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決定版《ラカン派社会論》は成立不可能 『享楽社会論 現代ラカン派の展開』



「ラカン派社会論」の成立可能性への問いに関わるいくつかのコメント 2018年5月5日(一部増補改変)


 副題は「現代ラカン派の展開」でありこれがメインテーマといえるだろう。ただしここでの「ラカン派」は狭義の臨床領域における「ラカン派」を意味するというよりむしろ(もちろん実質的にはオーバーラップする部分があるが)「ラカンをベースに社会理論を展開する派閥」を意味する。つまり本書を読むことで各々の読者は「ラカン派社会論」の可能性について(それが最終的なものかどうかは別として)かなり決定的な判断を下すことができるだろうということだ。

 上記の定義だと、例えばドゥルーズ=ガタリもこの広義の「ラカン派」に属することになる。すなわち、ジジェクなどは言うまでもなく、いわゆる(かつての)「現代フランス思想」という分類枠に入れられたもののほとんどがこの「ラカン派」に属するともいえるのだ。彼女彼らはみな「ラカン」の周りを周回しながら「社会論」を展開していた星座であった。また、自らの「社会論」(事例としては「日本文化論」または「日本国家論」の類)に フロイトの一見扱いやすい概念「抑圧されたものの回帰」などを持ち込んで説明の補強とするような「社会論」も一種の(広義の)「ラカン派社会論」の系譜だといえるだろう。一例をあげれば柄谷行人などがこれに該当する。

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