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人生が私に期待すること

「人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、
むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである」

ヴィクトール・フランクル『夜と霧』

このフレーズを読んで、これまでの自分を振り返りました。

これまでの私は、人生を自分の従属的なもの、つまり、私の後に人生がついてくるような、自分で作り上げた結果が人生であるような気がしていました。これからどんな人生を歩むか、と未来を考えたときですら、自分が影響を与えられるものとして、人生を見ていました。

ところが、この一節は「私」と「人生」が切り離されています。

これまで、自分が人生に期待しているとは考えていませんでしたが、そう言われると、思いっきり期待をかけていたように思います。

「人生が私から何を期待しているのか?」

そんなふうに考えたことはありませんでした。

こうだったらいいのに、ああだったらいいのに、と望むことは確かにありませんが、それでも、こういう人生にしよう、こんな人生を歩もう、と考えていること自体がもうすでに人生に期待しているのであって、「欲望」の上に人生を生きているのです。

私は欲望の上に人生を生きることはダメだとは思いません。こうやってみたい、こんなこともしてみたい、とやってみることは生きることの醍醐味のひとつだと思うからです。

ただ、今の価値観として、能動的であることばかりが称賛され、受動的であることがダメであるかのような風潮には少なからずの疑問があります。

アウシュビッツ強制収容所で、人生に希望を持てない、期待することすら苦しい中、生きる気力を失ってしまう…という状況で、

「人生に何を問われているのか?人生に何を期待されているのか?」という問いは、自分が期待するばかりでなく、期待される側であることからの活力を引き出してくれる。

それは、現代の私たちにとっても、能動的に期待し行動することが持ち上げられている中で苦しさを感じているとき、はたまた、ある程度自分の人生が固まって、順風満帆とまでは言わないまでも順調に行っている、という状況でも、

いやいや、人生はあなたに何かを期待していますよ、と言われると、はたと、何の期待に応えられるのだろうか?と自分を振り返ることができるのではないでしょうか。

そして、人生が私から何を期待するか、という答えの中にはお金持ちになるとか、何かを所有するとか、そういったものは含まれないのだと思うのです。

「人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、
むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである」

人生は、私から何を期待しているのだろうか・・・?

あなたはどう思われますか?

(文責:森本)


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