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大河ファンタジー小説『月獅』17   第2幕:第6章「孵化」(3)

第1幕「ルチル」は、こちらから、どうぞ。
前話(16)は、こちらから、どうぞ。

第2幕「隠された島」

第6章:「孵化」(3)

<あらすじ>
(第1幕)
レルム・ハン国にある白の森を統べる「白の森の王」は体躯が透明にすける白銀の大鹿だ。ある晩、星が流れルチルは「天卵」を産む.。そのためルチルは王宮から狙われ白の森をめざす。だが、森には謎の病がはびこっていた。白の森の王は、再生のための「蝕」の期間にあり本来の力を発揮できない。王はルチルに「隠された島」をめざすよう薦める。ルチルは王宮の偵察隊レイブン・カラスの目につくように断崖から海に身を投げた。
(第2幕)
ディアは「隠された島」に父とふたりだけで暮らしている。島のヴェスピオラ火山は「嘆きの山」ともいい、迷いの森となっているだけでなく、山頂には強い磁場があり近づくものを飲み込む。ある日、島の浜に天卵を携えたルチルが漂着する。ルチルは、ノアとディアと共に島で暮らすようになる。ノアは白の森の王のこともよく知っていた。

<登場人物>
ディア‥‥‥隠された島に住む少女(十二歳)
ノア‥‥‥‥ディアの父 
ルチル‥‥‥天卵を産んだ少女(十五歳)
ギン‥‥‥‥ハヤブサ・父の相棒
ヒスイ‥‥‥翡翠色の翼をもつケツァールという鳥・ディアの相棒

 それは美しい満月の夜だった。
 ルチルとディアは一年でもっとも美しい月夜を楽しもうと、海をのぞむ草原に並んで座っていた。二人のあいだに天卵の籠を置いて。ヒスイはディアの肩に止まっている。
 夕陽が群青に透ける闇をつれて水平線の彼方へと遠ざかってゆく。入れ違うように闇を統べる白い月が姿をあらわし、海原はまた透明に輝きはじめた。

