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小説『虹の振り子』08

第1話(01)から読む。
前話(07)から読む。

<登場人物>
 翔子:主人公
芳賀はが啓志けいし:翔子の父
     芳賀朋子:翔子の母     
     芳賀登美子:啓志の母、翔子の祖母
      芳賀仁志:啓志の父、翔子の祖父
        ジャン:翔子の夫(イギリス人)

* * * * *

第2章:父ーグラウンド 04

 父の文机の周りで山脈を築いている書物の中に、それはあった。

 百か日の法要と新盆を済ませると、母は離れに居を移すと言いだした。母屋には部屋がじゅうぶんあるのだから、と言っても、「孫も生まれるから、私は離れで静かに暮らしたい」とゆずらない。「あそこはお父さんの匂いがするの」少女のようにつぶやいた母の言葉に瞠目どうもくした。

 啓志が使っている書斎は、もとは父の書斎だった。
 息子が学者としての一歩を踏み出すと、父は母屋の書斎をゆずり、みずからは離れを書斎とした。「本を読んだり、ものを考えるには、離れが静かでいいからね」と言って、父は読みたい本を離れに運んだ。選んでいる手もとを覗くと、『史記』や『三国志』、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』などの歴史書が多く、サルトル、レヴィ=ストロース、キルケゴールの哲学書など、どれも腰を据えて読むべきものばかりだった。「歳をとると歴史がおもしろくなるのは、どうしてだろうね」と言いながら、プリニウスの『博物誌』を書物の山の頂上にのせた。
 開業医は続けようと思えば、何歳になっても現役でいることはできる。だが、父はみずからの感覚の衰えを重くみた。老眼が進んだこと。耳の聞こえが悪くなったこと。誤診があってはならないと、啓志が社会に出たのをきっかけに隠居を決めこんだ。「朝から晩まで本を読んで過ごせるなんて。これほどの贅沢はないね」と。
 そんなささやかな贅沢がたった8年で終わってしまったことを思う。じぶんが医者になっていれば、父をもっと早く解放してあげられたのかもしれない、その後悔は今もなお啓志の胸をきしませる。


 登美子が離れに移るに伴い、少し改装しようともちかけた。母は「お父さんだって使っていたのだから、このままでいい」と言った。
 「父さんは離れで本を読むだけでしたが、母さんは生活するのだから。食事は母屋で皆でいただくとしても、お茶を飲んだりするのに、湯を沸かせるくらいの水屋があったほうがいいでしょう」
 「あら、そんなの、和さんに頼めばすむことじゃない」
 もの心ついたころから登美子の身の周りの世話は、手伝いの和さんがこなしてきた。
 「和さんも、もう歳ですよ。このあいだも階段で転んで松葉杖をついていたじゃないですか。母さんがお茶を飲みたくなるたびに母屋の台所まで足を運ぶのはたいへんです」
 手こずるかもしれないと身構えていたのだが、「それも、そうね」とあっさりと引き下がって拍子抜けした。父が亡くなってから、母は目に見えて失速していた。
 離れには八畳の和室が二間と手洗いがあり、廊下で母屋とつながっている。奥の和室を半分に分け、片方を炉の切った茶室に、片方を流しとコンロと水屋箪笥みずやだんすだけの台所に改装することにした。

 まだ残暑のほてりの冷めやらぬ日に、啓志は離れの片付けに取りかかった。
 離れは平屋で軒が深く、庭に面した東向きの広縁の戸を開放すると風が通る。これなら作業も苦にならない。暑さと悪阻つわりで伏せがちな朋子を煩わすわけにはいかない。さっさと片付けてしまう心づもりでいたのだが、無秩序に積まれた書物の山が父の知識の海への航海をなぞるようで、いちいち手を止めてぱらぱらとめくるから、時間がかかってしようがなかった。始めてすぐに、一日では無理かもしれないと悟った。
 まず啓志の手を止めたのは、文机の右隅に置かれていた真鍮の顕微鏡だった。子どものころ診察室で親しんだカールツァイスの年代物の顕微鏡だ。あれがここにあったなんて。午後の診察までの時間、父の膝に乗って何度も覗いた。カバーガラスの下で姿をあらわにする微小の世界。「何か動いてる」と声をあげる啓志に、父は「それは微生物という小さな生きものだよ」と教えてくれた。

 「いいかい、啓志」父はお決まりの前置きを口にしてから語り出す。
 「微生物学の父といわれるレーウェンフックはね、医者でも学者でもなくオランダの織物商だったんだ。ペニシリンを発見したフレミングも、はじめは船会社に勤めて、そのあと医者になってね。お祖父様みたいに軍医として戦争に行って、帰ってきてから細菌学者になったのさ」
 「ふーん。どうしてお医者さんを辞めちゃったの?」
 「戦場では銃や爆撃で死ぬ兵隊さんも多いけど、同じくらい感染症で死ぬ人たちも多かった。今とちがって薬がなかったからね。だから、フレミングは戦地から帰ると感染症の薬の研究に取り組んでペニシリンを発見したんだよ。ペニシリン発見の話は、覚えているかい?」

