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歴史から時代を超える知恵を学ぶ

歴史が苦手な人こそ

私ははっきり言って、あまり好きではありません。社会の授業の「とりあえず、ひたすら覚える」という印象が残っているからです。

随分前に、日本史が好き!という人に会ったとき、「どんなところが好きなの?」と聞くと、「人間関係がドロドロしているところ」と答えていました。笑

そのときに、私は歴史の表面的なところしか押さえようとしていなかったんだ、と気づきました。

なぜ私たちが歴史を学ぶのか

過去に起こったことは過去に起こったことであり、同じことが起きるわけないじゃないか、という考えもあります。

「歴史は繰り返さないが、韻を踏む」

これは『トム・ソーヤーの冒険』で有名な、アメリカの作家マーク・トゥエインの言葉です。歴史は完全に同じ形で再現されるわけではないけれど、似たようなパターンやテーマが現れるため、過去の出来事を理解することで、現在や未来の出来事に対する洞察を得ることができるのです。

「気温」という身近なものひとつとってみても、これまでの常識では考えられないような豪雨や暑さを、私たちは今、体感しています。

いつの時代もそうですが、かつてないほどの変化と不確実性に満ちた時代を生きる私たちにとって、歴史を学ぶことで、過去の失敗や成功から教訓を引き出し、乗り越えるための勇気を与えられることが往々にしてあると思うのです。

今回の対話会では、江戸時代中期の名君・上杉鷹山と彼の師である儒学者・細井平洲に焦点を当てます。

上杉鷹山という偉人をご存知ですか?

上杉鷹山(うえすぎようざん)は、江戸時代中期の大名で、米沢藩の第9代藩主として知られています。当時の米沢藩は深刻な財政危機に陥っており、領民は貧困に苦しんでいました。そんな中、たった17歳で藩主になります。

それから藩の財政を立て直すための改革を行い、その成果から「名君」として称賛されています。彼の改革は、農業の振興、産業の育成、倹約の推進など多岐にわたります。

鷹山のとても印象的なエピソードがあります。

江戸時代には、主君押込(しゅくんおしこめ)という制度がありました。藩主が家臣団によって強制的に隠居させられるものです。藩内での権力闘争や藩政の混乱を回避するために行われることがありました。

逼迫した藩の状況の中、鷹山自身も同じように主君押込にあうかもしれないという恐れがあったのではないでしょうか。

はじめて自領に足を踏み入れたのは、晩秋の頃。秋から冬への移り変わりの物悲しさを感じる時期に、そして、藩の状態が最悪の時期に、貧困に苦しむ荒れ果てた土地、さびれた村を次々に通りながら、その現状はきっと想像以上だったのではないでしょうか。衝撃を受ける中で、鷹山は気づくのです。

「この目で、わが民の悲惨を目撃して絶望におそわれていたとき、目の前の小さな炭火が、今にも消えようとしているのに気づいた。大事にしてそれを取り上げ、そっと辛抱強く息を吹きかけると、実に嬉しいことには、よみがえらすことに成功した。同じ方法で、わが治める土地と民とをよみがえらせるのは不可能だろうか。そう思うと希望が湧き上がってきたのである」

『代表的日本人』

今、日本全体を考えたとき

今の日本を見たとき、正直あまり裕福ではないように思います。もちろん、富める人は引き続き豊かではあるでしょう。しかし、円安も進み、土地も安いからと、どんどん外国に買われていたり、全体的に、活気があるようには感じられません。

そして身近に貧困も感じるようになりました。1日に給食1食しか食べられない児童の話はこれまでニュースの世界だけでしたが、身近に存在することがわかりました。そのような状況に、自分は食べられているからいいか、とは到底思えないのです。

今の世の中は、もしかしたら鷹山が米沢に入った時のどんよりとした雰囲気に、似ているのかもしれません。そこで「あぁもう日本はダメなんだな」と諦めるのか。それとも、種火を大事にして、辛抱強く息を吹きかけるのか。

今の世に存在したとしたら、鷹山はどんな乗り越え方をするのか。思いを馳せたいと思っています。

次回は「細井平洲」について

次回は、鷹山の師、細井平洲(ほそい へいしゅう)についてご紹介したいと思っています。あまり知られた人物ではないかもしれませんが、彼の言葉をまとめたものは、明治の時代を動かした吉田松陰や西郷隆盛も絶賛し、学びを深めていました。こちらの偉人も、とても興味深い人です。



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