Dialogue For Peace【ダイアログ・フォー・ピース】

私たちの目的は「すべての生命が安心して生活できる社会の実現(世界平和)」です。そのため…

Dialogue For Peace【ダイアログ・フォー・ピース】

私たちの目的は「すべての生命が安心して生活できる社会の実現(世界平和)」です。そのための小さいけれど大きな一歩として、自分や他者と、さらに社会や世界とつながり、平和が広がる「対話」の可能性を信じています。 私たちは「自分と、そして他者とつながる対話」を広げる活動をしています。

最近の記事

「良きこと」と「悪しきこと」という分離が無い:『すべては導かれている』

「すべては導かれている」 そうは言われても、素直にそうは思えない場面はいくらでも思いつきます。 例えば、何かしらで思い詰めている人に軽々しく「すべては導かれているんだよ」なんては言えません。 その人にとっての苦しさがあるでしょうから。 他人の人生に口出しをするわけではなく、自分の人生を生きるとき、私には以下のメッセージが心に響きました。 「悪しきこと」と思える出来事も、実は「良きこと」なんだよ〜ということも書かれてあるのですが、それよりも、 「悪しきこと」もなければ

    • 時間を奪う「灰色の男たち」:ミヒャエル・エンデ『モモ』

      「灰色の男たち」は『モモ』に登場する重要なキャラクターです。 彼らは物語の中で時間泥棒として描かれており、その存在は物語の中心的なテーマである時間との関係性を象徴しています。 その中で、こんなお話があります。 フージー氏は一流の理髪師としての生活に満足して暮らしていました。 ある雨の日、お客を待ちながらふとこんな考えが浮かびます。 フージー氏は別に、おしゃべりも、はさみを動かすことも嫌いではなかったのですが、心の中に、不意にそんな考えが入り込んできたのです。 そこ

      • 「今この瞬間」を充実させる、ベッポの言葉:ミヒャエル・エンデ『モモ』

        さて、今回「灰色の男たち」について紹介しようと思っていたのですが、その前に。 『モモ』の中に、ベッポという登場人物がいます。 ベッポは街の清掃員として働いていて、毎日道路や公共の場所を掃除して、仕事を真面目にこなしています。 ベッポは時間を大切にしていて「今この瞬間」を充実させることに重きを置いています。 ベッポはとても長い道路の掃除を割り当てられて終わりが見えないとき、こう考えます。 彼は一歩一歩の作業に集中し、その中に満足感や喜びを見出しています。 まさに「今

        • 時間への探求:ミヒャエル・エンデ『モモ』

          先日の対話会は「死」について見つめる時間でした。 本を読んでいる人も読んでいない人も、それぞれに「死」について関心事を持ち寄って対話をしました。 その中で個人的に気づいたことは、私は自分が無くなることは恐れていないけれど、死の瞬間には恐れを抱いているということ。 痛いとか苦しいとか、そういう気持ちを味わいたくないと強く思っているんだと、改めて認識しました。 その瞬間のことは、自分では選べないものではありますが、恐れているんだということを認識できたことでもしかしたら今後

        「良きこと」と「悪しきこと」という分離が無い:『すべては導かれている』

          「死とは」を考える前に「“私”とは?」

          著者の田坂氏が、講演終了後に聴衆の一人から「死とは何でしょうか?」と問われた際、こう答えたそうです。 死とは、ひとつ、この世に存在しなくなることだと思います。 何が存在しなくなることかというと、 それは“私”が存在しなくなること。 じゃあ“私”とは一体何を指すのか? 例えば、私の左手が何らかの理由で失われてしまったとします。 左手が失われたことを、私は嘆き悲しみますが、“私”がいなくなったとは思いません。 左手は私の一部かもしれませんが、“私”そのものではありま

          「死とは」を考える前に「“私”とは?」

          死を考えることは、縁起でもないこと?

          以前、知人と話をしていたときに、「死について語ることはタブー視されている」という話になって、びっくりしたことがあります。 なんでもその人は、友人に何気なく死について話を振ったとき、「死を考えるなんて、縁起でもない!」という反応をされたそうです。 もちろん、何かしらの要因で死が目の前に近づいていることをひしひしと感じられている状態で、死について考えることは非常に恐ろしいことだと思います。 そんなふうに、他人に死を突きつけることはできません。 ただ「やみくもに恐れるだけ」

          死を考えることは、縁起でもないこと?

          死は存在しないと思いますか?

          歳を重ねるにつれ、身近な人から少しの御縁があった方まで、人の死というものに直面する機会も多くなりました。 昨年、ふとした瞬間に「人は死んだらそれで終わりだと思っていたけれど、終わりじゃないんだな」という実感が湧きました。 以前の私は「確かに家族くらいはふとしたときに思い出すかもしれない。だけれど、私が死んだからといって世界は回るし、死んだからって何ともないことなんだろうな」と思っていました。 それは言い換えれば「死んだら無だ」と思っていたのかもしれません。 確かにどん

          人生が私に期待すること

          このフレーズを読んで、これまでの自分を振り返りました。 これまでの私は、人生を自分の従属的なもの、つまり、私の後に人生がついてくるような、自分で作り上げた結果が人生であるような気がしていました。これからどんな人生を歩むか、と未来を考えたときですら、自分が影響を与えられるものとして、人生を見ていました。 ところが、この一節は「私」と「人生」が切り離されています。 これまで、自分が人生に期待しているとは考えていませんでしたが、そう言われると、思いっきり期待をかけていたように