 ところどころ真鍮が黒ずんだ鏡筒に陽が反射する。レンズを覗きながら、父が好んでレーウェンフックやフレミングの逸話を語ったことを思い出した。もしかすると父は、彼らのように研究者でありたかったのかもしれない。そんな考えが頭をよぎった。
 芳賀家に婿入りする前、父は大学病院で将来を嘱望されていた。その評判を知った祖父が一人娘の登美子との縁談をなかば強引にまとめたという。蹴上けあげの都ホテルで開かれた披露宴で来賓として列席した名誉教授が「有能な若者を在野に埋もれさせるとは、何たることだ」と針を含んだ祝辞を述べたことは、親戚中で長く語り草となった。
 芳賀家のために封印した父の望みを想って、母は葬儀の席で「ごめんなさい」と繰り返したのだろうか。おそらく父は「そんなことはない」と笑い飛ばすだろうけれど。啓志は母にあの日の「ごめんなさい」の真意を訊けずにいる。たとえ子であろうとも踏みこんではいけない夫婦の領域の気がして、ゴシップ記者のような詮索は憚られた。

 レンズから目を離し、すべらせた視線は文机の左横の山を通り過ぎようとして戻った。塔の中ほどで異彩を放つ赤いものに目が止まる。上の三冊を傍らに下ろして現れたのは、真っ赤なビロードの表紙の書物だった。手に取って文机の上に置いたその瞬間、突風が吹いた。軒の風鈴が高音を鳴らす。部屋のあちこちに積まれている書物が風にあおられ、ぱらぱらと頁をめくる。だが、今しがた取り出した緋色のビロードの本は微動だにしなかった。不思議に思ってよく見ると、右端に透かし模様の金細工の留め具がついていた。本というよりも、小函こばこのようだ。表紙には金の箔押しで「The Hymnals」とある。讃美歌集か。啓志はボブの一件のあと、キリスト教関連の書物を自宅の書斎でも物色したが、どうやら見過ごしていたようだ。祖父が登美子への外国土産に買ったものかもしれない。

 留め具をはずしビロードの表紙を開けると、扉頁に二つ折りにした便箋が挟まれていることに気づいた。万年筆のブルーインクが裏に透けてにじんでいる。

もしも新しく芳賀家に生まれてくる子が女児であれば、「翔子」という名はどうであろうか。自らの信じるところに向かって自由に羽ばたく子であることを願う。この走り書きが誰かの目に触れることがあれば、一考の末尾にでも加えてもらえれば幸いである。

 一画一画を丁寧に書いたとわかる父の人柄を映した文字。まるで子を授かることを予期していたかのような文面に、便箋を持つ啓志の手が震える。

 自らの信じるところに向かって自由に羽ばたく――それは父の叶わなかった夢だったのだろう。
 啓志という名は父がつけてくれたと聞いた。こころざしひらく――つまりは「自らの信じるところに向かって自由に羽ばたく」だ。芳賀家の男子は、代々「彰」の一文字を継いできたから祖父は異を唱えたが、それを退けたのは母だったという。母は父の想いを知っていたのだ。

 それにしても、なぜビロードの讃美歌集に、父はこの書置きをしのばせたのだろうか。急死だったから、みずからの死を予見していたわけではなかったはずだ。父特有のいたずらだったのだろうか。今となってはその真意を知るすべはない。手紙の向こうで、口角を少しだけあげて微笑んでいる父の笑顔が見えるようだった。
 「父さんには、かないませんね」涙が静かに啓志の頬をつたった。


 5歳になった翔子が赤いビロードの讃美歌集を抱きしめ、興奮気味に駆け寄って来たとき、啓志の心臓は激しく鳴った。父の手紙は書斎の抽斗ひきだしにたいせつにしまってあったが、父が名づけの手紙をひそませた赤いビロードの讃美歌集を翔子が見つけたことに、偶然を超えた見えざる手の奇跡を思わずにはいられなかった。
 「翔子はね、お祖父様が授けてくださったのよ」朋子は娘によく言って聞かせていた。その名も祖父がつけてくれたのだということも。だが、生きて会えなかった人を想えというのも幼子には無理があるだろうと、啓志はことさら語ることはなかった。


 翔子がイギリスに立つ前日、啓志はもうずいぶん染みが浮いて変色した祖父から孫へのたった一通の手紙を渡し、それが赤いビロードの讃美歌集にはさまれていたことを告げた。
 翔子は今でも、あの手紙を持っているだろうか。

 孟宗竹の笹の間を縫って、白い陽が窓辺で踊る。
 もうすぐ、翔子が帰って来る。


(to be continued)

第3章(09)に続く→

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