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小説『虹の振り子』09

第1話から読む。
前話(08)から読む。

<登場人物>
 翔子:主人公
芳賀啓志:翔子の父
     芳賀朋子:翔子の母     
     芳賀登美子:啓志の母、翔子の祖母
      芳賀仁志:啓志の父、翔子の祖父
        ジャン:翔子の夫(イギリス人)
 鳥越玲人れいと:翔子の従兄
     鳥越貴美子:玲人の母、啓志の姉

* * * * *

第3章:帰宅――<ホーム> 01

 梅雨入りはまだだったが、リムジンバスに乗ろうと空港ビルを出たとたん、半袖の腕にぬるい空気がまとわりつき、日本に帰ってきたことを翔子は肌で感じた。ジャンが隣で「うーん、ヒューミッド」と言いながら、この不快ともいえる湿気をたのしむように両手を広げ、飛行機で押し込められていた腰を伸ばす。たいていのヨーロッパ人が嫌う湿度の高い日本の夏もジャンは好きらしい。変な人、と翔子は思う。そういえば、結婚して程ないころ、ジャンは菱川師宣もろのぶの浮世絵と日本の湿度との関係を論文にしていたことがあり、日本人の翔子には思いもよらない視点でおもしろいと思った。学術的には芳しい評価は得られなかったけれど。
 海風が空港島をすり抜ける。到着したときにはあんなに眩しかった朝の光が、高く昇って落ち着きを取り戻し、かわりに熱気を撒き散らしていた。
 
 若いころは数年ごとにしか帰国できないこともあり、父と母をイギリスに招いたりもしていたが、両親が高齢になってからは年に一度は帰るようにしている。ところがジャンと二人そろってというのが、なかなか難しい。翔子は片付けておきたい諸事もあって最低ひと月は腰を落ち着けたいけれど、ギャラリーをひと月も閉めておくわけにはいかない。
「いつも翔子だけ。ずるいね」とジャンが不満を漏らす。
 今回は父の米寿の祝いを兼ねているから、ジャンもいっしょ。だけど、ひと月後には、ジャンが3年かけて力を注ぎこんできた『現代作家による浮世絵展』があるため、遅くとも2週間後にはジャンはロンドンに帰らなければならない。せめてこの2週間、ジャンには好きなだけ日本を堪能してもらおう。着いたら母に美味しい煎茶をれてもらって。それよりも、お薄をててもらう方がいいかしら。きっとお母さんのことだから、『塩芳軒しおよしけん』か『末富すえとみ』の主菓子おもがしと『亀屋伊織』のお干菓子を用意しているわ。ジャンの好きなものをよくわかってくれているもの。
 
 翔子とジャンは芳賀医院の前でタクシーを降りた。屋敷の玄関は、医院とは反対側にあるが、翔子はいつもここで降り、石造りの建物を見あげる。入り口の真上にはそこだけ横長の石材が配されていて、旧字体で「芳賀醫院」と装飾模様つきで刻まれている。曾祖父が羽振りの良かったころに建てた洋風建築だが、周囲の町並みに和して佇んでいた。入り口の脇に大きなクスノキがあり、いい具合にエントランス前の石段に葉陰をこしらえている。

 翔子が生まれたときには、ここはもう閉院していた。
 レトロな趣きのある建物だから店として使いたいという申し出が後を絶たなかったが、父が首を縦に振ることはなかった。母屋と廊下でつながっているため防犯上の懸念もあったけれど。おそらく父は医師を継がなかった自責の念もあって、祖父との思い出がつまった場所を手放したくなかったのだろう。母が週に2回は窓をあけて掃除を怠らなかったから、母について診察室に入ることはできた。棚に並んだ茶色い薬瓶も、鍵のかかった戸棚の注射器も、レントゲンも、すべてが止まった時間の澱をかぶって息をひそめていた。壁にかけられた柱時計は10時12分で止まっている。午後の診察を終えると祖父はいつも時計のゼンマイを巻いていたが、最後の診察を終えた日、「お疲れ様」と時計に声をかけるとゼンマイを巻かずに診察室の扉を閉じたそうだ。物理法則に身をゆだねたゼンマイはゆっくりとほどけて、やがて動かなくなり、10時12分で眠りについた。役目を終えてなお、刻々と降り積もる時を両手で受けるように、針を上向きに開いて止まっていた。祖父が扉を閉めたその日から、診察室はタイムカプセルそのものだった。
 
「どうして、おじいちゃんは、時計さんを巻いてあげなかったの?」
「さあ、どうしてだろうね」
「パパが巻いてあげたら?」
 時を刻まなくなった柱時計を幼い翔子は見あげ、父を振りかえる。
「パパにはね、時計を巻くことはできないんだよ」
「まほうは使えないの?」
「時計を止めてしまったのは、私だからね」
 父は寂しそうに時計を見つめる。時計を巻かなかったのはおじいちゃんなのに、どうしてパパが時計を止めたことになるのか、幼い翔子にはわからなかった。


