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Luis Poirot “NERUDA: Retratar la Ausencia”(パブロ・ネルーダ写真集)

1971年、ノーベル文学賞の受賞記念としてパブロ・ネルーダの自宅で開かれた夕食会。そこに招かれたコロンビア人作家で、『百年の孤独』で知られるガルシア=マルケスはいう。

その夜、パブロが本当に関心をもち、ずっとうれしそうにしていたのは、ノーベル賞ではなくて、買ったばかりの実物大のビロードのライオンを、彼の友人に見せることだった。一部屋に剥製の馬、船首を飾っていた船首像——海にすごくとりつかれていたから——、それと巻貝のコレクションが納められていた。いつも文無しだった。初版本などの古書を買うのに全部使い果たしてしまっていたからね。

ガブリエル・ガルシア=マルケス「パブロ・ネルーダを語る」『ネルーダ詩集』田村その子訳編、p113

ネルーダはチリに3軒の家を所有していた。首都サンティアゴにおいて、サン・クリストバルの丘のふもとにあり、市内を一望できる「ラ・チャスコーナ」、港町バルパライソで、テラスから海が一望できる「ラ・セバスティアーナ」、そしてガルシア=マルケスらとノーベル賞を祝った、海に面した「イスラ・ネグラ」。

1973年にネルーダが亡くなり、バルパライソの「ラ・セバスティアーナ」はチリ軍事政権に接収された。サンティアゴの「ラ・チャスコーナ」もかなりの破壊工作に見舞われたが、妻のマティルデは修復しながら、彼女が亡くなる1985年まで暮らし続けた。そしてネルーダが最も愛した「イスラ・ネグラ」は主を失ったまま、海からの風を懸命に受けていた。

そんな「イスラ・ネグラ」を通奏低音にしたネルーダの写真集、Luis Poirot “NERUDA: Retratar la Ausencia”を書棚から取り出す。チリ人写真家のルイス・ポワロによる写真集。ネルーダと知り合った1969年にはチリで大学教授をつとめていたが、アジェンデ大統領に随行して公式撮影をしたり、1973年の軍事クーデターでは大統領府であるモネダ宮殿が爆撃される様子を撮影したりしたかどで、のちに祖国を追われてしまう。

写真集は3部構成。ネルーダの遺品を撮った “Ausencia”(不在)。友人や妻などの寄稿や談話による “Testimonios”(証言)、そしてネルーダを撮った “Presencia”(存在)。写真集タイトルは “Retratar la Ausencia”で、直訳なら「不在を撮る」だが、私が編集者ならば『不在の肖像ポートレート』とするだろうか。

“Ausencia”は、船首を飾っていた船首像やめずらしい巻貝のほか、さまざまな形の瓶、ガラス瓶に入れられた帆船模型、庭に置かれた船の錨や古い蒸気機関車など、ガルシア=マルケスが語ったような数々のコレクションを撮った写真に、ネルーダの詩や言葉が添えてある。

そのひとつに、マリア・セレステという船首像がある。19世紀終わりに、アメリカからイタリアへ向かったものの、乗組員不明のままポルトガル沖に漂っていたところを発見された帆船。ネルーダが手に入れた船首像が、ほんとうにマリア・セレステのものかどうかは定かではない。ただ、ネルーダはこの船首像を繰り返し詩や随筆に書いた。

     Durante el largo invierno algunas misteriosas lágrimas caen de sus ojos de cristal y se quedan por sus mejillas, sin caer. La humedad concentrada, dicen los escepticistas. Un milagro, digo yo, con respeto...
     ¿Pero porqué llora?

 冬が深まると、彼女の水晶の目から不思議な涙があふれ、落ちることなく頬をつたう。湿気のせいだよと疑り深いものはいう。奇跡さ。僕は仰ぎ見てこたえる。
 それにしても、どうして泣くのだ?

既視の海による試訳
La María Celeste

ほかにも、数多くの船首像のポートレートが撮られ、詩を添えてある。真正面から撮ったものも多い。すると、こちらが見つめられているような気分になる。写真を見ているのは、こちらなのに。カメラをとおして、船首像を見ているのは、こっちなのに。

ネルーダは、それらの船首像を手に入れ、イスラ・ネグラの室内に配置した。2体を平行にならべたり、高低の差をつけたり、ほかのコレクションとのバランスをとったり。そして、イスラ・ネグラに滞在しているときは、まじまじと見つめることもあれば、詩を書いているときにはほったらかしにすることも。それでも、目も表情もある船首像の気配は、いつでも感じていただろう。そんな船首像も、ネルーダの暮らし、ネルーダの視線を見つめ、詩をつくるときの朗読を耳にし、板張りの床を踏みならす音を聴いていたはずだ。

自分と相手との「あわい」に魂は存在する。魂とは、関係性なのだと、ユング心理学の第一人者、河合隼雄はいう。おそらく、船首像をはじめとするコレクションと、ネルーダの「あわい」には、魂があった。イスラ・ネグラには、ネルーダの魂が存在していた。

その主はいなくなってしまった。それでも声をひそめて佇んでいる、残されたものたちを写真に撮ったのだ。今度は、ネルーダが船首像を見つめたように、われわれが船首像を見つめる。そしてネルーダを船首像が見つめていたように、われわれを船首像が見つめる。たしかに主はいない。しかし、主であったネルーダと、残されたものたちの間にあったはずの魂を、写真として撮ったのではないか。それが、「不在の肖像ポートレート」。

この “Ausencia”の章では、イスラ・ネグラを囲む板切れに、ペンで、鉛筆で、ときには釘で、詩人を悼む多くの声が刻まれている。“Pablo, en estos dias nos haces falta porque te nos fuiste.”(パブロ、この頃は君がいなくて寂しいよ)。ここにも、詩人と、その詩を必要とする人の「あわい」に、たしかに魂があったのだと感じる。

Yo soy profesor de la vida, vago estudiante de la muerte y lo que sé no les sirve no he dicho nada...

私は人生の教師だが、死について怠惰な生徒でもあり、私の知るところは何の役にも立たない。だから何もいうことはない...

既視の海による試訳

これで「ネルーダ週間」はひと区切り。でも、あらためて、ネルーダの詩を読んでみよう。ネルーダと、私の「あわい」に、詩という魂を感じるために。

  

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