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「衝動!」で人物を演じ切る。『ピースメイカー』

アマプラ有料に入ったので、ようやく見れました!ジェームズ・ガン監督のドラマ『ピースメイカー』!・・・最高!

このドラマは映画『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』のスピンオフで、その映画に出てた性格最悪のヒーロー「ピースメイカー」が、仲間と一緒に戦いながら、その自分自身のゆがんだ人格と向かいあうというヘビーなコメディなんですが・・・とにかく人物の「衝動」が見事に演じられているんですよ。

「キャラ」とか「目的」で人物の行動や反応を一貫性で固めてしまわずに、もっと現実の人間のように人物を生々しく揺れ動き、衝動的に演じる流れが、ここ数年の世界の映画・ドラマの演技の主流になってきつつありますが、まさにそれの極致。バカなドラマでありながら演技は最新なんです。

俳優やってる人ならわかると思うのですが、人物の「衝動」を演じるのって実は難しいんですよねー。だって「衝動」って自分ではコントロールできないものだから。
でも言葉って衝動で喋ってしまったりするものですよね、考えるよりも早くどんどん衝動的に喋ってしまう時ってよくあるじゃないですか、我々も友達と楽しい会話をしてる時とか。あれは「思考」じゃない「衝動」ですよ。
あの調子でセリフを喋ったり、脚本通りの行動を演じるってじつはかなりレベルの高い演技なんです。

しかし演技を「衝動」で演じきった時、なんと人物が魅力的なディテールに溢れて見えることか! それがこの『ピースメイカー』の全編で見ることが出来ます。

衝動的 = 魅力的!

第2話で、主人公ピースメイカーが証拠を警察連中に残さないために、バタフライの女の部屋から自分の衣服や持ち物を回収しようとしている時(ここまでは思考です)、ピースメイカーにある「衝動」が・・・それはその部屋にある80年代のハードロックのアナログレコードも持って帰りたいという衝動!(笑)

彼は大きな風呂敷包にLPレコードを次々と入れはじめちゃって、そうなってくると緊急事態中なのにテンション上がってきて、ついその横にあるかわいいネコちゃんの小物とかも風呂敷に入れ始めちゃう時の芝居の最高なことw!

ピースメイカーが飼い鷲のワッシーと喋ってる時も超衝動的ですよね、表情が無防備でキラキラしている。あんな性格最悪な男がこんな顔でペットに接するんだ!という、リアルで素敵な芝居でした。

逆にお隣さんの嫌味なおじいさんと喋ってる時はネガティブな意味で衝動的にまくしたてますよねー。子供のころからあの爺さんに嫌味を言われ続けてきたんだろうなあって・・・笑えました。

ピースメイカーの「衝動」の芝居で一番素晴らしい!と思ったのは第1話の後半、バタフライ女とセックスしながら「フリーダああああーム!!!」って叫ぶところとかも笑ったんですが、そのあと。
バタフライ女がシャワーを浴びてる間に、ピースメイカーがレコード棚に「クアイアボーイズ」のLPレコードを見つけて、思わずターンテーブルに載せて、曲が流れだすや否や半裸で衝動的に歌いながら踊りだすシーン。あの歌いかたと生々しいダンス、最高でしたねー。

彼が80年代のハードロックによっていかに救われてきたのか。どれだけ社会や家族にストレスを与え続けられ、コンプレックスの塊になっていたのかが、歌とダンスのディテールで伝わってくる素晴らしい芝居・・・。
映画『ジョーカー』のトイレでのダンスシーンの一歩先を行く切ないシーンだったんじゃないですかね。

いやピースメイカー役のジョン・シナ、元プロレスラー。ホント最高ですよ。

衝動的 = リアル!

そんなピースメイカーの毒父、オーギー(ホワイトドラゴン)もヤバいですね。彼の芝居も「衝動」に溢れてます。
彼は白人至上主義者であると同時に女性蔑視などあらゆる差別意識で頭がパンパンになったホワイトトラッシュなんですが、彼が差別発言や行動をする時に「こいつらは○○だから差別すべきだ」みたいな思考が演じられていないですからね。

自分の家に「有色人種」の「女性」の「警官」が来た、というだけで衝動的に罵詈雑言が溢れ出すという見事な演技、脳を介さない行動というかw・・・差別する人間の心理の真実をついていると思います。「思考」じゃない「衝動」なんですよね。
いや~さすがT-1000のロバート・パトリック。素晴らしいカムバック。

そしてなんといってもビジランテ。
彼には「衝動」しかない。すべての台詞が、全ての行動がその時その時の「衝動」によって演じられています。

友情とか、それこそ普通は「思考」として情感たっぷりに演じられるような事柄もビジランテは「衝動」として演じているんですよねー。だから彼は唐突に自分の身を犠牲にしてピースメイカーや仲間を守ったりするんですよ、衝動的に!考えなしに!(笑)飛び出してゆくんです。
マーベルやDCのヒーロー物とかで仲間のために自らが犠牲になるとか、よく見る光景ですが、あれとは全く違うんですよ。視聴者が「え?なんで?」と思っちゃうくらい唐突なんですw。それがなんか感動しちゃうんですよね。

そう。友情とか愛とかって「衝動」なのかもしれないって。

いや~ビジランテを演じた俳優さんはフレディー・ストローマという俳優さんなんですが、今後注目していかねば!の俳優さんですよ。

「思考」vs「衝動」

いや~今までさんざん「思考」として演じられてきたものが、ここまで素直に「衝動」として演じられているのを見てしまうと、もう「思考」で演じられた芝居がウソに見えてきちゃいますよね。

