新日本プロレスV字回復02

カウント2.9から逆転したプロレスビジネス-経営編:新日本プロレスV字回復の秘密

プロレスが熱い!

夏なのにいきなり暑苦しくてごめんなさい。ふとプロレスがどんなことになってるのか調べてみたら、見事にハマってしまいました。

前回に紹介したファンベースの体現例としても、プロレスからは本当に多くのことが勉強になります。僕は影響されずぎて「プロレスを知らずして、UX(ユーザー体験)デザインは語れない!」とまで思ってしまっています。

そこで今回は日本のプロレス組織で一番大きい全日本プロレスをテーマに、経営編(今回)と選手編(次回)の2つに分けて紹介したいと思います。まずは全体像を知るために経営編から。これは熱い!

新日本プロレスV字回復の秘密
新日本プロレスリング株式会社(監)、長谷川博一(著)
KADOKAWA 2015.11

ちなみに、僕は小学生のとき新日本の闘魂三銃士(蝶野・武藤・橋本)をテレビで観ていた世代です。ですがその後、K-1やPRIDEが出て、1999年に事件となった『小川VS橋本』戦を境にプロレスの興味を失った層です。同世代で同じような人は多いかと思います。

その後どうなっていたか知っていますか?圧倒的人気を誇っていたのに2005年には売上がガタ落ちで、なんと経営危機の状況にまで陥っていたんです。

今回紹介する本は、経営危機から立て直しを図り復活を遂げた裏話が赤裸々に書かれているので、何が復活につながったのかを要約して、その後に考察をまとめてみたいと思います。

1. 失墜の時期(1999〜2005)

90年代のはじめは黄金期でしたが、後半から盤石だった基盤が揺るぎはじめます。それは大きく分けて2つあります。

・外部要因:総合格闘技の波、アントニオ猪木との確執
・内部要因:スター選手の離脱、暴露本などによる悪評

外部要因は上にも書いたPRIDEなどのブームに加えて、新日本プロレスの創設者である猪木が目指すプロレスと選手の考えとの違いが表面化しました。猪木のプロレスはストロングスタイル(プロレスこそが最強)と言われ、その影響が総合格闘技の波にのまれる形でプロレス界にも影響を受け、他流試合をするも惨敗を喫し、存在感が弱まる状況になってしまいました。

内部要因は、総合格闘技に目がいくあまりプロレスらしさを見失い、結果としてお客さんが楽しめない試合になってしまったり、方針に賛同できない選手が他団体に移籍するといった内部崩壊が起こります。にも関わらず全盛期の成功体験を引きずったままの体質だったため、先行きが見えない状況が長くつづきます。

2. 耐えて立て直したユークス期(2005〜2011)

そんな中、2005年にある会社が親会社となります。それがユークスというゲーム会社です。新日本プロレスの経営はこの会社に救われたともいえるのだそう。買収されたことではじめて、ドンブリ勘定ではなく企業としての健全な財務体制を取り戻され、営業スタイルも時代に合わせオンラインを活用して、昭和的な商習慣を変えていきました。

それに加えてみんなで助け合う空気もできてきました。節約しなくてはいけないから、お互いに無駄遣いしないように気づかったり、選手1人だけが目立とうとするのではなく、みんなで面白い試合をつくることへの意識が高まります。コンテンツも内製でつくって自らが発信することによって、伝えたいメッセージをブレないようにしていきます。

そしてこの頃から、新しい世代のプロレスラーが登場します。今のプロレス界にとって欠かせない棚橋選手がリングで活躍し始めたのはこの頃から。でも当時は客席がガラガラで人気もあまりなかったようですが、新しいプロレスをつくる信念を持ち、耐えながら頑張り続けます。

これらの取組みによって新日本プロレスは、ボロボロの状況から何とか立て直しを行うことはできてきました。しかしこの時期はまだ黒字化にまでは回復できず、長らく守りの状況が続いていました。

3.攻めに転じたブシロード期(2011〜現在)

この状況を変えたのがブシロードというカードゲームの会社です。ユークスに変わり2011年より親会社の役割を担います。ユークスは守りは得意だけど攻めに悩んでいた、そこで攻めのビジネスが得意なブシロードの経営者・木谷社長が、経営を引き継ぐことになりました。

ここから新日本プロレスの逆風がはじまります。あらゆるメディアに広告を打ってプロレスの話題づくりに力を入れます。この時に大事だったのは『流行ってる感の演出』だったということです。関心がなかった人やかつて好きだった人に「なんかまた面白いらしいぞ」「観にいった方がいいかも」と思わせてしまうこと。

