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『ベター・コール・ソウル』と『ブレイキング・バッド』の演技法の違いについて。

ついにキャラ演技が「関係性のリアル」を獲得した!

ロスというか、『ベター・コール・ソウル』の話を誰かとする機会があると「よかったよねえ。最高だったよねえ」と遠い目になってしまう小林でび です。おはようございます。

大ヒットドラマ『ブレイキング・バッド』のスピンオフ『ベター・コール・ソウル』のほうを、本家より先に見てしまった人達って結構いまして、彼ら彼女らは『ベター・コール・ソウル』が終了するやロスになって、その流れで本家『ブレイキング・バッド』を見始めてるわけなんですが。
彼ら彼女らからたまに聞くのは「『ブレイキング・バッド』がなかなか見進められない」「『ブレイキング・バッド』は早送りしたくなる」という言葉・・・これはちょっと面白いなと思って。

いやいや『ブレイキング・バッド』だって大ヒットドラマですから、これはこれで面白くないわけないんですよ。大傑作です。 ただ『ベター・コール・ソウル』を6シーズン見終えた目で続けて『ブレイキング・バッド』を観ちゃうと、たしかにちょっと・・・つまらなく感じるんですよね。

なぜか?それは『ベター・コール・ソウル』が『ブレイキング・バッド』に比べて、圧倒的に演技の情報量が多くて芝居のディテールが豊かだから・・・『ブレイキング・バッド』の芝居がスカスカに感じるんです。

『ブレイキング・バッド』の芝居は1.5倍速でも理解できる。

もちろん『ベター・コール・ソウル』と『ブレイキング・バッド』は同じ役を同じ俳優が演じてるし、演出や撮影の基本方針もシリーズで共通なので、一見同じように見えるんですよ。
ただ『ブレイキング・バッド』は2008年~2013年、『ベター・コール・ソウル』は2015年~2022年の作品ですからね、時代がかなり違う。外見は同じに見えても中で動いてる俳優たちの演技法が全然違っているんです。

『ブレイキング・バッド』の俳優たちは基本90年代式の「キャラクター演技法」で演じています。『パルプ・フィクション』や『レザボア・ドッグス』などのタランティーノ映画や『レオン』みたいな90年代の映画のように、キャラの面白さをスタイリッシュに見せてゆく演技法ですね。

この演技法の特徴は「キャラの個性を魅力的に演じる」ことが主軸なので、俳優はキャラがブレないよう、行動の一貫性を重視して演じます。
たとえばソウル・グッドマンは「ハイテンションな悪徳弁護士」として登場し、「ハイテンションな悪徳弁護士」として活躍し、「ハイテンションな悪徳弁護士」として退場してゆきます。マイクも「寡黙で冷徹な仕事人」として登場し、「寡黙で冷徹な仕事人」として活躍し、「寡黙で冷徹な仕事人」として退場しました。これがキャラクター演技法というものです。

登場人物の行動に一貫性があるので、『ブレイキング・バッド』の場合はたとえば視聴者が1.5倍速で観たとしても人物の感情や物語を充分理解しやすいのです。

『ベター・コール・ソウル』の芝居の多面性。

それに対して『ベター・コール・ソウル』の俳優たちは「2022年現在最新の演技法」で演じています。 これは「視野の狭さをコントロールする演技法」としてこのnoteでも以前紹介したんですが、映画『わたしは最悪。』やドラマ『ザ・ボーイズ(シーズン3)』で演じられているのと同じで「人物の多面性を生々しく演じる演技法」です。

人物を多面的に立体的に演じるので、行動に一貫性は基本ありません(笑)。 なので『ベター・コール・ソウル』の登場人物たちは、状況や関係性が変わると、どんどん行動も考え方も、ある時には性格まで変わってゆきます。 ←これが実はリアルなんですよ!

