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ひとつの瞬間は永遠になりうる——ローベルト・ゼーターラー『ある一生』【書評】

1931年の冬の日、オーストリア・アルプスの麓で、壮年のエッガーはふとした予感から、山小屋で見つけた瀕死のヤギ飼い、通称ヤギハネスを背負って山を下ろうとする。片脚が不自由なうえ、折りからの吹雪に足を滑らせて身動きが取れないエッガーに、ヤギハネスは、死は氷の女が魂を奪っていくのだと語り、雪のなかへ駆けて消えていく。ひとり何とか山を下ったエッガーは暖を取るために立ち寄った宿屋で、新入りの女中マリーに出会う。雪がやみ、外に出たエッガーは、ヤギハネスが語った氷の女と、マリーという二つの「心の痛み」を感じる。

読後、冒頭の8ページで語られるこのエピソードが、本書の題名どおりにエッガーの一生をすべて要約しているのだと気づく。ローベルト・ゼーターラー『ある一生』は、決して歴史に名を残すことのない一人の男の生涯を静かに彫琢された言葉と文章で綴っていく。

私生児だったうえ早くに母を亡くしたエッガーは、農場主だった養父に折檻を受け、脚に障害を持った。ただし、成長するにつれ身体は丈夫になる。

エッガーは逞しかった。ただ緩慢だった。ゆっくり考え、ゆっくり話し、ゆっくり歩いた。けれど、どの考えも、どの言葉も、どの一歩も、その跡をしっかりと残した。それも、その種の跡が残るべきだとエッガー自身が考える場所に。

人物造形も、人格形成も、小説としての言葉としても、これだけで十分。精密な描写と説明こそがリアリティの源泉だというのは勘違いだ。

養父の農場を出たエッガーは、村の雑務・雑用を請け負って糊口をしのぐ。その後、山頂と麓をつなぐロープウェイの建設会社の作業員として定職に就き、マリーと家庭を持つ。エッガーが一生忘れなかったという、部長の言葉がしみる。

人の時間は買える。人の日々を盗むこともできるし、一生を奪うことだってできる。でもな、それぞれの瞬間だけは、ひとつたりと奪うことはできない。そういうことだ。

幸せな結婚生活も束の間、雪崩によりエッガーはマリーを失う。純粋な悲しみだけが残るまで、日々の仕事と暮らしに没頭するエッガー。やがて戦争が始まり、エッガーも徴集される。前線に送られるものの、大半の日々は捕虜としてロシアの凍った大地で仲間の死を見送る。戦後、自分がかつて建設に携わったロープウェイのおかげで、すっかり観光地になっていた故郷の村で、エッガーも山岳ガイドを務めながら暮していく。もちろん、エッガーが老いて死を迎えるまで本書は描く。

語られるのは、誰にも奪われることのなかった、エッガーの魂の、一つひとつの瞬間だ。もちろん、エッガーに試練を課すような劇的な展開もある。だが、その衝撃に頼ることなく、淡々とした筆致で、人の一生を描ききる。ひとつの瞬間は、永遠になりうる。

比較されるのは、一人の大学教師の静謐な生涯を描いたジョン・ウィリアムズ 『ストーナー』。ただ、本作はアルプスの山々や雪に囲まれた小さな村、ロシアの冷たく乾いた草原など、自然とのまじわりをも素朴な筆致で記されている。どちらがいいと優劣つけられはしない。しかし、人の一生をこうも静かに、簡潔に描けるものかという驚きは共通している。

他方、「女のさが」「女のごう」といった大文字の言葉で一人の女性の劇的な生涯を描く小説はあまた在るものの、抑制された文体で静かに女性の一生を描いた小説はないものか。

本書『ある一生』のような小説を読むと、世の中には、緻密な描写や怒濤の展開、生理的比喩をともなった心情描写を押し付けてくる小説が何と多いことか。時間をおきながら、または思い出したように一章、一節ごとを噛みしめながら読んでいく小説がいくらか手元にあれば十分。そう積読の山麓で考えた。

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