このあたり、攻め方がプロレスらしくて(入場の演出やマイクパフォーマンス的な感じで)いいと思いません?ちなみにこの空気をつくるという考えは、横浜ベイスターズの復活でも同じことが語られていました。こちらの本も超おすすめなのでぜひご覧ください。

https://designstrategy-studyroom.blogspot.com/2018/06/blog-post_30.html

この取組みがそれ以前のときと違う点が1つあります。

90年代の話題は主にプロレスファンに向けてで、週刊ゴングなどの雑誌、スポーツ新聞、プロレス中継などが主でした。それに対して2011年以降の戦略はより幅広い層に向けて訴求しています。それは2005年ごろから積み重ねてきた、ギスギスしないで素直に楽しめる試合、選手のイメージチェンジやバラエティ番組への登場、などで幅広い層がプロレスに興味を持ってもらえる土壌ができてきたからこそできる戦略でした。

そして、この時期からは、選手のキャラクターが際立ったり、試合内容が始めから終わりまで楽しめるように、エンターテイメントとして観客の体験価値がグンと上がりました。現在のエース、レインメーカーことオカダ選手が新星のごとく現れて人気がさらに高まったのもこの時期と重なります。

こうして2015年には全盛期のときよりも高い売上を出し、根強いファンに愛されるプロレス団体に復活しました。

めでたしめでたし。しかし、闘いは続く...(プロレス風)

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まとめ:考察3点

プロレスファンの人には既に知っていることかもですが、かつてプロレスを観ていた人は胸熱だったのではないでしょうか?

まとめとして、何がプロレスの人気の復活につながったのかを、もし自分が立て直しに関わっていたらと考えてみました。ここでは3つの要因をあげたいと思います。

1. 反撃の兆しをつかむまでは耐える

新日本プロレスの復活ストーリーに銀の弾はなく、上に書いたように何が成功要因の決め手かということは一言では語れません。ですが1つ言えることは、体制が整ってない状態で攻めの施策をやってもうまくいかないということです。

総合格闘技が全盛のころは無理に同じ土壌で対抗せず、ユークス期の立て直しと試合の改善を積み重ねてきたことによる基盤があって始めて、攻めの取組みの効果が発揮されます。企業の状態を見極めたなかでの適正な戦略を実行することの大切さを教えてくれます。常に斬新なアイデアだけではなく、時としてしっかり根付かせるための施策も必要です。

プロレスの試合でも相手の技に耐える時間帯も必要、カウント2.9になるまで反撃のチャンスをうかがう、まさにプロレス的経営です。

2.選手と組織の想いを1つにする

2005年までは組織と選手がバラバラでした。個人が目立とうと目先の人気に走って、プロレス全体として観た時の面白さがなくなっていました。それが今はプロレスの面白さは何かを全員が理解した上で選手がそれぞれの個性を発揮することで、新しいプロレスの世界観ができています。

主役は選手です。感動をつくるのは選手しかできません。新日本プロレスの一番の強みは、どん底の状況であっても、選手も裏方スタッフも社長も親会社もみんなプロレスが好きだったということです。好きだという想いがあり続けて、主役が輝ける場の大切さをみんなが分かっていたから復活ができたのだといえます。

このあたりは次回の選手編でも深く掘っていきたいと思います。

3.経営でプロレスをする

といっても、真面目で論理的なことだけをやってもプロレスファンには響きません。そこで強烈なキャッチコピーや、強烈な選手の個性が必要になりますが、つくりこむのではなく自然に生まれてくる状態がポイントです。

選手の個性が全開な環境ができれば、選手同士で面白い対決ストーリーがどんどんつくられていきますし、いつの間にかそれをファンが広げていってムーブメントをつくっていくことにつながります。

この空気をつくる仕掛けはプロレスそのものといえます。ちょっとドキドキハラハラする、ヒールだけど憎めない、最後までどうなるかわからない、でも最後はみんなハッピーになれる、エンターテイメントの極みであり、総合格闘技とは大きく違います。そして、ただ仕組みだけではなく、心を掻き立てる体験を味わえるような空気をつくる、というところに難しさや奥深さを感じます。UXの極みともいえるような世界だと思います。

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以上、ここまでは経営の観点で考察をしてきました。ですがやっぱり主役である選手を抜きにして語ることはできません。なので、次回は代表的な選手を取り上げ、リング上でのマーケティングやブランディングの取組みを紹介したいと思います。

熱いぞ、プロレス!

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デザインとビジネスをつなぐストラテジーをお絵描きしながら楽しく勉強していきたいと思っています。興味もっていただいてとても嬉しく思っています。