だって我々現実世界の人間もそうじゃないですか。キャラみたいに行動が決まってるわけじゃなくて、状況や相手との関係性が変わると、感じることも、考えることも、行動もどんどん変化するじゃないですか。
たとえば職場や学校での自分と、地元の仲間と一緒の時の自分と、恋人と一緒の時の自分と、親や家族と一緒の時の自分と、趣味の集まりでの自分と・・・ぜんぶ違う自分ですよね。行動も、ものの考え方も、感じ方も。

リアルな人間は場所場所で、一緒にいる相手によって、いろんな別バージョンの自分が状況に合わせて入れ代わり立ち代わり出て生活しています。 『ベター・コール・ソウル』などの最近の映画・ドラマはそれを意識的に芝居に取り入れているのです。

たとえば『ブレイキング・バッド』でのソウル・グッドマンは「ハイテンションな悪徳弁護士」の芝居で統一されていましたが、『ベター・コール・ソウル』でのジミー(ソウル・グッドマンと名乗る前の本名)の芝居はどうだったでしょうか?
ある時は「ハイテンションな悪徳弁護士」として行動し、またある時は「兄思いの優しい弟」として行動し、「勇気のない弁護士のなりそこない」として行動し、「老人に愛される頼もしい弁護士」として行動し、「嘘つきスリッピンジミー」として行動し・・・いろんな顔を見せていましたよね。

これって90年代的な「キャラクター演技法」の観点から言うと、キャラがブレてるとか、一貫性に欠けてるとか、そういうことになるのでしょうが、われわれ視聴者はそんなジミーを1人の人間として普通に認識したし、彼のその多面性を愛しましたよね。それは人物造形の肌ざわりがリアルで温かみがあるからです。

『ベター・コール・ソウル』を1.5倍速で見るとふと見失う。

それは『ベター・コール・ソウル』でのマイクもそうでしたよね。
『ブレイキング・バッド』では一貫して「寡黙で冷徹な仕事人」のキャラで演じられていたマイクは、『ベター・コール・ソウル』ではもっと多面的な顔を見せます。それによって我々は彼の深い人間性を理解して、彼をもっと好きになることができました。

『ブレイキング・バッド』のマイクは「寡黙で冷徹な仕事人」キャラですから、問題が起きたときに何をするかはだいたい想像がつきます。 
ところが『ベター・コール・ソウル』のマイクはその多面性ゆえにイマイチ次に何をするのかが特定できないのです。

たとえばドイツ人技術者ヴェルナー・チーグラーとマイクのシーン。マイクが「寡黙で冷徹な仕事人」として行動するのか「雄弁で優しい人物」として対応するのかは、チーグラーの側が状況をどう認識してどのように行動するかにかかっていて、マイクはいつもギリギリまでその2つの間を揺れ動いています。
マイクは冷徹に行動すべきだとは分かっていてもついつい優しい部分が出てきてしまい、その2つの人格の間を揺れ動く。ひじょうにディテール溢れる芝居が素晴らしかった。

といった感じで『ベター・コール・ソウル』では「一貫性があるキャラ」を描くのではなく、「関係性や状況によって揺れ動き、刻一刻と変化する人物の多面性」を描いているのです。 この複雑な芝居を視聴者が1.5倍速で観たら、ふといま何が起きているのかを見失うことでしょう。

「ウソをつく芝居」をどう演じるか?

もうひとつ『ベター・コール・ソウル』と『ブレイキング・バッド』の芝居の違いを紹介しましょう。

それは『ブレイキング・バッド』の登場人物たちが喋るほとんどのセリフは本心であるのに対して、『ベター・コール・ソウル』の登場人物たちはほとんど本心を言葉にしていない、という点です。

『ブレイキング・バッド』の登場人物たちはキャラの一貫性しているので、彼らが喋る「悲しくてたまらない」とか「わたしを怒らせたな」とかのいう芝居は、ほぼ100%本気として演じられています。裏表がない。

そしてそのキャラがウソをつくときは「わたしはいま嘘をついてますよー」というサインを観客に向かって出しながらウソをつきます。
「あ、いや、もちろん愛しているさー」とか「そ、そうかい?オレは見なかったなあ」とか(笑)。日本のテレビドラマとかでもよく見る演技ですよね。
おいおい、そんな喋り方をしたら相手に嘘だって一発でバレちゃうだろ!(笑)という現実味の無いセリフ回しです。

