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日日自炊自足【11月13日の夕食 と 料理ができるとかできないとか】

夫なし。子は独立。
自炊の習慣で自分の必要をみたす、50代ひとり暮らし。
アレルギー対策に 油をやめ(家にある油はラー油のみ)、お肉、乳製品、卵、小麦粉、お米や砂糖をなるべく減らした(い)食生活。

「家族のためのご飯」を卒業した献立の記録 と 自分を観察する日記。

・めかじき の味噌漬(味付き品購入)
・ピーマン の素焼
・かぼちゃ の塩蒸(味付:塩 バター)
・納豆 たらこ パスタ
・お吸い物(市販品)

週末「だーさん」(同世代の異性の友人)と一緒に料理をした。

「だーさん」は一人暮らしの経験がなく、これまでの言動から見るに
スーパーマーケットでの買い物もあまりしたことがないんじゃないか・・と思われる。

両親と買い物に行くことはないと言うし
わたしが自動精算機で会計中に「先に袋詰めお願いします」と言うと、狭いその場で詰めようとし「いや、あちらの台の方で」と袋詰め台を指さすと「持って行っていいんですか?(多分、会計終わっていないのに?・・の意味?)」と言う。

知り合ったころ「料理するんですか?」と聞いた。
すると「しない」だか「できない」だか言うので「お米も研げないとか?」と聞くと(会社のおじさまはお米も研げないというので、わたしの中では「料理ができない=米が研げない」という図式が出来上がっている。)
「いえいえ、親が共働きだったので、炒飯とか作ったことがあります。」
と答えたことに、わたしは「あーじゃぁそこそこできるのか。」と思ってしまったのだけど


全然そうじゃなかった。


あ、これどっちがいいとか悪いとかの話じゃなく
「料理ができる」はどこからがそうなのかという境界線、は、ひとそれぞれ、という話なんですけどね。(これ料理に限らない)

でも実際我が家で手伝ってもらったら、ゆで卵をむくにもずっと水を流しながらで時間がかかるし、ピーラーもんなんだか危なっかしい。
その後、炒飯は中学の頃に作ったきりだということが判明した。
それでわたし・・気がついちゃったんですけどね。

料理ができない感じの大人を、初めて見たんだな。



で、週末に会ったときに「だーさん」にそっくりそのまま伝えたら(失礼)
持っていたピーラーをこちらに向けて「え、料理できます」と苦笑い。

お・・っとそうか。
「だーさん」的には「自分は料理ができる」という認識なんだな。

その他大勢がそれをどう思うか、ということは置いておくにして
じゃぁわたしが思う「料理ができる」とはなんなのか。

例えばパスタを電子レンジで茹でて、市販のソースを絡める
はどうか。
それは料理である、と思う。

では
買ってきた餃子に、酢醤油とラー油を絡めて食べる、はどうか。
それは料理ではない。

ではでは
買ってきた餃子に斜め切りした長葱をのせて、味噌・砂糖・醤油・酒・酢・豆板醤・にんにくすりおろしを混ぜたものをかけたら
それは料理・・な気もする。

料理とは、で調べてみると
材料に手を加えて、食物をととのえ作る(=理)こと。
調理。また、こしらえた食べ物。
と出てきた。

わたしにとって
どこまでは料理と言えず、どこからは料理と呼べるのか。
自分研究を続けたい。




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