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小説『虹の振り子』07

第1話(01)から読む。
前話(06)から読む。

<登場人物>
 翔子:主人公
     芳賀はが啓志けいし:翔子の父
     芳賀朋子:翔子の母     
     芳賀登美子:啓志の母、翔子の祖母
      芳賀仁志:啓志の父、翔子の祖父
        ジャン:翔子の夫(イギリス人)

* * * * *

第2章:父ーグラウンド 03

 翔子が生まれた朝のことを、啓志は近ごろよく思い出す。
 日付の変わった深夜に陣痛をもよおした朋子を親戚が営む産院に車で連れて行った。
 暦は3月をめくっていたが、前日には淡雪が舞っていた。昔からこのあたりでは、「奈良のお水取りがすんだら春が来る」といわれている。東大寺の修二会しゅにえは始まっていたが、クライマックスのお水取りはまだ2週間ほど先だった。闇に吐く息が白く消える。エンジンがなかなか温まらなくて焦った。
 そのまま待合に居座る心づもりでいたのだが、初産は一日以上かかることもあるからと帰宅をうながされた。「生まれたら連絡するから。啓志君でもうろたえるんだな」と大叔父に小突かれた。立ち合い出産など思いもよらなかった時代だ。うろたえていたつもりはない。妊娠から出産までの医学的知識のおおよそは頭に入っていた。原初の海からはじまった命の連鎖。種の保存のための稀有なシステム。らんは細胞分裂を繰り返しながら、遥かなる進化の歴史を早回しでたどる、その不思議も。胎児が子宮を出てからの旅が最も危険に満ちていることも。

 いったん目覚めた脳はますます冴え、帰宅しても眠る気には到底なれそうもなかった。妙にそわそわした頭を抱えたまま、車を車庫に入れ、見上げた群青の空に白い月があった。天頂はまだ夜のとばりにおおわれていたが、山の端はうっすらと透けはじめている。
 玄関の格子戸に手をかけると、鍵をかけ忘れて出かけたとみえ、からからと音を立ててすべった。広い上がりかまちの正面に桃の花が舞う屏風が立ち、その前にみごとな親王雛が座している。格子戸からさしこむ月明かりに照らされた雛飾りに目をとめて啓志は、「桃の節句に女の子が生まれたらすてきね」と朋子が大きくなった腹をなでながらつぶやいたことを思い出した。「あら、でも、芳賀家の跡取りを産まなくちゃいけないんでした」とすぐに言い直してくすりと笑う。奇しくも今日が桃の節句だ。生まれてくる子は、どちらだろうか。

 とりあえず紅茶でも飲んで落ち着こうと台所でケトルに湯を沸かしていて、離れの明かりがついていることに気づいた。産院へ向かう前に母には声をかけて出たから、待望の孫の誕生を起きて待っているのだろう。春というには、まだ底冷えがする。コンロの火に手をかざしながら、啓志は母と紅茶を飲むのも悪くないと思った。


 昨春に父が亡くなってから、母の登美子は勢いを失いおとなしくなった。
 勝ち気でプライドの高い母はつねに威丈高で、なにごとも命令口調で口やかましかった。たいていのことは、母の意向によって決められる。登美子は感情の襞も大きく、機嫌が悪いと小さなことにもささくれだつ。ここ数年、その集中砲火を浴びていたのが朋子だった。

 嫁姑の関係は、結婚して一年が過ぎるころまでとても良好だった。
 なにしろ、はじめての見合いで啓志が「あの人と結婚したい」と承諾したものだから、登美子は「ほら、ごらんなさい。わたしの選んだ人にまちがいはないのよ」と誇らしげだった。どこに出かけるにも朋子を伴い、あちこちに嫁を吹聴してまわっていた。西陣の織元の娘だけあって、茶道や華道はむろん礼儀作法をきちんと躾けられていることも「どこに出しても恥ずかしくない嫁」と登美子を満足させた。
 だが、一年を過ぎ二年を迎えるころから風向きが変わった。
 はじめは妊娠のきざしがみえない朋子を、嵐山の野宮ののみや神社からはじまって岡崎神社、わら天神さんと少しでも子宝祈願のご利益があると伝え聞いた社につぎつぎに連れて詣でていたのだが。それでも、いっこうに身籠るけはいもないと、しだいに言葉に棘が刺さるようになった。「月のものが、また来はったんですか。ご不浄だからお参りにもいけないわね」ぐらいで済んでいるうちは、啓志も放っていた。だが、三年を超えるとあからさまに「嫁して三年子無きは去れと、世間では言いますやろ」とか、「うちには石女うまずめは要りません」などとまで言うようになり看過できなくなった。
 ただ、お嬢様育ちゆえの無頓着さなのか、持って生まれた気質なのかわからないが、登美子には表裏の別がないことは救いだった。啓志の居ないときを狙って嫌味を吐くといった姑息さはなく、啓志が目の前に居てもおかまいなく言う。幼いころから周りにちやほやされ、たいていのことが意のままに通ってきたからだろうか。深く考えるより先に言葉が口の端にのぼる。遠まわしな物言いがならいの京都にあっては、めずらしい気質といっていい。
 登美子のお家第一主義に抗する気持ちが強かったのと、親子の遠慮なさも手伝って、「朋子は子を産むための道具じゃありません」とか「三年という線引きに意味はあるんですか」、「男の側に問題があるケースもあります」などと啓志は論理で攻める。理論で武装したものと、感情をあらわにしたものが手を結ぶことなどなく、どこまで行っても交わることのない平行線でしかなかった。
 啓志と登美子の溝は、年を重ねるごとに深くなっていく。そのことを最も憂いていたのが朋子だった。