この手の芝居が『ベター・コール・ソウル』ではほとんど無いのです。
『ベター・コール・ソウル』の登場人物たちがウソを演じる時「わたしはいまウソをついてますー」みたいなサインを観客に出しません。そんなことしたら目の前の相手にウソがばれてしまうからです。なので彼らは完璧にウソをつき通します。

でも観客はちゃんとそれが嘘であることを察することができるのです・・・なぜか・・・それは観客たち自身も生活の中で同じようにウソをつきながら生活しているからです。画面上の人物が自分たちがウソをつくときによくやる手練手管で喋り始めると、あ、これはもしかしてウソなんじゃないか?と、「ウソですよー」というサインを出さなくても察することが出来るのです。

「一貫したキャラ」ではなく「関係性によって変化するキャラ」として演じる。

というか『ベター・コール・ソウル』の登場人物たちはそもそもほとんど本心を相手に向かって話さないのです。
それは相手との人間関係を気にしていたり、相手の気持ちや状況を慮っていたり、相手に本当のことをストレートに言う勇気がなかったり、そして相手に対する思いやりで言葉を選んでいたり・・・様々な理由で本当の気持ちを言葉にしません。ここが『ブレイキング・バッド』の芝居との一番の違いですね。

たとえば『ブレイキング・バッド』では「愛してる」というセリフは「愛してる!」という情熱を相手にぶつけるような熱い芝居で演じられます。主体が自分です。
それに対して『ベター・コール・ソウル』での「愛してる」というセリフは相手のために発せられます。相手を安心させようとする、もしくは相手繋ぎとめようとするため・・・関係性の芝居として演じられます。
これが2022年のリアルな会話の芝居です。

だって現代人である皆さんは日々の生活の中でどれくらい本心で喋りますか? 自分の本当の気持ちを相手に言葉としてぶつけますか? 親友や恋人、家族の一部などに対してはそういうコトもあるでしょうけれど、仕事仲間や学校の友達に対してはどうでしょう?趣味の仲間に対してもどれくらい本心を言葉にするでしょうか? もっと社会性を気にしながら言葉を選んで選んで、選びまくって喋りますよね。それが我々です。

『ベター・コール・ソウル』のような現代的な芝居の中では人物が「キャラ」として演じられるのではなく、複雑な「社会的存在」として演じられているのです。だから人物像が状況によって変容するのです。

そんな多面的で複雑なジミーを我々は愛しました。キムを、チャックを、ハワードを、マイクを、ラロを、ナチョを。
そして彼らのどんどん前に進んでいってしまうハードな人生を、やがては壊れてしまう人間関係を、愛おしいと感じたんです。
いやー良い作品でした。

演技の進化はまだまだ続く。

ああ、『ベター・コール・ソウル』について語りだすと止まらなくなるのですがw字数が尽きました・・・また長文になってしまった。この続きはまたの機会に。

ところで(まだ喋るのかw)『ブレイキング・バッド』『ベター・コール・ソウル』の脚本家・演出家のヴィンス・ギリガンが、新作ドラマに取り組んでいるらしいですね。しかも主演が『ベター・コール・ソウル』のキム役のレイ・シーホーンだそうで・・・これはも~絶対見なきゃいけないヤツじゃないですか!!!
ところがこれ配信がAppleTVらしいんですよねー・・・入るのか?入っちゃうのか? だとしたら代わりに何をやめるのか?ディズニー+?(笑)

ヴィンス・ギリガン監督いわく「『トワイライト・ゾーン』のように現実世界にひねりを加え、思わぬ形で人間存在を描く作品になる」だそうで。それは全員見たいやつですよw。
本当に「思わぬ形で人間存在を描く」のであれば俳優陣の演技が『ベター・コール・ソウル』の先に行くことも想像できるので・・・これはまだまだお楽しみは続きそうですね☆

小林でび <でびノート☆彡>


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