 時計の魔法を解いたのは、従兄の鳥越玲人れいとだった。
 玲人は父の姉である貴美子伯母の次男で翔子より12歳上だ。翔子がもの心ついたころにはすでに高校生になっていたが、翔子が誕生したときは中学にあがりたてで、生まれたての赤ちゃんを目にしたのも触れるのも玲人にとっては初めてのできごとだった。籐の揺りかごで寝かされている翔子に、そっと人差し指を近づけるとピンポン玉ほどの小さな手が玲人の指をぎゅっと握って、ふわりと笑った。それが乳児特有の反射なのだと今ではわかるが、中学生だった玲人はふにふにと柔らかな手の懸命の力に驚き、その手がじぶんの指を握って微笑むようすに心臓がきゅっとなった。

 玲人は祖母の登美子にかわいがられた。
 子ども心にもじぶんが兄の彬人あきとよりも祖母にかわいがられていることは自覚していた。南座での顔見世かおみせにつきあわされるのはいつも玲人で、野球に夢中の男児に歌舞伎はつまらなかったが、終われば好きなものを買ってもらえたので、それだけのために祖母について行った。おそらく登美子は、なかなか子に恵まれない啓志たち夫婦に見切りをつけ、ゆくゆくは玲人を芳賀家の跡取りにしようと考えていたのだろう。翔子が生まれる前にはそんな話が出たこともあったと、のちに母の貴美子から聞いた。「おばあちゃまはねぇ、芳賀家ひと筋の人だったから」祖母の葬儀で、母は嘆息するように漏らした。

 玲人はしょっちゅう芳賀家に遊びに行っていた。中学生になってさすがに遠のきがちであったのだが、翔子が生まれてからは、また足が向くようになった。翔子は「れい兄ちゃん」と言いながら玲人の後をついて回り、玲人も翔子をかわいがった。
 中学3年の一年間、玲人は些細なことがきっかけで学校に行けなくなり、一日のほとんどを芳賀家で過ごすようになった。「今でいう不登校の走りさ」と恰幅のよくなった腹を揺らしながら笑う。そんな玲人を救ったのは、翔子のあどけなさと書斎の書物だった。芳賀家の誰も、叔父や叔母はともかくとして登美子ですら、玲人に学校に行けとは言わなかった。
「学校なんてつまらないところに、行かなくてもよろしい」
 祖母はさも当然のように言ってのけた。それが、孫への思いやりから出た言葉なのか、お嬢様気質ゆえの考えなのかは、中学生ごときではわからなかったけれど。その一年、玲人は書斎の書物を読み漁り、知識の大海原を航海して過ごした。傍らにはいつも翔子がいた。時折、叔母の朋子について診察室の掃除も手伝った。祖父が現役だったころ、まだ玲人は幼くおぼろげな記憶しかなかったが、祖父の膝に乗って古い顕微鏡をのぞいたことだけは覚えていた。
 細長いガラスの板に水を一滴たらして、祖父は上からさらに小さな四角いガラスをのせる。「おじいちゃんは何をしているのだろう」祖父はその薄いガラスの板を顕微鏡にセットし、しばらく上からのぞいてから「ほら、玲人もここからのぞいてごらん」と玲人の腰を大きな手で支えて椅子に膝立ちさせる。祖父に言われるままに筒の上からのぞいてびっくりした。透明の水が乗っているだけに見えたガラスの上で、何かがうごめいている。驚いて振り返ると、祖父はにこにこして「すごいだろう」という。玲人は夢中になって顕微鏡をのぞき続けた。
 あの顕微鏡はどうしたのだろう。薬品庫や鍵のかかった棚をガラス越しにのぞいたけれど、金色に輝く古い顕微鏡は見当たらなかった。
「玲人君、何か探しているの?」叔母がたずねる。
「じいちゃんの顕微鏡」
「あら、それなら書斎にあるはずよ」
 午後の光を受けて、塵が舞う。玲人は翔子の手を握って書斎に向かう。


 芳賀医院の前に佇む翔子とジャンの横を、若い母親が男の子の手を引いて石段を上る。
「注射、しないよね」男の子が石段の下で立ち止まって訊く。
「おりこうにしていたらね」母親がこたえながら、「ほら」と男の子の手を引っ張る。
 翔子は、ふふと笑いながらジャンと視線をかわす。

 芳賀医院が息を吹き返したのは、翔子がイギリスに旅立った直後だった。
 内科医として芳賀医院の表扉を再び開けたのは、大学病院での臨床研修を終えた玲人だった。祖父が扉を閉じてから、実に30年の歳月が流れていた。その日、診察室に入った玲人はまっ先に、10時12分で時を止めたままの時計のゼンマイを巻いた。

 れい兄ちゃんの診察が始まっている。
 翔子は帰国するたびに、それを確かめたくてタクシーをここで降りる。


(to be continued)


第10話(10)に続く→

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