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大人が子どもの逃避手段を奪ってしまってはいないだろうか
突然ですが、あなたは『逃避』という言葉に対してどのようなイメージをもつでしょうか。
少し考えてみてください。
ただし今回は、戦略的に撤退することは『逃避』に含めないことにします。
さて、どうでしょうか?
・甘え
・情けない
・好ましくない
こういった言葉が出てきたのではないでしょうか?
回答には個人差があるでしょう。
しかしおそらく、マイナスイメージを抱いたことは全員に共通すると思います。
そう、『逃避』とは本来しないで済むのであればしないに越したことはない行為なのです。
しかし僕は、人は逃避手段をしっかりもっておくべきだと考えます。
そして、大人は子どもの逃避に対して寛容であるべきだと思っています。
今日はその理由について話していきます。
僕は基本、前を向いて生きています。
日々自分を高めようと一生懸命奮闘しています。
しかし、そんな僕も超人ではありませんので、疲弊します。
そして現実から目を背けたくなる時が定期的に訪れます。
僕はそんな時に、とことん現実から離れてみることにしています。
僕はカメラを持って見知らぬ街を散歩することが好きなので、それによって完全に現実をシャットアウトします。
こうして一度現実から離れることにより心身を整え、再び気力を持って現実へ戻っていきます。
これは僕の例ですが、ほとんどの大人は僕と同様になんらかの『逃避』手段を持ち合わせていると思います。
自然に触れるだとか、ゴルフに行くだとか、ライブに参加して全身で音楽を浴びるだとか。
『逃避』はしないで済むのであればしないに越したことはないものであったはずなのにです。
この理由は、逃避の手段を持ち合わせていなければ、いつか自分が潰れてしまいかねないからです。
現実に戻れなくなり取り返しがつかなくならないように、一旦現実から目を背けるのです。
しかしこれは、大人が自分のことを自分で決めることができるからこそ可能なわけです。
では、子どもたちはこうした手段をしっかり持つことができているでしょうか。
僕はできていない気がしてやまないんです。
子どもも大人と同じように疲弊します。
毎日学校へ通っているんです。当然です。
ですので、現実から逃避する時間が必要なんです。
それなのに、子どもの大切な逃避手段を大人が奪ってしまってはいないでしょうか。
あなたが過度に抑制しているゲームをする時間が、子どもにとっては貴重な逃避の時間かもしれないです。
風呂上がりのアイスが、大人が思っている以上にその子にとっては大きな意味を持つかもしれないのです。
もちろん、子どもに全て自分で決めて行動させるわけにはいかないので、適度な抑制は必要です。
しかし、その抑制が度を過ぎると、子どもにとっての大切な時間の喪失につながるかもしれないのです。
抑制の適度なバランスを考え、子どもにも逃避の隙を与えるようにしていかないといけないと僕は思います。
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