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『ゼロ-アルファ――<出来事>のために』第一部断片⑨

 【領域】
 
『(ここでパトリシアとのすべての連結回路切断。その時なぜか今は亡き「沈春」の若旦那、劉沈春の声が聞こえる。)……今こそ、植民地軍に占領されて久しいあの〈公会堂〉を奪い返す時だ……(だが若旦那の声はここでかき消える。代わってジェラードの変わることのない〈反逆の同居人〉であり、対植民地軍ゲリラ仲間であるダニエル・ジョージ・ダイアーの〈分身=補食者〉の声)

……だが、今のところあらゆる領域で《画像》は無際限な自己反復を続けている。それは《ディスプレー》として分裂/分散し、遍在する。〈我々〉はそこに生息している。ところで〈彼ら〉にとって、生体としての《我々の生存》そのものは、DNAが内包する超-微小振動のレベルで根底からコントロールされた上で反復/再生産されなければならなかった。しかも永遠に。そのためにこの《画像》はどうしても必要だったのだ。(従ってそれは誕生した。) それは太古の、〈彼ら〉の遠い祖父母たちの発明である。――遺伝子の反復系列を育てる。〈彼ら〉にとっては、〈他者〉の析出は不必要であった。それどころか、それは全く余計なものであり、いては困るのだから(もしいたとしても)あらかじめ静かに消すべきものである。その〈可能性〉をアプリオリに排除するのだ。結局、論理的前提において消せばよい。〈彼ら〉にとって、《画像=ディスプレー》はその変わらぬ証明過程となる。(言うまでもなく、あくまで〈彼ら〉にとってのことに過ぎないのだが。) 
 
一方、〈彼ら〉という集合体も様々である。ついさっきもちょっとしたテレビ局(〈何〉となつかしい言葉だろうか)で二つの集合体が、対消滅したばかりだが、それは同時に〈我々〉でもある。――やれやれ、秘密でも何でもないことを、つい沈春の若旦那に打ち明けてしまった。ジェラードよ、お前にはよく分かっているだろう。もし《我々=彼ら》の《画像=ディスプレー》がいまだに存在し続けているのならば、それは最後の時まで死に耐えることはないだろう。《画像=ディスプレー》=ゼロ。すなわち、無際限のコーティング。

ソレハナニモノデモナイ。
 
ナニモノデモナイ《あるもの=X》=ゼロ。―――あるいは、〈私〉=〈我々〉=ゼロ。』

 それにしても何でいまだにたったこれっぽっちのチャンネルしかないんだ? これで一体何の役に立つっていうのあなた教えてほしい。そうだダニエルになんとかしてもらおう。(ここでただちに〈外〉の声。「薄明の終末の預言者ダニエルならもうここにはいない。だが、もう一人のダニエルなら……」)

以上の作品のオリジナルは90年代に書かれた散文草稿『ゼロ-アルファーー<出来事>のために』のごく一断片である。(内容的改変無し)



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