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時間を奪う「灰色の男たち」:ミヒャエル・エンデ『モモ』

「灰色の男たち」は『モモ』に登場する重要なキャラクターです。

彼らは物語の中で時間泥棒として描かれており、その存在は物語の中心的なテーマである時間との関係性を象徴しています。

その中で、こんなお話があります。

フージー氏は一流の理髪師としての生活に満足して暮らしていました。

ある雨の日、お客を待ちながらふとこんな考えが浮かびます。

「はさみと、おしゃべりと、せっけんのあわの人生だ。おれはいったい生きていて、なんになった?死んでしまえば、まるでおれなんぞ、もともといなかったみたいに、人にわすれられてしまうんだ。」

『モモ』(6章インチキで人をまるめこむ計算)

フージー氏は別に、おしゃべりも、はさみを動かすことも嫌いではなかったのですが、心の中に、不意にそんな考えが入り込んできたのです。

そこに現れるのが、時間貯蓄銀行の外交員を名乗る「灰色の男」です。

男はフージー氏の時間の無駄使いを指摘し、フージー氏が本来持っている時間と、その大部分が無駄に費やされていることを計算し、フージー氏の人生に財産として残された時間はゼロであると告げます。

そして、今すぐ時間の倹約を始めることを勧めます。

それは例えば
・お客一人の対応を15分で済ませる
・おしゃべりをやめる
・年老いた母親と過ごす時間を半分にする。むしろ養老院に入れてしまう
・ペットのセキセイインコを飼うのをやめる
・歌や本をやめる
・友達づきあいをやめる
といったことです。

こうしてフージー氏は時間を倹約するようになりました。するとどうなったか。
フージー氏は、だんだんとおこりっぽい、おちつきのない人になってきました。というのは、ひとつ、ふにおちないことがあるからです。倹約した時間は、じっさい、手もとにすこしものこりませんでした。魔法のようにたたもなく消えてなくなってしまうのです。フージー氏の一日一日は、はじめはそれとわからないほど、けれどしだいにはっきりと、みじかくなってゆきました。

『モモ』(6章インチキで人をまるめこむ計算)

『モモ』の中で、灰色の男たちは、人々の時間を奪う存在として描かれています。

そして、フージー氏に起こったことは現実にも起こっている!と思わずにはいられません。

昔に比べていろいろなものが発達して便利になって時間は短縮しているはずなのに、なぜ、より一層あくせくしているのだろう?

東京-大阪間を、昭和(戦後)は8時間で移動していました。

そして、今は2時間半程度です。

5時間半の分だけ、私たちがゆったり過ごしているとは思えません。浮いた時間はどこへ消えたのでしょう。

昔は手紙を送って届いたかな〜返事は来るかな〜とのんびり待っていたものが、今はLINEで読んだことがすぐに分かり、数分で返事が来ないとソワソワしてみたり。

別に昔のほうがいいというわけではないです。今のほうが便利なのは間違いありません。

そして、前回の、ベッポのお話を思い出してください。

ベッポは時間を大切にしていて「今この瞬間」を充実させることに重きを置いています。

その二つを比べた今、あなたはどう思いますか?


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