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よそじの台所から【2月6日の夕食 と 昨日書いたこと】

夫なし。子は独立。
アレルギー対策に 油をやめ、お肉、乳製品、卵、小麦粉、お米や砂糖を減らした食生活。
「家族のためのご飯」を卒業した40代。主に自炊の記録 と 自分を観察する日記。

残りの
・水筒の残りのルイボスティー
・お弁当の残りのスープにキムチを足したもの
・鶏モモ肉 蓮根 人参 牛蒡 の煮物(味付:ラカントS 醤油 みりん)
and
・蓮根 をさっと茹でて白出汁に漬けておいたもの
・さっと茹でた 青梗菜 にフィシュルの魚をのせたもの ゆで卵

昨日書いたことについて今日も少し。

拘り(執着)のないことを何度も考えてしまうことってないわけなので
こういうことを定期的に考えることに対して「どうしてなのかなぁ」と、他人との比較ではなく自分の中を点検してみたところ
かたちのない気持ちに

「人とうまくやっている という実感が持てていない」

という言葉がぴたりと当てはまった。
ほんのたまぁーーーに油断して、SNSや他人と比較するなんてことをしてしまうと
「どうしてわたしは・・」
のぬかるみに足を持って行かれることがあるのだけど

ずっとひとりでいるか、ずっと誰かといるか を比べてみると
足元の泥は静かに透明な水に変わる。

比べてしまう「誰か」よりわたしの持ち物は少ないけれど
わたしの中の比較には、少ないとか多いは存在しない。
そういうことを知ってから、どうにもならないことを悩み続けることは減った。

でもじゃぁなぜ何度も考えてしまうかといえば

「人とうまくやっている という実感を持ってみたい」
という希望

なんだと思う。
そのために考えている、気がします。




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