 
 島についてから天卵は、自由に呼吸を解放するかのように、ゆるやかな明滅を繰り返していた。小鳥たちもはじめは「なに、この卵光ってるわよ」「変なの」と口やかましく騒ぎたて、なかにはくちばしで突っつく不届者ふとどきものもいたが、そのたびにディアが「こらあ!」と追い払ってくれていた。ある朝、青い羽の美しいオオルリがじぶんよりもずっと大きい天卵の上にうずくまり卵を温めだした。すると、真似るものが日に日に増え、オレンジや青や緑の多彩な羽がにぎやかに席取りをする。それを天卵もよろこんでいるようで、鳥たちの鳴き声に合わせて歌うように明滅していた。
「温めたら孵るってもんでもないんだけどな」
 本能なのか、と鳥たちのようすにノアは苦笑しながら、心の臓の音を聞かせてやるといい、と教えてくれた。それもあって家事が一段落すると、ルチルはできるだけ卵を抱いていた。でも、天卵を慈しんでやっているというより、わたしが慰められているのかもしれない、とルチルは卵に頬ずりする。
己が何もできないことを思い知り、ルチルは日々へこんでいた。
 世話になるのだから、せめて手伝いをさせてくれと申し出た。
 それなのに。料理ができないのは致し方ないとして。洗濯のしかたすらわかっていなかったことが情けなかった。
 ディアに連れられ小屋の裏を流れる小川に洗濯物を運ぶと、長方形の板を手渡された。等間隔で溝が刻まれている。
 ――この板は何? これも洗うのかしら。
 振り返ると、ディアはてきぱきと洗濯物を二つのたらいに選り分けているさいちゅうで、尋ねるのがためらわれた。そうよ、なんでも、自分で考えなくっちゃ。
 腕まくりをして川べりに立膝になり、右手につかんだ板を川につける。左手で洗おうと前のめりになると、水流が想像以上に速く、板はするりと滑って流れにもっていかれてしまった。あっと思った瞬間にルチルは姿勢をくずし、派手に水の跳ねる音を立てて顔から川につっこんだ。
「どうしたの!」
 ディアが叫んで、腰から引き上げてくれた。
 とっさに両手を川床についたため、顔を水面に激しく叩きつけたくらいですんだが、上半身はびしょ濡れだ。
 あはははは。ディアの明るい笑い声が響く。
「ルチルは、まず、自分を洗濯したんだね。きょうは朝からお陽さまが元気だから、すぐに乾くよ」
「ごめんなさい、ディア。板を流してしまったの」
「だいじょうぶ。葦の淀みでひっかかってるはずだから。待ってて」
 言い終わらないうちにディアは駆け出し、ほらね、と板をもって戻ってくると、しなびた薄茶の草を一つかみルチルに渡す。葉の裏にぬめりがあった。
「この石鹼草を少し濡らしてよくもんで、板の上でこするの、こんなふうに」
 ディアが板に押しつけて擦るにつれて、細かな泡がどんどん生まれ膨らんでいく。たちまち板は大小無数の泡で包まれた。それをほんの少し掌ですくって、ディアがふっと息をふきかけると。陽の光を浴びて七色に輝く小さな泡が空にただよい弾けた。ふふ、とディアが笑って振り返る。
「光の泡で洗うと、きれいになるよ」
 泡立った板に衣服を押しつけ、リズムをつけて揉むように洗いはじめた。
「ルチルは洗濯板を知らないんだね」
 ディアはふしぎそうに首をかしげる。
「父さんのズボンとかシーツとか大きいものはたらいにつけて、足で踏んで洗うんだよ」
 スカートの裾をもちあげ、歌を口ずさみながら、たらいの中で楽しそうに足踏みしている。
「ほら、気持ちいいから、ルチルもやってみて」
 一事が万事こんな調子で、床の水拭きから山羊の乳の搾りかた、竈の火のおこしかたまで。年下のディアにすべて教わらねばならなかった。自らに向かって吐くため息は、心の底に澱となって沈殿していく。
「お嬢様って、何もできない人のこと?」
 夕食の席でディアが訊く。悪気はかけらもないことはわかっている。思ったことが言葉になるだけ。わかっている。でも、さすがにこたえる。
「できないんじゃなくて、しなくてもよかったというだけさ」
 ノアが七輪で焼いていた魚の串をはずして皿に盛りつける。
「どうして?」
 ディアの「どうして」がまたはじまった。
「代わりに料理をしたり、掃除をしたり、洗濯をしてくれる人たちがいる。そして、その人たちの仕事を奪っちゃいけないのさ」
 カシや召使いたちがすべてを整えてくれることをルチルはこれまであたりまえのことと疑わなかった。ノアのいうとおり、何もしてこなかったのだ。
「へえ。つまんないね」
 うつむいてスープを啜っていたルチルは、はっとして顔をあげる。
「床を水拭きすると、す――っと滑って楽しいし。魚釣りも、洗濯も、山羊のミルクを搾るのも、みんなすっごく楽しいのにね」
 ディアは家事を労働だと思っていない。楽しい遊びのひとつなのだ。ディアといっしょなら天卵から孵った子も、毎日を楽しめる、どんな状況でも生きていける子に育てることができそうな気がする。
 卵が孵るまでに、手際は悪くともあらかたの手順を覚えることができたのは良かった。一日の仕事を終えると生まれてくる赤ん坊の服のこしらえ方をノアが教えてくれた。ディアとおしゃべりをしながら、服を縫い、糸を紡いで靴下を編んだ。情けないほど不格好なできではあったけれど。
 それにしても。これらの布や白蝶貝のボタンは、どこで手に入れたのだろう。布まで作っているようすはない。
「ああ、それはな。近くを通る船に交換してもらうのさ」
 汲みたての清水や新鮮な山羊のミルクは重宝される。
「航海で貴重なのは水だからな。たいてい欲しいものと交換してくれる」
 近づいてくる船影や船団を見つけるとギンが報せる。気前よく取引に応じてくれた船は、帰りの航海で島が消えていることに驚き「隠された島」との通り名が広まったらしい。コンパスが狂う魔の海域というのも噂に拍車をかけたんだがな。
「あたしもね、その、ブツブツコウカンていうのに行きたいって、もう何度も何度もお願いしてるんだけど。まだ、一度も連れてってくれないの」
 ディアが頬をふくらませる。また今度な、とノアが立ち上がる。
 ノアは何を恐れているのだろう。どうしてディアを隠したがるのだろう。
「隠された島」とは、ディアを隠すための島のようだ、とルチルは思った。

(to be continued)


続き(『月獅』18)は、こちらから、どうぞ。

 


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