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『イニシェリン島の精霊』14歳のハートで演じる。

『イニシェリン島の精霊』・・・観に行ってから、ずーっと頭の中でこのアイルランドの映画のことを考えてます。

俳優たちのあまりに瑞々しい芝居・・・人物たちの無数の小さな小さな衝動が、生まれては言葉や行動として発散され消えてゆく・・・一瞬も目が離せないような素敵な芝居だらけの109分だったのですよ。

マーティン・マクドナー監督の前作『スリー・ビルボード』も大好きなんですが、今回の新作『イニシェリン島の精霊』はマクドナー組の俳優たちが再結集したらしく、息の合った芝居がさらなる進化をしています。

人物の実在感・リアリティが圧倒的で、でもそれは1960年代の「内面のリアル」とも、2000年前後の「ドキュメンタリー風のリアル」とも、2010年代の「コミュニケーションのリアル」とも違う・・・
いわば「2020年代型のリアル」とでもいうべき新鮮なリアルなんです。

2020年代の今を生きる我々の心にガツンとくる、この新しいタイプの芝居を「14歳」というキーワードで読み解いてゆきましょう。

全員、中学生。

この映画『イニシェリン島の精霊』はアイルランドにある小さな小さな孤島で生きる人たちのドラマなんですが、彼らは毎日早朝から畑や牧場で働いて、午後2時にはほぼ全員が一軒のパブに行くんですよねw。で、そこから毎日深夜まで飲むんです、毎晩毎晩何十年間も同じメンツで(笑)。

その島民たちの演技が脇役に至るまで超瑞々しかったんです。
繊細で傷つきやすく、喜びにあふれ、悲しみや不安に揺り動かされ、怒りを素直に爆発させ、そして基本リラックスしきっている。
若者から老人まで、誰もがまるで14歳の少年少女のようなキラキラした目で演じられているんですよ。

瞳がね、中学生みたいなんです。


パブでちょっとした言い争いが始まった時とかの店員はじめ周囲の客たちの動揺っぷりが、中学生みたいなんですよ。クラスでケンカが始まった時のクラスメートたちのキョドりかたそのもので(笑)・・・なんて愛らしい!

30歳なら30歳、60歳なら60歳の身体に14歳の心が宿ってるような芝居なんですよねー・・・本当にキュートだなあとニヤニヤしながら観てたんですが、よく考えると・・・現実の人間ってこんな感じだなと思って。

大人の外見に14歳のハート。

現実世界で大人の人を見ていると、ふと14歳のその人が透けて見える事ってけっこうあるんですよね。

われわれ大人っていつも大人として生活してますけど、じつは心の中では中学生みたいに毎日キョドりながら生きてたりするじゃないですか(笑)。

じつはめっちゃ怖がりで、まったく自信が無くて、世界についてゆくので精いっぱいで、将来やコミュニケーションに対する不安に押しつぶされそうになりながら生きていて・・・
だから必死に「よい親」や「よい夫」や「よい妻」や「よい先輩」や「よい後輩」や「よい店長」や「よい新人」や「よい管理職」や「よい経営者」・・・社会生活における「役割としてふるまう」ことを学ぶわけです。
それによってギリギリ大人としての外見を保っている・・・ぶっちゃけそれが我々じゃあないですか。 空気を読んで大人にふるまう方法を学んでるだけで、本質的には成長しない生き物なんですよねw。

大人の外見に14歳のハート・・・人前でどんなに立派な大人としてふるまっていても、心の中はいつまでも「世界になじめずキョドってる14歳の自分」で、その中学生が大人としてのふるまいのほころびにチラチラと素顔をのぞかせてしまう。
そこまで含めて「われわれ」であり「その人」だなあ、と思うんです。

その「大人の外見の陰にチラチラ見え隠れする14歳のハート」・・・そこまでしっかり演じられているのが『イニシェリン島の精霊』なんです。

中学生の衝動で演じる。

『イニシェリン島の精霊』で特に瑞々しく感じたのは、パードリックの妹シボーンがコルムに指をかえしにゆくシーン。

シボーンが指の入った靴箱を小脇に抱えて、海辺を急ぎ足で歩いているのだけど、遠くから戦争の音が聞こえてきてビクッとなる・・・もう反応が中学生そのもの。世界に対する不安と無力感が瑞々しく演じられています。

