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続・娘の結婚で気が付いた「あれ、わたしだけ 幸せじゃなくね???」怒りに関する研究②、編

このマガジン 〚 RELAX OPEN ENJOY 〛 は
人の感情に敏感だった初老女が おはようからおやすみまで己を見つめることで
自分に対する愛と信頼を取り戻していく過程を、余すことなくnote化したものである。

この note は

から始まる
娘の結婚で気が付いた「あれ、わたしだけ 幸せじゃなくね???」
シリーズの続きです。


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結論から書くと、怒ります。もちろん怒ります。
でも怒りを出す場所、人、は選んでいます。
無意識に。 

わたし以外のせいにしたいところなのですが 

「無 意識に」ですよね。
無のような、意識的のような。そんな風に。
これはきっと、皆さんもそうだと思います。

足を踏んできた人が強面のお兄さんだったら、なかったことにしてしまいますよね。
その逆なら・・嫌な顔で痛みをアピールするかもしれない。
そうやって「今出していいかどうか」を、一瞬で判断してますよね。
この一瞬に気が付かないから「無」のような気がします。

でも全ての人に平等に怒りが表現できる、という人は少ない。
ということはやはり、選んでいます。
強面のお兄さんだって、赤ん坊に大人と同じだけの怒りはアピールしないでしょう。
※強面のお兄さんが怒る、という偏見・・大変申し訳ありません。


でもその無のような、意識的のようなものとちゃんと向き合って、自分がどういうときに怒るのか が分かってきました。

それが分かるとどうなるか。
対処できるようになります。(あ、もちろん仮説です。)

わたしは長らく、鏡で自分の顔を見ることが苦手でした。
でも自分を観察する癖をつけることで、いつの間にかその苦手が克服できました。

鏡を見られるようになったことで、問題点に気が付くことができました。
特に化粧をした後の顔はほぼ見ませんでしたから・・
(鏡を見る回数を減らすため、化粧直しなんてしません。)
それがどんな状態なのか知らなかった、化粧のヨレや毛穴落ち。
ちゃんと見て気付けたからこそ、改善のためにyoutubeで検索したり商品を探すという「対処する」ための行動ができました。

対処とは ある事柄・情勢に対して適当な処置をとること。
適当とは ある性質・状態・要求などに、ちょうどよく合うこと。ふさわしいこと。

要するに、怒りがわいた時にそれにふさわしい処置をとることができる。
ということになります。(あ、もちろん仮説ですよ。)

だから問題が見えてないと、改善のしようもないっていうことなんです。


わたしはネガティブな感情を誰かに向ける・・表現することに強い罪悪感がありました。
だから、不快を感じても思考を使ってそれらを隠してしまいます。
それが「我慢」です。
隠したものは、消えるわけではありません。
今だけ見えなくなった というだけで
そのたまったネガティブな感情は、排出のタイミングを探しています。

食べる
出す
これが自然だとすると

感じる
出す
もまた自然な行為。

でもどうしてそれが素直にできないかと言えば、怒りにはそれを感じる(ぶつける・ぶつけられる)誰かがいるから。なんですよね。

食べる
出す
これだって、誰かに見せるとなれば話は別です。
なんとか臭いが分からないようにとか、音が聞こえないようにとか、ごまかそうとしても
いやもうコーンとか混じってんじゃん!めちゃ恥ずかしい!
ってことになりますよね。

だから隠れてこっそり排出します。
だってやっぱり出口が必要なんです。出さなかったら病気になっちゃいます。

問題はその出し方です。
自分でちゃんと、出せていると分かっていればいいですが。

わたしは分かっていなかったんです。
溜まりに溜まった臭いものが、どこで出ているのか。その仕組みを。
そうしますとね、改善のしようがないですね。


それがどこからどんなふうに出るか。
実はちょこっと書いたことがあります。

ある年の夏休み帰省していたわたしは、実家滞在期日を待たず家に戻った。
きっかけは、普段のわたしなら「そうだねーごめんねー」と流せる些細な出来事だった。

自然に蒸発するのを待っていた
” 心のコップにたまった正体不明の水 ”   が
怒りとなってこぼれた。


その正体不明の水・・


についてはまた次回。

引っ張るねー!
引っ張るよー!

引っ張るっていうか・・・・恥ずかしいんだよー!


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