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よそじの台所から【12月7日の夕食 と 働くということ】

夫なし。子は独立。
アレルギー対策に 油をやめ、お肉、乳製品、卵、小麦粉、お米や砂糖を減らした食生活。
「家族のためのご飯」を卒業した40代。主に自炊の記録 と 自分を観察する日記。

残りの
・鶏モモ肉 セレベス 人参 牛蒡 椎茸 の煮物(味付:ラカントS 醤油 酒 みりん 味噌)
・漬物(市販品)
and
・鮭 玉ねぎ のバター炒め(味付:バター 塩 胡椒)
・湯豆腐 長葱 昆布(味付:ポン酢 生姜すりおろし 鰹節)

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もしも生活のためでなかったら、仕事ってどうしてするんだろう?
わたしは仕事って、生活の為・・生活するためのお金を稼ぐため、だと思っているけれど、きっとそれだけが理由じゃないよね。

だって、もしも一生働かずして暮らせるお金があったら。
それでもきっと・・わたしは働くんだろうなと思う。
やりたかったこと、買いたいものを一通り手に入れる。
そんな時間はきっとあっという間に終わってしまって。そうしたら・・

今ほどではないにしても、きっと働くんだろうなぁ。

だとすると仕事って・・・わたしにとって働くってなんだろう?
と考えた。

そして

「習慣」かも。と思った。
高揚するような楽しみがあるわけでなく
心身が疲弊するほどの苦しみもなく
毎日同じ時間に同じ場所に出掛ける。

忙しくも楽しそうに働く人を見て羨ましいな、と思うこともある(そんな仕事に就いていた頃もある)けれど、同時に
「疲れそうでわたしには無理だな・・」とも思う。

自炊に置き換えると分かりやすいけれど
習慣は習慣なりに、無理のない範囲で楽しみを見つけたり
人にはわからないような細かい部分に変化を加えたり・・
そんなことはある。
わたしにはこの「習慣的働き方」が向いているみたいだ。

と・・


年末ジャンボの発売が始まった宝くじ売り場を見ながら考えた。
のであります。


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