のほうが濡れたままなかなか乾かないんですよね。それが乾くときはよほど冷房の効いた屋内に居たのかどうだったか(おぼえてない)

スケボーや転べば熱いアスファルト

スケボーで転ぶと自然、膝をすりむくわけですが擦傷をつくったときの痛みってほぼ"熱"として脳に伝わりませんか?あと夏にアスファルトの上に横たわると道が熱をもっていることがいやというほどわかる。もう転びたくない。

鳩の羽根蹴散らして進め涼新た

おそらく鳩のものである、頼りないふわふわの抜け毛みたいな羽根って時々落ちてて、だいたい吹き溜まりみたいなところに溜まってるんですが、夏から秋の湿度が下がり始めた涼しい風を背中に受けて歩くとそういう小汚い道も胸を張って歩ける気分になる気がします。


麦茶ほどは嬉しくもなし寿司二貫

財布に現金の乏しいとき、カネの使い道は嫌でも命を守る方向にむかいます。酷暑の最中であればその傾向はより強くなり、同じ120円でも握り寿司一皿二貫よりは600mlの麦茶をがぶ飲みしたい。


台風や急かされて向かうサイゼリヤ

嵐が近づいているようで不穏な雲行きだったりいやな気を孕んだ風だったりを感じてそわそわしているところに、急げと呼び出されてサイゼリヤに向かっていると不必要な焦燥感があって余計そわそわします。「おおよそ何時に着く」「いまここにいる」と連絡していると自分の予報円を地図に書き込んでいるようで妙な気分になります。


濃く落ちるノースリーブのギャルの影

自分が自分であることを誇る人間、自分の生きものとしてのありさまに自信を持っている人間のオーラってとても強くて、それは存在としての密度として感じられるように思います。密度が高いものは日の光を遮り、夏の強い日差しの中でもくっきりと色濃い影を地面に落としている景色が浮かびます。


BIG夏 BIG雨がつと降りにけり

ビッグマックとかビッグボーイとか、"ビッグ"って付く言葉のあけすけなちからづよさとか底抜けな明るさに憧れることがあって、メチャメチャな日差しでクッソ暑い日にバカみたいな夕立が降るとそのパワフルさに笑いそうになるときがあります。デカい体した丸刈りの豪傑がワハハ!って笑いながらめちゃくちゃでかい弁当食って河川敷にドテーン!って寝転がってわけわからんデカさのいびきかいて寝てるみたいな。


ヨーグルトのやうな短夜を歩くなり

湿気た夜の空気は重くて均一で、スプーンを入れるとぽこっと塊で掬えそうな気すらします。ぽこっ、ぽこっ、と掬っているといつのまにかなくなっていて、朝。みたいな。そういえば煙草のピースって火つける前はヨーグルトみたいな匂いしません?


夜短に満員電車みな眠る

電車に乗って帰っていると視界の端がやけにごちゃごちゃしていて、ふと目をやると全て埋まった座席に座っている乗客の背筋がみんないろんな方向に向かって曲がっていて、つまり皆思い思いの方向にもたれかかりながら寝ていました。夜の短い夏は満員電車ででも寝ていないとすぐに明けてしまう。


汗かいて駅の花壇にしりの跡

汗かくと服が濡れて不快です。濡れた布の肌触りが嫌いなのもあるし、何より汗をかいた箇所で触れた部分を濡らしてしまうのが気持ち悪いし申し訳ない。ある日腰回りや太腿あたりまで汗だくになった状態で駅前の広場に腰掛けたら、濡れたズボンのせいでレンガにおれの尻の跡をくっきりと残してしまったことがあります。


ごきぶりになるべくしてなるたましいよ

パーリ中部経典「癡慧地経」によると、畜生界に転生してしまうと善行を積むことが難しく、地獄界と畜生界を行ったり来たりすることになるとされているそうです。道路でつぶれいていごきぶりの茶色い内臓を見ると、これになるべくしてなった魂のことを思います。


あじさいは打撲のあとの色の花

自然界で青っぽい色を見ることは、とくに動物ばかりに目をやっていると稀です。花はよく青や紫の色を出しますね。動くものばかりを見ていると紫陽花を見ても「あぁ、打撲の痕と同じ色だ」と思う心持ちになります。紫陽花もどこかに強くぶつけたから咲くのか。
(毛皮のある動物の痣を見ることは稀ですね、痣のある犬とか見てみたい)


華奢な人陽炎のようにすつと立ち

陽炎は儚いものという印象が強いですが、そこが炎天下であるかぎり儚い印象のままずっとそこにたっています。その存在は太陽に担保されているため、見た目よりもずっと強い。儚げな印象のひとでも、その内面のエネルギーはなにか大いなるものに担保されている可能性があり侮れません。


蚤の市戸開けて湿気も客となり

扉を開くことは外のものを招き入れることであり、それを拒むことは難しくなります。ある客を招き、ある客を拒絶するにはよほど心を強く持たねばなりません。それが目に見えない湿気ならなおさらでしょう。


バツテラの一(ひとつ)も入らぬ千秋楽

何かの打ち上げで居酒屋に行くことをためらっていた時期から少し時勢が落ち着いてきました。つい羽目を外して料理を頼みすぎることもあり、喜び勇んで注文した鯖寿司がもう苦しくて食べられない。


中崎町服を売る日のみな裸

「中崎町、服を売る日」という名前のイベントに参加した日の句です(上の句で書いた「何かの打ち上げ」っていうのはこれのことなんですが)。出品側もお客さんもヌードをやっている被写体の人が多かったのでなんかおもしろかったんです。



おれは普段短歌をやる人間なんですが、短歌が季語を持たない5節31音なのに対して、俳句は3節17文字で、なおかつ季語を必要とするので自由度はぐっと下がります。
LINEのスタンプだけで会話するような、短いがゆえの出の速さとか、ミニマルなグルーヴとかがなんかいいなと思います みんなもやってみるといいとおもう。

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