          「すごいこと」ではなく、小さな希望から始めよう

          先日、図書館の新刊コーナーでフラフラしていたら、明石市長(当時)の書籍があり、何気なく手に取りました。 私の泉房穂前明石市長の最初の情報は、暴言ですね。記事などで切り取られた文言を見て、うわ〜〜…こわ…と思った記憶があります。 一方で、当時はFacebookを頻繁に閲覧していたので、彼の良い評判も流れていたので、そのギャップに驚くと同時に、なるほど、記事の切り取りだけではなく、どちらの言い分も聞かないといけないな、と思ったことを覚えています。 どちらかというと、自分とつ

          「すごいこと」ではなく、小さな希望から始めよう

          豊かな生活ってなんなんだろう・・?

          Kindleで人気だとおすすめされた小説を何気なく読んでいたら、日本の近海の豊かさについての描写がありました。 海流や気候、地形、川、森林からの栄養、火山のミネラル、様々な理由から、日本近海には約3700種もの魚がおり、それは世界の海水魚の25%に相当する、というのです。調べてみると、だいたいそんなもののようです。 さらに先を読み、祖母の話と重なります。私が住んでいる西条市は、南に四国山脈、北に瀬戸内海が広がっており、海も山も両方近くにあるほうだと思います。 祖母は子ど

          豊かな生活ってなんなんだろう・・?

          茶摘みをしながら、餅ばあちゃんの教えを実践

          先日『餅ばあちゃんの物語』を見てから、餅ばあちゃんをイメージしながら行動したりしています。 先週末、お茶の葉を摘みました。隣家にズラッとお茶の木が植わっており、隣家のおじさんに「いつでも摘んでいいよ!」と言われています。 祖母に言わせると、昔は1年かけて家で飲むお茶を摘んでいたそうですが、今は祖母も面倒になって買いますし、季節の行事のような、年に一度、自家製の新茶を味わえればいい、というくらいです。 私はお茶づくりがまだまだ上手でもないので試行錯誤しながら、今年は、本当

          茶摘みをしながら、餅ばあちゃんの教えを実践

          「餅ばあちゃん」から学ぶ、暮らすこと、働くこと

          NHKプロフェッショナル「餅ばあちゃんの物語~菓子職人・桑田ミサオ~」を観ました!めちゃくちゃよかったです〜 餅ばあちゃんはその名の通り、93歳(当時)の桑田ミサオさんがたった一人で、畑で小豆をつくってあんこにして、お餅をつくって、笹を山に取りに行って、その笹に包んだ笹餅をつくって売る…それの笹餅が大人気、という方です。 まずは、ぜひぜひ観ていただきたい。(NHKの回し者ではないですが…笑。単品220円で観られます。かつ、動画の配信期限が5月28日までです) 私の『プロ

          「餅ばあちゃん」から学ぶ、暮らすこと、働くこと

          それぞれの「生涯を残す」意味

          先日、内村鑑三著『後世への最大遺物』をもとに対話会を実施しました。 私は、この本を、内村鑑三からの問いだと思っています。この本は、内村が若者向けに講演を行った、その講演録です。なので、その場で「君たちは後世に何を残すのか」という問いを投げながら、講演が進められていたと感じています。 後世にこういったものを残すのがいい、ということを話もありますが、鵜呑みにするだけでは正直意味がなく、「『あなたは』何を残すのか?」と、鋭く言えば、突きつけられているのだと思うのです。 今回は

          誰しもが生きる限り生涯を残す

          さて、前回から「どう生きるか」ということを考えています。 『後世への最大遺物』の著者である内村鑑三については、私は手短にうまく説明できない気がするので、そこは対話会の当日、鬼丸さんに必要な部分の解説をお願いしたいと考えています。ここでは、端折って、内容に入ってしまいますね。 ▼ 内村鑑三は、後世に何を遺すといいと言っているのかまず、お金を遺すのもよい。ただ、子に遺すだけではつまらない。社会に遺すこと。例えば、遺産で世界初の孤児院を建てた人の話。お金を貯める力を持った人ばか

          彼岸に考える「どう生きるか」ということ

          突然ですが、あなたは生きていた証をどうやって残したいですか? 20年くらい前ですが、社会学を研究している知人がいて、その人は当時、本などを著すことも含めて「研究で名を残したい」と言っていました。 人によっては、子孫を残すことが大事な人もいますし、私は昔も今も、何かを残したいとはまったく思わず、知人についても、研究者だからそうなのかな〜くらいにぼんやり考えていました。 「どうやって」残したいですか?と聞いておきながら、残したいと思うことが、私にはないわけですが、とはいえ、

          彼岸に考える「どう生きるか」ということ

          魂が少しずつ人の心に宿る

          今、水木しげるさんの漫画『のんのんばあとオレ』を読んでいます。 (↓キンドル版ですが、これがおすすめ) 漫画では、文庫本にない登場人物がおり、こんなシーンがあります。 仲良くしていた友達が、病気のために亡くなってしまいます。水木しげる少年は、いつもはとても食いしん坊にも関わらず、ご飯にも見向きもせず、ぼーっとしていると、「のんのんばあ」がやってきます。 ちなみに「のんのんばあ」というのは、水木しげるさんの生まれ故郷、鳥取県境港あたりでは、神仏に仕えたりする人を「のんのん