 同じ過ちを繰り返していたのだと、今ならわかる。ボブに正論をかざしたときと同じ過ちを。まことに青くて愚かだった。
 正面切って母と立ち向かうことで、「妻を守る夫」を演じるおごりがあったのだろう。誰に対しての虚勢だったのか。世間か。いや、朋子に頼りがいのある夫と思われたかったのだ。なんてさもしい心か。
 啓志は朋子から母を責める言葉を聞いた覚えがない。それどころか、罵られたと嘆く訴えすらなかった。心配になって「今日は大丈夫だったか」と訊くと、啓志が脱いだ背広にブラシをかけながら、朋子は「ええ」と微笑む。「お義母様は、言いたいことをおっしゃっているだけですから」と。
 朋子を守っているつもりで、かえって朋子を追い込んでいたのだ。30歳をとうに過ぎても未熟だったじぶんを思い返して、深いため息が漏れる。

 朋子と母の間に入って気持ちの山をなだらかにしていたのは、父だった。
 父は、母が朋子を責めている場にひょっこりと現れては
 「水無月がもう出ていたからね。買ってきたんだ」と菓子匠の袋を掲げてみせる。
 「あら、塩芳軒しおよしけんのですか。西陣まで行ってらしたの」
 母はほんのひと息前まで気が立っていたことも忘れ、
 「朋子さん、お皿を。そうね、あの白に青い筋の入ったガラスのお皿がいいわね、持ってきてちょうだい。皆でいただきましょう」
 と声を弾ませて朋子に指図する。手のひらを返したようにぱっと気分がかわる。父は妻の機微を実によく心得ていた。


 脳卒中であっけなく逝った父の葬儀で、母は柩にすがって「ごめんなさい。ごめんなさい」と絞りだすような声で繰り返し、とめどなく流れる涙を拭おうともしなかった。それまで母が父に謝っている姿など目にした記憶がなかったので、啓志は驚いた。意のままに生きているようにみえたが、プライドが邪魔して素直に甘えることのできない不器用な女性だったのかもしれない。父という静かにぶれない支点を失った母は、好き勝手に気分を揺らすこともなくなった。

 父の四十九日の法要で朋子は倒れた。
 帯で胸を締めつけていたのもいけなかった。親戚が居並ぶ席で気を張り詰めていたというのもあった。酒のにおいもあったのだろう。酌をして回っていた朋子は立ち上がろうとして昏倒した。親類のたいはんが医者というのが幸いした。すばやく帯がほどかれ脈をとる。誰からともなしに聴診器がわたされる。朋子を囲む輪のなかに、産科医の大叔父の姿もあった。
 「朋子さん。月のものは、いつあった?」と尋ねる。
 朋子が、はっとした表情をする。
 「仁志さんからの贈りものやな」と大叔父がウインクする。
 朋子ははらはらと涙をこぼし、「お義父さんが授けてくださったんでしょうか」と細い声で傍らの義母に顔を向けると、母は童女のように号泣した。


 
 ケトルがけたたましい汽笛を鳴らす。かぶるように、電話のベルが鳴り響いた。
 
 台所から走り出てあわてて受話器を取る。居間の腰高窓のカーテンの隙間から淡い陽がのぞきはじめていた。電話を切ってカーテンを開ける。東山の峰から今しがた昇ったばかりの陽が、白く輝く一条の光の帯をためらうことなくまっすぐに伸ばす。その清らかな神々しさに得体のしれない衝動が胸をつらぬき、啓志は思わず「翔子」とつぶやき、涙をひと筋こぼした。
 「翔子」とは、生まれて来る子のために用意された名前だった。
 啓志が考えたのではない。用意していたのは、一年前に亡くなった父だった。


(to be continued)

(08)に続く→

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