そしてコルムの家へ。でっかい血まみれの鋏を見てあきれるやら心配やら。「痛くないの?」というシボーンの問いに「興奮してたから痛くなかったよ。えーと紅茶とか飲む?」というコルムのこれまた中学生風味の受け答え。しかもここでコルムは興奮して椅子に座っていられず、立ってそわそわしてるんですよね。大爆笑でした。

「キャラ」とか「目的」では演じられていないんですよ。
その代わりに「衝動」に溢れています、「14歳の衝動」です。中学生みたいにハッキリと言いたいことを衝動に任せて言いつつ、でもお互いに気を使い合い、そしてお互いに大いにダメージを受けています。そんな芝居、瑞々しくないわけ無いじゃないですか!
いや~コミュニケーションの芝居ってここまで来たんだなあと。

お互いにケアする芝居をするだけでなく、そのケアがお互いに空振りして失敗するところまで描写している。 ケアする気持ちに溢れてるんだけど、ケアが下手なんですよ。14歳だから。

瑞々しい役作りのしかた。

さてこの「14歳」の演技法の役作りはどうやっているのでしょうか。
われわれ俳優は一般的には、脚本上の人物の役作りをするときに、その人物のスペックやら、役割やら、表面上の性格など「大人としてふるまうその人物」の役作りをします。
が、「大人としての外見」と「14歳のハート」、言い換えると「ふるまい(うそ)」と「衝動(本心)」を足したものがその人自身なのであれば、その役の人物の「大人としてのふるまい」の陰に隠れた「14歳のハート」の部分もしっかりと感覚的に把握しておくべきではないでしょうか。

その14歳の彼・彼女が、世界を本当はどのように感じているのか、その「ピュア」で「怖がり」で「衝動と不安に満ちた感覚」が、人物造形をリアルで魅力的し、そしてそこには、その「大人としてのふるまい」を身につけざるを得なかった理由が垣間見えるはずです。

よく考えると『ベター・コール・ソウル』もそうでしたよね。ジミーもキムもチャックも「ふるまい」と「衝動」がワンセットでその人物を形成していて、その双方のバランスが崩れることで物語が回っていました。
大人失格・・・メチャクチャ人物が魅力的に演じられていました。

『ピースメイカー』のピースメイカーやビジランテも「14歳のハート」で演じられていました。日々彼らなりに頑張って大人としてのふるまいをしているんですが、なにかあると14歳の彼らのほうが主導権を握ってしまって、大変なことになってゆく(笑)なんとキュートで魅力的なダメな大人たちだったことか。

最近このような構造で人物を把握する演技がどんどん増えているようです。

「大人としてふるまう人間の中には、
14歳のハートが隠れている」

・・・これはまあ、ボク自身が14歳の瞳で世界を見て震えながら生きている人間なので、みんなもそうなんじゃないの?と思っているだけで、実際には本当に大人になることができている人もいるのかもしれませんが(笑)

とにかくボクが生活の中で触れ合う範囲の人々はみんな大人のフリした中学生みたいな人達ばかりなんですよ(笑)。

とくにこの年齢になって自分の両親がそう見えるようになってきたんですよね。若いころは親は大人に見えたんですけど、今では彼らも「大人としてのふるまい」が下手になったのか、その奥に隠れた「14歳のハート」そのままの世界に対する怖れや喜びがハッキリと見えるんですよね。全然大人じゃないじゃん!!!
なんだか昔よりも両親のことが好きになりましたw。

そして、そう見ることで多くの人がより魅力的に見えるようになりました。
どんな大人のなかにも14歳の瑞々しいハートが隠れている。そう考えると脚本上の人物のことももっと好きになることができるかもしれませんよ。

小林でび <でびノート☆彡>


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