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小林秀雄を読む日々

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『小林秀雄全作品』全32巻を、あきれるほど丁寧に読んでいきます。まず「『私の人生観』にたゆたう」を完結。新連載を準備中です。
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#ベルクソン

「人」が「生」きるうえでの「観」方

ちょうど5か月かけて読み、およそ100回にわたって論じてきた小林秀雄の『私の人生観』。あら…

既視の海
1年前
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全体を読み返してこそ熟読玩味できる

およそ5か月にわたって読んできた小林秀雄『私の人生観』を、いま一度全体を読み返してみて気…

既視の海
1年前
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描いたのは「俺流の肖像画」ではなく、小林秀雄の自画像

およそ5か月にわたって読んできた小林秀雄の講演文学である『私の人生観』を、あらためて通読…

既視の海
1年前
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国語という大河に生きて、言葉をつかむ

ベルクソンが天才だと思うのは、特定の人や作った本人しか解らないような専門用語を用いず、日…

既視の海
1年前
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知性の限りを尽し、言葉を尽す

小林秀雄は、なぜそこまでベルクソンに惹かれるのだろう。「彼の天才は、…」という語り出しで…

既視の海
1年前
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概念とイメージの両面から直観に近づく

リルケの芸術観とベルクソンのvisionは、表現こそ違えど重なる。これは詩と哲学の結びつきであ…

既視の海
1年前
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とにかく書いてみる。書いてみなければわからない。

芸術家は美しい物を作ろうとはしていない。だだ物を作っているだけだ。完成したものが、作り手を離れて置かれると、自然物と同じ平静と品位を得る。すると物のほうから人間を眺め、永続的なものを分かち合おうとする。その経験が強烈なので、芸術家はそれを求めて物をつくる。 そのように小林秀雄は詩人リルケの芸術観を語り、芸術家だけでなく、詩人や小説家、思想家も同じ考えで「物」をつくっているのだと付け加える。 さらに、リルケの前に語っていた哲学者ベルクソンのvisionについて再び話題にする

知覚の拡大は、共感の拡大だ

芸術家も哲学者も、生活上の行為をするための物事から注意を逸らし、むしろ生活に役に立たない…

既視の海
1年前
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芸術家のほかに知覚を拡大できるのは誰か

なぜ芸術家は知覚を拡大することができるのか。人は知覚を行動するために用いている。しかしそ…

既視の海
1年前
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なぜ芸術家は知覚を拡大することができるのか

曖昧で間違いやすい知覚を補うために、人は科学と哲学という二つの方法を採り入れた。ただ、科…

既視の海
1年前
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なぜ科学も哲学も知覚の助けとならないのか

小林秀雄は「美」をどのようにとらえるかという問いに対して、大きな影響を受けている哲学者ア…

既視の海
1年前
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人の知覚はあてにならない

「こういう考え方を、私はベルグソンに負うのですが…」(『私の人生観』「小林秀雄全作品」第…

既視の海
1年前

なぜ徒党を組みたがるのか

ベルクソンがいう偉大な国家統治者、小林秀雄が好きな「手仕事」をするような練達した大政治家…

既視の海
1年前
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もはや大政治家は出てこない

ベルクソンとは何者か。 主要著書である『意識に直接与えられたものについての試論─時間と自由』『物質と記憶』『創造的進化』『道徳と宗教の二つの源泉』の4点を刊行している筑摩書房の紹介文では、「旧来の認識論の限界を超えるべく実証主義の手法を採り入れ、すべてを持続の相の下に捉え直し、直観によってこそ生きた現実が把握されるとする独自の経験論を確立。第一次大戦頃より政治的発言や活動も多く、1929年ノーベル文学賞を受賞」とある。 小林秀雄が『私の人生観』において「ベルグソンが、晩年