『ピースメイカー』に出てくる彼らは、その時その時の衝動で動いているんでメチャクチャ「視野が狭い」んですよね。目の前のことしか見えなくなっている。

だから喜怒哀楽が激しくなって、彼らは四六時中ケンカしてるし、かと思うとすぐに仲直りして、森に行って、廃棄された電化製品を超楽しそうに銃とかで撃ちながらヘラヘラゲラゲラ笑ったり・・・正直あきれますが(笑)
そのくせピュアで、小さなことにも大きく心を動かしたり・・・なんというか、自分の大学生時代のことをいっぱい思い出しました。当時いつも一緒につるんでた連中のことを。

何日間もぶっ続けで麻雀したり、ファミコンで「信長の野望」や「三国志」をやったり、映画撮ったり、同人誌作って即売会に行ったり、バイクレースのチーム作ってレースをしたり、サバゲーしたり、そんなことばっかして一緒にヘラヘラゲラゲラ笑ってた連中のことを。あ~まさにこんな感じだったなあと。
大学時代ってきっと社会にからめとられる前の最後の時代で、凄い動物的だったなあ、メチャクチャ衝動的に動いてたなあ、と。

あの時代の我々をリアルに演じるとしたら「思考」ではウソになるから無理で、「衝動」で演じるしかないなあと。

そう。リアルなんですよ。「衝動」で演じられた芝居は。

自分ではコントロールできない衝動

『ピースメイカー』は「バカ」に関して徹底的に考え抜かれています。

人間の行動をリアルにリアルに分析してゆくと「キャラクター」や「目的」では割り切れない部分にぶち当たります。どんなに頭のいい人物でも「バカな衝動」に突き動かされて行動してしまっている時間がある!ということにぶち当たるんですね。
みなさんも各々あるでしょ?理性では割り切れない、衝動に突き動かされて自分ではコントロールできない時間が。こんなことしてる場合じゃないのに!と思いながらやらずにいられないことがw。

人間のその部分を脚本や演技に取り込んで大成功したのがドラマ『ベター・コール・ソウル』でした。

超頭のいい弁護士たちや、超頭のキレる犯罪者たちが、いざとなると「自分ではコントロールできないバカな衝動」に突き動かされながらとんでもない行動していく・・・ジミーやキム、そのほかたくさんの「自分ではコントロールできない理性的でない衝動」に突き動かされながら行動する人物たちはとんでもなく魅力的で、しかもリアルでした。

日本の作品では『ガンニバル』がそれでしたね。

全7話で片山慎三監督が1~3話を監督し、別の監督が4~6話を監督し、最終話の第7話をまた片山慎三監督が監督しているのですが、片山慎三監督の回では柳楽君たち俳優の演技がひじょうに衝動的なんです。
1~3&7話ではストーリーの飛躍があってもそれを芝居が「衝動」によってポンポン飛び越えてゆくし、それが人間の行動としてむしろリアルに見えるんです。 が、4~6話ではそれらの「衝動」を「思考」や「目的」として描写しているので一見カッコいいんだけど・・・芝居に見えてしまう。

彼が村人たちに罵詈雑言を吐くくだりでも、それが「衝動」で怒鳴っているのか、挑発するために「思考」して怒鳴っているのかによって芝居の演じ方も、見え方も全然変わってきます。

第3話で、屋上で柳楽君が犯人を暴行するシーンとか恐ろしかったですよね。「思考」が無くて「衝動」だけで動いている・・・やはり柳楽優弥のキレた芝居が輝いているのはすべて片山慎三監督の演出回なんです。

「自分でもコントロールできない衝動」で演じる芝居

脚本を「目的」で分析して「目的」で演じようとする俳優さんって最近多いのですが、「目的無しによい演技が出来るわけがない!」という考え方は、「アジノモト無しに美味しい料理が作れるわけがない!」という考えと似てると思うんですよね(笑)。

「目的」を設定すると、とりあえず演じることが出来るので演じるのが楽になるのですが、現実の人間からは離れてゆきます。
現実の人間にはそんな「目的」「超目的」など持ってる人も持っていない人もいるし、持っている人でもそこから外れた行動をたくさんするのが人間です。その外れた行動は「衝動」によって引き起こされます。そしてその部分にこそその人物の魅力の部分があるのです。

ボクは「目的」で演じることの問題点は、その「目的」をいちいち「思考」として演じてしまうことだと思っています。セリフをしゃべる前に、行動する前に、いちいち考える芝居をする・・・いちいち変な間があくんですよね。あと余計な「思考」の表情が挟まれてしまう。そして芝居の勢いが落ちてゆく。
「目的」についてはまた別の機会に細かく書きたいと思っていますが、「目的」とは「自分ではコントロールできない衝動」の積み重ねであるべきだと思います。

演技の主戦場はドラマに移行?

しかし『ピースメイカー』にしても『ベター・コール・ソウル』にしても『ガンニバル』にしても、最新の芝居は映画よりもドラマに移行しつつある気配を感じますね。

おそらく人物のディテールを描写するのに2時間では全然足りなくて、映画では象徴的に扱うにとどめる人物描写を、ドラマではその潤沢な時間を使って人物描写のディテールまで執拗に描写し続けることが出来るからなのではないでしょうか。

「思考」や「目的」でなく、「自分でもコントロールできない衝動」で演じる芝居は、演じるのがすごく難しいですが、最近確実に目にする頻度が増えてきていて、2020年代の芝居のトレンドになりそうな気配を感じます。
俳優のみなさんはチャレンジしてみると面白いと思いますよ。

小林でび <でびノート☆彡>

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