見出し画像

日日自炊自足【休みの食事 と 休みのこと】

夫なし。子は独立。
自炊の習慣で自分の必要をみたす、50代ひとり暮らし。
アレルギー対策に 油をやめ(家にある油はラー油のみ)、お肉、乳製品、卵、小麦粉、お米や砂糖をなるべく減らした(い)食生活。

「家族のためのご飯」を卒業した献立の記録 と 自分を観察する日記。

金曜日、仕事終わり恒例の整骨院へ。
帰りに商店街でエビとししゃものフライを買い、ショッピングモールの食品売り場で20%オフのキンパを買った。
診てもらっている膝や肩は劇的に良くなることもないけれど、自宅までの途中下車駅での診察。その後の商店街でのお買い物にまだ飽きていないので(とはいえ、買うものはいつも同じ・・なのだが)、もうしばらく通院しても良いかと思う。

土曜日は娘の家に行った。
1日はお孫様5歳のお誕生日。プレゼントは娘が決めたものをAmazonで注文し、届け先は我が家にしてもらった(後日支払った)。
いやぁ便利ね。
本人が欲しがっていたものを娘が選んでくれたので、お孫様はもちろん喜んでくれた。
土曜日は元夫もやってきて、久しぶりに会った。
相変わらず太っている。100キロ越え。

出会ったときから大きかったけれど、ますます育っている。
結婚していた時も辛そうだったけれど、ヘルニアが悪化して手術するかもしれないと言っていた。
が、ダイエットはしていないようだ。
ジムには何度も入会し「毎日お風呂入りには行ってる!」と、は、言う。
離れていれば「無邪気」に見えるが、毎日いればそうは思えない。
ひとりになってつくづく良かったと思う。
が、元夫が来る前娘に「どうして離婚したのか」と、いうようなことを聞かれた。

けっこう喧嘩もしていたはずだけど・・あの頃の険悪な感じを娘は覚えていないのだろうか。娘の言葉がわたしには
「自力で暮らすことが不安じゃなかったのか」
「そういう思いまでして離婚した理由は何か」と聞こえたけれど
これを「それだけのことがあった」と説明するということは・・
母親から見た父親の嫌な面を説明することになるわけで。
土曜日もお孫様と一緒に父親の背中に乗るくらい、父親に好意的な娘にそうまでして納得させる理由が・・今のわたしに何かあるのだろうか。

いや、ない。
それに、離婚から10年以上たって、わたしもだいぶ忘れている。
思い出そうと思えばできないことはない。
でも、このまま忘れてもいいじゃないか。と思う。
「わたしは間違えていなかった。これで良かった。誰かに分かってもらいたい。」
娘に聞かれたとき、そんな気持ちも確かにあった。
でも、誰かを納得させることはできたとしても、それは「わたしの気持ちを100%分かってもらう」ということと同じではない。

それに「納得させる」というのは曲者で・・そのために話を盛ったり、改ざんしたり、自分に都合よく物語を組み立ててしまう気がするのです。
そういうのはもういいんじゃないかなぁ。しなくても。
何を話したって過去に対する言葉は真実とはかけ離れてしまう。そう思えているわたしは今「そこそこ幸せ」なんだと思う。

日曜日はひっっっっさしぶり!に、野外LIVE の外聴きをしに出掛けた(もちろんチケットなし)。
10年追いかけたバンドから離れて5年。

小雨降る中、折りたたみ傘をさして約2時間。
最近の曲は分からないけれど、ほとんどがまだ歌えた。(毎年恒例の野外LIVEは過去曲からのピックアップが多い。)
前日に連絡したファン友達にも久しぶりに会えた。
バンド追っかけ活動以外でも、コロナ前はよく出掛けていた散歩。
「久しぶりに行こう!」と盛り上がり、来月3人で出掛けることになった。

月曜日は祝日。
「だーさん」が我が家にやって来た。
だんだん「だーさん」の不思議が解消されていく気がしている。

昼はわたしがトマトリゾットを作り、その間いつもは座ったままの「だーさん」にサラダ作りをお願いした。
お願いした、といっても慣れない台所の慣れない道具。
更に料理の習慣が50歳まで一切なかった「だーさん」
まるで子供の手伝いを見守る母のような気持ちだ。
夕食は一緒に豚汁を作り、茄子を電子レンジにかけて鰹節と醤油をかけたもの、それにじゃがいもと人参のきんぴらを作って食べた。


この記事が参加している募集

習慣にしていること

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?