見出し画像

日日自炊自足【休みの食事 と 休みのこと】

夫なし。子は独立。
自炊の習慣で自分の必要をみたす、50代ひとり暮らし。
アレルギー対策に 油をやめ(家にある油はラー油のみ)、お肉、乳製品、卵、小麦粉、お米や砂糖をなるべく減らした(い)食生活。

「家族のためのご飯」を卒業した献立の記録 と 自分を観察する日記。

金曜日、膝のメンテナンスで整骨院へ行った。
しばらく週2回の予約が恒例となっていたけれど、この日施術を担当した方から「そろそろ週1回に戻してみましょう」と言われた。
平日5日。
そのうち仕事終わりの2日を整骨院。更に1日をジムに使い(膝を痛めてからは平日2日から1日に減らした)、週末と週末の間がなんだか慌ただしく過ぎていた。

毎日ベッドに入る時間を21時から22時に設定しているわたしは、仕事帰りに1時間程度の寄り道をするだけで、帰宅後のルーティンに余白がなくなる。
あぁこれで少し楽になるな。
と思う反面、膝の違和感はまだ完全には払拭されておらず、なんだか もにゃっ としている。(もや と おや? のibitsu作の造語)
土曜日はお昼前、久しぶりにお気に入りの喫茶店へ出かけ、ランチを食べた。
目の前のショーケースに、ケーキが何種類か並んでいて、食後たまらずモンブランを注文した。

その後は予約していた白髪染めに出掛け、ジムへ行き帰宅した。
日曜日は昼過ぎに「だーさん」(数か月前友達になった同世代の男性)が我が家に来た。
ランチはオーブンで焼くチーズトーストに、お弁当用に作っている鶏ハム。それに野菜をのせたサラダにした。
夜は豚バラの薄切り肉でもやしを巻いて蒸したもの。
それからキャベツ、玉葱、人参、長ネギを蒸したもの。
茄子の煮びたし。前日間違えて封を切ってしまった、たらこパスタ用のたらこソースでタラモサラダ。
かぼちゃの塩煮(翌日のお弁当用に仕込んだものを出した)、を作った。

タルトやスポンジではなく、メレンゲクッキーの上に生クリームとマロンクリームがのっている

「だーさん」はわたしが食事を作っている間、じっと決まった場所に座って待っている。
こちらから声をかけて生姜をすってもらったり、材料を混ぜてもらったりするけれど、それが終わると「他に何か」とも言わず決まった場所に帰っていく。
暑いとか寒いとかに敏感なようで、そういう事態になると「あなたはどうですか?」ということには全く関心がないように「窓を閉めていいですか」とか、暑くない場所にひとり移動したりする。

気遣いに欠けることがあると感じてはいたけれど、こういうことをどう伝えていけばいいのか。と考える。
「ネガティブなことを伝える」はわたしの苦手分野。
日曜日は「ごちそうさま」を言わない「だーさん」に「ごちそうさまですか?それならごちそうさまって言ってくださいね。片付けていいのかわからないので。」と言ったけれど
わたしはそうまでして「だーさん」といたいのか。自問自答の週末である。
昼間はPrime Videoで「だーさん」が観たいと言った「ドライブ・マイ・カー」を鑑賞していた。

打ち解けようとしなかった男と女が、同じ心の傷を持っていることから何かを通わせる。

会う日が増えて、過去の話もいくつかすると「だーさん」とわたしは、対極にある傷を持っていることがわかってきた。
「だーさん」の持っている傷に、わたしは強い嫌悪と決して認めたくない嫉妬が混じる。わたしの乾いていた傷が湿る。
聞かなきゃいいのに質問してはざらざらする。
「だーさん」の傷を「普通は」という言葉を使ってねじ伏せたくなる。
「だから・・」と、わたしにとって不都合なことに関連付けて非難したくなる。

違う傷を持ったものは、何かを・・通わせるものが持てるのだろうか。
今週は「だーさん」のいいところや、ふたりでいる時間の楽しみに目を向ける時間が少なかった。


わたしは継続的な人間関係に苦手意識がある。
会えば会うほど、打ち解ける。
その感覚がわたしには薄い。(若い頃はできていた気がする。)

そんなこと微塵も考えずすんでいた、ひとり はやっぱり楽だ。



この記事が参加している募集

習慣にしていること

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?