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それぞれの「生涯を残す」意味

先日、内村鑑三著『後世への最大遺物』をもとに対話会を実施しました。

私は、この本を、内村鑑三からの問いだと思っています。この本は、内村が若者向けに講演を行った、その講演録です。なので、その場で「君たちは後世に何を残すのか」という問いを投げながら、講演が進められていたと感じています。

後世にこういったものを残すのがいい、ということを話もありますが、鵜呑みにするだけでは正直意味がなく、「『あなたは』何を残すのか?」と、鋭く言えば、突きつけられているのだと思うのです。

今回は、いつもにも増して少人数でしたので、お一人お一人からしっかりお話が聞けたり、私たちも含めてたくさん発言の機会がありました。

「あなたにとって、『生涯を残す』とは?」という質問を、改めて私からみなさんへ投げさせていただきました。

鬼丸さんは「愛」と答えておられました。いろんな考えが巡って、そのときは「なるほど〜」と思い、それ以外にパッと反応することはできなかったのですが、翌日以降その言葉を持っていると、ある本を読んでいたときに、スッとその言葉が浸透してきました。

私の解釈にはなりますが、何かをしてあげようとか、与えようとか、そういうことではなく、ただ愛の存在であること。その態度によって共鳴し合うと言いますか、相手に与える何かしらの影響がある、その大切さを教えてくださったように思います。

そして、他の方からも「愉しさ」や「バトン」という言葉をいただきました。

真に愉(たの)しむこと。それを体現している人が周りにいると、その喜びに感化されます。教えられずとも、あぁそんなふうに愉しむ方法があるんだ。そんなふうに愉しんでいいんだ、と、私の人生にとってそれが当たり前になり、いつの間にか自分も体現できるようになるでしょう。

さらに、「バトン」というのも、リレーのように、人から人へ直接渡されるバトンもあるかもしれませんが、その場では、そこに転がっているバトンもある、と教えてくださったのが印象的でした。

誰から渡されたということでもないのだけれど、そこにあったバトンを拾い上げて、走り出す場合もある、というのは、バトンは必ず渡さなければならない、という思い込みがあることも気付かされ、また、世代や空間を超えるような感覚もしました。

例えば、私にとっては神谷美恵子のような、亡くなっていて、今、会うことはかなわないけれど、思いが本として残っていて、それを読んでハッと気づき、何かが動きだすこともあると思ったからです。

また「後世への」という言葉に囚われすぎていることにも気づきました。年長者から若年者へ渡すもの、というイメージが強すぎたのですが、若い世代から受け取るバトンもあると気づきました。

私自身は「あなたにとって、生涯を残すとは?」と問われると、残ってもいいし、残らなくもあるものだ、と思いました。

私の仕事の一つ、子どもたちの学習サポートをしているとき、もちろん、その場は全身全霊で向き合います。そして見ている先は、とりあえず目の前のテストでいい点を取ることではなく、その子がいかに、この先の人生を、その子らしく生き生きと望むように生きられるか、ということです。

それが叶うのであれば、私は、私の名前であったり森本某(なにがし)という私の存在が忘れられてもまったく問題はありません。

私が生きる上で得た智慧、ささやかなものかもしれませんが、自分なりに苦労したことで得た智慧を、子どもたちが生きる上で活用してもらえたら、それが残ってくれれば嬉しいですし、同時に、それが誰から与えられたものなのか、そんなことは残らなくてもいいです。・・・そんなことを強く思いました。

さて、次回の対話会は、NHKプロフェッショナル「餅ばあちゃんの物語~菓子職人・桑田ミサオ~」がテーマです。

--以下サイトより抜粋--
本州の北端・津軽半島。日本の原風景が残る美しい土地で30年以上、たった一人で年間5万個のササ餅を作り続ける職人・桑田ミサオさん93歳。山に分け入ってササの葉を採り、材料の小豆から全て手作りで絶品のお餅を作る。「十本の指は黄金の山」という母の言葉を胸に営まれる、知恵と工夫でいっぱいの心豊かな暮らし。仕事とは?人生とは?幸せとは?
こんな時代だからこそ心にしみる、つつましく温かな、餅ばあちゃんの物語。
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(文責:森本)


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